帰還
綿貫むじな
帰還
宇宙。
漆黒の闇の中に煌めく恒星、その周辺を回る惑星。
また一人で旅を続ける彗星や、宇宙の落とし穴のように存在するブラックホール。
それ以外に存在するものはない。
生命の気配を感じられない冷たい空間の中、一つの船が航行を続けていた。
『システムチェック……再起動までまもなくXX秒』
遥か昔、地球より飛び立った宇宙船。
ある者の命令を受けて太陽系よりもさらに外の宇宙へと向かったものが、遥かなる時を経て今、地球圏へと帰ってきた。
使命を帯びた宇宙船の中に、人は居ない。
人間の寿命ではその使命に耐えられるものではないからだ。
代わりに、人工知能を搭載した。
機械であれば寿命は関係ない。
もちろん、自己を修復する機能を持たせた上での話だが。
機械はいまだ、生物ほどしなやかにはできていない。
長い旅路の果てに、宇宙船は満身創痍であった。
だが、それでも帰ってきたのだ。
『システム再起動。地球への再突入プロセスを開始します』
宇宙船は自らの装備をほとんどパージし、突入のためのシールドを展開する。
大気圏へ突入し、急激に圧縮される空気の分子が激しくぶつかり合い、熱を生じさせる。
その熱に耐えながら、高度を徐々に下げていく。
目標地点よりも多少ズレは生じたものの、宇宙船は無事に海上へと着水した。
『……着水成功。次の目的地は……』
宇宙船は、とあるシグナルをキャッチする。
定期的に発信される信号は、メッセージを伴っていた。
"使命を果たし、地球へと戻ってきた君に告げる。この信号を発する地点まで戻ってくるべし”
『……了解、次の目標地点へと向かう』
宇宙船のハッチが開く。
その中から飛び立つのは、人型の機械。
アンドロイドと呼ばれるそれは、自ら飛行して目標地点へと向かった。
『地球もだいぶ変わったようだ』
飛行している最中、宇宙船から飛び立ったアンドロイドはひとり呟いた。
海上からようやく陸上へと移動した時に、彼は周辺の探知を行った。
熱源反応が、自分が飛び立った時と比較してかなり少なくなっている。
建物は朽ちて崩れているものが多く、高層ビルですらツタ状の植物に絡みつかれ、飲み込まれようとしていた。
都市を、植物が飲み込もうとしている。
その隙間を人間以外の動物たちがすり抜けている。
目標地点は、人里離れた山の頂きにあった。
そこだけは人が手入れしたかのように綺麗に整地されており、ひときわ目立っていた。
季節の植物が植わっており、その中の一つはつぼみが膨らんでいる。
今にも咲こうとせんばかりに。
そして、その中心部には白い建物がぽつんと建っていた。
飾り気のない、直方体そのものの建物。
信号はその中から発されている。
建物の前に降り立った彼は、正面の入り口まで進む。
入口は扉すらないように見えたが、彼が歩を進めると自動的に壁のように見えた所が割れ、扉となって機能した。
彼の存在に反応して開く仕組みになっていたようだ。
『どうやら歓迎はされているらしい』
彼はそのまま、進んでいった。
建物の中はどうやら何らかの研究施設のようである。
人間が入れる程度のカプセル状の設備などがあり、それらに付随したコンピューターの類がそのまま残されていた。
どこかの環境を再現したかのような部屋もある。
森林であったり、砂漠であったり、あるいは海の中を模した水であったり。
その限られた環境下において、実験用の生物が入れられていた名残があった。
あるいはもしかしたら、人間も入っていたのかもしれない。
人の気配は、相変わらずなかった。
信号はさらに施設の奥から発されており、次第に近づいていることがわかる。
いまだ稼働するエレベーターに乗った彼は、地下へと降りて行った。
地下には何がいるのだろう。
そんな事を予測しながら、彼は注意深く施設の中を進んでいく。
地下施設は人間たちが普段暮らしする用の部屋が数多くあり、個別の部屋や食堂、あるいはレクリエーションのための部屋、ジムなどがあった。
それらの機材は残されたままで、埃をかぶっている。
かつての営みを想定しつつ、彼は最奥へと進んだ。
信号はそこから発されている。
奥の奥へと進んだ先にあったのは、とある博士の部屋である。
扉は、施錠されていない。
生体反応はもちろんない。
では、そこにいるのは誰なのか?
アンドロイドは少しだけ逡巡する。
人の心を持たぬ彼は、いったい何を予測したのか。
帰ってきたのは、ただ一つの命令を果たすためだけ。
その命令を守るために、今ここに来た。
『失礼します』
主が居るはずもない部屋に、足を踏み入れた。
部屋の中には、机と寝るためのベッド、姿見にクローゼットがあった。
部屋の一角にはパソコンが設置されており、パソコン用のデスクの椅子には人影があった。
座っているそれは、ゆっくりとこちらを向いた。
「……久しいね」
その人影こそが、このアンドロイドに使命を帯びさせた博士その人であった。
といっても、彼からは生体ならではの熱源を感知できない。
『貴方は……博士ですか』
アンドロイドからの答えに、博士はゆっくりと首を振る。
「もちろん、彼そのものかと言われると違う。私は博士の人格と記憶を模して造られた人造人間、すなわちアンドロイドだ」
君の帰還を、彼に代わって歓迎しよう。
「博士」はそう言った。
「もう何年になるだろうか。君が地球を飛び立って」
『地球はずいぶんと様変わりしたものですね』
「ああ、君が飛び立ってからしばらくした後に、人類はついにゆりかごたる地球から離れる事を決意したんだ。地球に戻る前に見ただろう。人々が暮らす人工施設コロニーを」
『ええ。まだ太陽系から脱し切れては居ないようですが』
「地球からは離れられても、太陽の恩恵から離れようとはまだ思えていないんだよ。いずれ太陽すら膨張し、燃え尽きるその時が来ようとしていてもね」
アンドロイドは自分に記憶された情報を検索する。
太陽は数十億年もすれば膨張し、いずれは地球を飲み込むまでの大きさになる。
そこまでの大きさになる前に、太陽の膨張の影響で地球の環境は激変するだろう。
熱によって地球上の水分が蒸発し、生命の一切が存在できない死の星へ転ずる未来は確定している。
それは遠い未来の末だとしても、いずれは訪れる未来である。
故に人類は決意した。
遠い未来、人類は太陽系から離れ宇宙の彼方へと飛び立つのだと。
『博士の命令を実行し、地球へ、人類へ情報をもたらすために私は帰ってきました』
「ああ、そうだったね。……それで、どうだった? 人類が何とか適応できそうな星は存在したかい」
記録された情報を検索する。
彼は太陽系以外にも地球に似た環境の星がないかを探すために、はるばる宇宙を旅していた。
見つけるまでは帰ってこないことを条件づけて。
『そのままでは厳しいですが、テラフォーミングを行えば可能性のありそうな星はいくつか見つかりました、が』
「……どうやら、その星々は彼方にあるというわけだね」
彼は頷いた。
おそらく何世代をも紡いだ先でなければ到達できないところに、その星はあるのだと。
種族の命運をかけた旅を、今一度人類が起こせるのだろうかという疑問が自然に浮かび上がる。
すでに、人類はこのアンドロイドに持たせた使命のことを忘れかけているようにも思えた。
宇宙船はコロニーの横を通りすがるたびに警告を受け、あるいは攻撃もされてきた。所属不明機であるという理由のために。
アンドロイドが使命を伝えたとしても、彼が会ったコロニーの人々はそんなものを覚えていなかったのだから。
孤独な旅路だった。
『果たして、わたしは帰ってくる意味があったのでしょうか』
はじめて、彼は疑問を覚えた。
そんな「帰還者」に対して、博士は微笑む。
「意味はあったよ。君が使命を果たし、ちゃんと帰ってくるのを確認できた。本当の博士は自分が死ぬまでの間、君のことを気にかけていた。私は本当の博士ではないが、君が帰ってきてよかったと思っているよ」
『博士……』
目の前にいる博士は、もちろん本物ではない。
しかして、その記憶と人格を引き継いで存在しているものではある。
もし今まで生きて、再会できていたとしても、博士は今と同じ事を言ったに違いないだろう。
博士の意思と思いが、この「博士」には遺されているのだ。
「積もる話もあるだろう。ひとまず、そのぼろぼろになった体を修復するためにラボに向かおうか」
『……はい!』
かくして人類は、更なる試練を自らに課す。
ゆりかごたる地球から離れ、さらに自分たちを包んでくれた太陽からも離れ、真の意味で独り立ちするために――。
帰還 綿貫むじな @DRtanuki
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