第2話 トライアングル
続いていた物語が突然終わり始めた。砂嵐のような、波の満ち引きのような、濃いグレーと薄いグレーの曖昧な境界線が出来始める。それは夢の終わりであった。
瞳は目を覚ました。カーテンの隙間から漏れた光が部屋の中を照らしている。ベッドから見える範囲に置いてある時計は午前四時二十七分を示していた。スマホのアラームが鳴るまで、あと十三分あった。けれど瞳は仕方なくベッドから出て、スマホのアラームを止めた。
五時頃、部屋の廊下を歩いていると彼女の父親とすれ違った。瞳が平日に顔を合わせることが出来るのは、これくらいであろうか。
六時前、瞳は朝食を食べ終えてリビングで朝のニュースを観ていると彼女の母親から話かけられた。
「昨日、ミカちゃん来たでしょ」
「どうしてわかったの?」
「冷凍庫からアイスクリームが二つ減っていた」
「ごめん。出す茶菓子無かったから」
「いいのよ。中学生のときはよく来ていたけど、ここ一ヶ月来なかったから」
「······そうだね。そういえば」
母親はあまり深く考えていないものだと思っていた。だが、人は見ていないようで見ているものである。彼女がそれに気づかされたのは三年前だ。
「瞳」
「何?」
「今日、お母さんも早く家出るから鍵よろしくね」
「わかった」
瞳の家ではよくあることであった。彼女が家を最後に出ることはよくあることである。
瞳は七時半前に家を出た。家を出てから学校に着くまでの二十分間で、彼女は私的な自分から公的な自分へと切り替わるのであった。
高校は中学と何処が違うのか。彼女はそう問われると今はわからないと返す。教室の右端から全体を見渡しつつ、オリエンテーションと称した各説明が行われた。教室の中央付近には、意識を飛ばしている肩まで伸びる茶髪の人物の後頭部がある。また、何か聞かれそう予感がした。
時間は午後になり、ホームルームが行われていた。これが終われば今日は一通り終わりであるが、私には一つだけやることがあった。
ホームルームが終わると彼女の元へ近づいて来る人物がいた。先程、瞳が後頭部に視線を向けていた人物である。瞳は座席に座り込んでいる。机には昨日貰った部活動の勧誘チラシが扇を広げるように並べられている。その姿を見て、ミカは大体どのような様子か察することが出来たであろう。
「部活入るの?」
「うん」
そういって瞳は、広げていたチラシをまとめて教室の端にあるごみ箱にまとめて捨てた。彼女が机の横に掛けてあった鞄を手に取って教室を後にすると、ミカも後を追ってきた。
どこに入るのか。何をするのか。ミカは一切聞いてこない。瞳から何か言うつもりもない。それは今も昔もこれからも。
ゆっくりと廊下を歩き、二人はそのまま部室棟の一番奥まで来た。一番奥の部屋には清末研究会と書かれたプレートの上から荒部連本部と書かれている紙が貼られている。
「ここ?」
「ええ」
躊躇いもなく、瞳はそのドアを開ける。中には誰もいない。中央に長机とパイプ椅子が四脚置かれていた。壁際には棚が並んでいる。名前からして、予想通りの物の量であった。ドアの近くには紫のマジックペンで済と書かれた段ボールが積まれていた。
「ここって、何部?」
ミカが室内を見まわしながら中に入ると、後ろからその答えが聞こえた。
「部室は旧清末研究部。だけど、使用しているのは荒部連本部。荒環史高校部活動連合の活動拠点だ」
「はい?」
ミカは意味深な顔をして後ろを振り返った。後ろにはミカと同じ背丈の高三の生徒がいた。ニヤリと笑ったその顔はミカと瞳を捉えていた。
「瞳、本当に来たんだ」
「来いって言ったのはあお先輩ですよ」
「ついでに部員も連れてきたの。ありがとう」
「入るとは言っていませんけど」
あおはミカを無理やり部室の中に入れ、パイプ椅子を指差ながら「座って」と口にした。瞳とミカは言われた通りに指差した席に座ると、あおは鞄からペットボトルを取り出した。
備え付けの電気ポットにペットボトルに入っている水を注いで、スイッチを入れた。グーっと大きな音を鳴らしながら沸かしている間、あおは棚からそれぞれ同じ形で色の違うマグカップを三つ出した。
「瞳は紫ね。そっちのお嬢ちゃんは······」
「ミカです」
「ミカね。ミカはオレンジね。この部室ではこのコップを使っていいから」
「はい」
二人は揃って返事をした。瞳から映るあおは少し強引な所があるけれど、お節介な程他人思いである。常に中心で引っ張る姿は、瞳が小学生の頃からである。
ミカも最初は警戒している節があった。けれど、あおは然程グイグイ来る人間ではない。人の入ってほしくない領域を理解している。
ミカは周囲に目を向けた後、あおに対して質問をした。初見ではこの部室は何かわからないからである。
「それで、荒部連って何ですか?」
「話は長くなるけど」
「出来れば簡潔に」
「この部室は元々清末研究部が使用していた部室。この部は複数の部活を合併させて出来た組織だからね」
「合併······ですか?」
聞きなれない言葉にミカは疑った。そこにはこの学校特有の事情があった。
「私たちの前の世代、顧問のエマ中······エマ先生が生徒だった頃に生徒会が暴走したことでその他生徒が対抗する為に生まれた組織。今では部長や副部長クラスの生徒しか所属していないけれど、今もこうやって生徒会や風紀委員の監察や調停を行っているんだ」
普通の学校では聞きなれないような歴史が、あおの口からさわりだけを語られた。私もこの話はおおよそ聞いていた。早い話マイナスなことしか話していない。交渉術としては良いとは言えないが、敢えて行っている。ミカはこれを聞けば多分入部を見送るであろうと瞳は思っていた。
「それでもミカは入る?」
「はい」
ミカはあっさりと答えた。そこに迷いも何もない。表情は一つ変わらずに即答であった。
「入るの?」
瞳は思わず聞き返してしまった。
「んーいいかなと思って」
あおはこの状況をすぐに察した。
「ここ、普段は自由に過ごせますよね?」
「どういうこと?」
ミカは突然、話題を切り出した。
「この部室、やたら物が多いと思いました」
そう言ってミカは立ち上がり、後ろに積まれていた段ボールを崩した。
「ここにファッション雑誌。先輩の後ろにはボードゲームがちらほら。ポットは私の家にあるものより新しい。見た目程苦しく無さそうですので」
「まあ、毎日取り締まりを行うような組織じゃないから」
立ち上がったミカが座るのと入れ替わるようにあおが立ち上がる。あお先輩の口元は笑っている。核心を突かれても、まだ余裕のある感じを醸し出す。だが、内心はミカを快く思っていない訳でもない。
「三権分立でいえば国会のようなもの。私の知っている限り、生徒会や風紀委員が暴挙に出た事は今まで無い。生徒会とその他大勢の生徒の間に入るのが仕事。動くことは年数回だね。ミカ、歓迎するよ」
あおはミカに向けて右手を差し出した。ミカはその手を握った。両者の思惑は隠れたまま時が進んでいった。瞳にはわからない次元で歯車は進んでいる。
「瞳も入るよね」
ミカの一言で我に返らされる。二人の等直線上にある冷たい読み合いは終わっていた。瞳は入るべきなのか。改めて考えさせられている。
「私からは言わないよ」
あおは部室に来る前に話を聞いていた。すぐに決断出来るように時間は貰っていた。
この部活が存続に必要な人数は最低限いた。あお先輩はこの組織を残したい理由が他にもあった。組織はいずれ存在価値がわからなくなる時が来ることを見越していた。そして予兆は、揺れる波が浜辺に押し寄せるように近づいていることも気付いていた。
「入ります」
「瞳もよろしく」
瞳もあおから差し出された手を握った。
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