第3話

「はぅ!」

わたしはがばっと身体を起こすと——

見慣れた天井が、視界に入りました。

わたしはきょろきょろと周りを見渡します。

見慣れた窓、見慣れた机、見慣れたベッド……

なにを隠そう、ここはわたしの部屋なのでした。

「え……、え……っ!」

頭がくらくらとしていましたが、フル回転させて考えます。

すると、ひとつの結論が浮かびあがりました。

「もしかして……夢?」

全身汗びっしょりで、呼吸も少し乱れています。

そしてようやく、わたしは蒼ちゃんとのことを思い出しました。

「わ、わたし、蒼ちゃんと……、キ、キス、しようとしてて……!」

口にするだけで、恥ずかしさが込みあげてきます。

ベッドの上で汗の不快感を交えながら、ひとり悶えているわたしです。

「夢でよかったのかな……? いや、でも……」

自分の考えにうまく整理できないでいると——

「彩香、いつまで寝てるの。そろそろ起きなさい」

お母さんの声が、ドア越しで聞こえました。

わたしははっと現実に連れ戻され、反射的に「はーい」と返事してベッドからおります。

自分の部屋のドアを開け、とことことリビングまで向かいますが——

蒼ちゃんのことが、頭から離れません。

蒼ちゃんと、お話ししたいな……

蒼ちゃんと、また遊びに行きたいな……

蒼ちゃんと、また手を繋ぎたいな……

そんな言葉が、頭の中でぐるぐると蠢いています。

「今日のあんた、ちょっとぼーっとしすぎじゃないの?」

「え?」

その言葉を聞いて、わたしは今リビングのダイニングテーブルに座っていて、目の前に朝食が用意されてあることに気がつきました。

「さっきから話しかけても全然反応しないし、なんかあった?」

「いや、なんでもないよ。ちょっと寝不足なだけ」

「そっか。あんまり夜更かししすぎないようにね」

「うん」と返事して朝食を始めるわたしです。

しゃきっとしなきゃと思ったわたしですが、頭の中の片鱗で蒼ちゃんがこちらをちらっと覗きこんでいます。

そんな姿を見つけてしまうと、吸いこまれるように蒼ちゃんのほうへ足が動いてしまいます。

蒼ちゃんが呼んでる……、行かないと……

……蒼ちゃんが喜んでる……、やった、もっと近づいてみよう。

あ……、蒼ちゃん、待って……。蒼ちゃんが逃げていきます。

わたしはそっと追いかけると——

「あれ、蒼ちゃん、どこ行ったの?」

蒼ちゃんの姿が、まったく見えなくなってしまいました。

わたしにふわっとした不安が芽生えてきます。

でも、大丈夫。絶対またどこかで会えるから。

今はちょっとだけのお別れだよね。

「——彩香。彩香!」

「はっ!」

反射的に声をあげると、目の前に、陽菜ちゃんがいました。

「彩香、本当にどうしちゃったの?」

「え?」

「学校に来てからずっと、魂が抜けたようにぼーっとしてるよ。今日、私が朝から委員会で一緒に学校行けなかったこと、気にしてる?」

「え……、あ……、いや、そんなことないよ」

わたしは、教室にいました。わたしの机の椅子にぽつんと座っています。

なんで、陽菜ちゃんはそんなに深刻そうな顔をしてるの?

「彩香、昨日はちゃんと寝られたの? 朝ごはん食べた?」

「うん」

わたしはにこっと笑顔で答えました。

ですが、陽菜ちゃんはあんまり納得していないような顔をしています。

「そういえば、蒼ちゃん、今日は学校来てるかな?」

「蒼ちゃん?」

わたしがそう問いかけましたが、陽菜ちゃんはわたしの言葉をそのまま繰り返し、首を傾げます。

……あれ、覚えてないの?

「蒼ちゃんだよ。この前、隣のクラスに転校してきた女の子」

わたしは追加で説明をしますが、陽菜ちゃんの顔が晴れることはありませんでした。

そして、ぽつりとひとこと——


「転校生なんて、来てたっけ?」


わたしは、ハンマーで頭を殴られたような衝撃が走りました。

……ひな、ちゃん。なに言ってるの?

数日前に櫻井先生が、転校生が来たって言ってたの覚えてるよね? ホームルームが終わってすぐに隣のクラスへ見に行ったけど、人だかりができていて全然見えなかったじゃん。

それに、あんなにクラス中でも蒼ちゃんのことで話題が沸騰していたのに。陽菜ちゃんも気にしていたよね?

さらには、昨日わざわざこのクラスに来てくれて、自己紹介をしてくれたじゃない。陽菜ちゃん、その時、絶対に教室にいたよ。

覚えていないなんて言わせない。

陽菜ちゃんが近くにいた女の子何人かに「転校生って来てたっけ?」と訊いていますが、みんな首を揃えて「知らない」と首を振っています。

「小日向蒼」という名前にも聞き覚えがないようでした。

するとわたしはだんだん陽菜ちゃんに対して怒りが湧いてきました。

わたしはその怒りを陽菜ちゃんにぶつけようと立ち上がります。

その時——

「っ!」

たまたま視界の隅に、金髪のひとが写りました。

わたしの意識は陽菜ちゃんからそのひとへと移ります。

「……蒼ちゃん!」

それは、確かに蒼ちゃんでした。

金髪で、わたしたちの中学校の制服を着ていて、スカートの前で両手に鞄を持つようにして歩いていて——

そう気づいた瞬間、わたしは教室を飛び出してしました。

遠くで「彩香!」と聞こえましたが、無視して駆けていきます。

——蒼ちゃん、陽菜ちゃんが変なの。陽菜ちゃんが、それにクラスのみんなも、蒼ちゃんのこと、覚えてないって言ってるの。頭がヘンになっちゃったのかな? この前、せっかく勇気を出して、覚悟を決めて、うちのクラスまで来てくれたのにね。ひどいよね、陽菜ちゃん。それはさておいて、昨日のこと、覚えてる? 一緒にゲームセンターに行ったこと。蒼ちゃん、とっても楽しそうだったよ。今日、予定がないなら、一緒に行こうよ。わたし、蒼ちゃんの分までメダル買ってあげるよ。だから、お願い。またわたしと一緒に行って。今度は別のメダルゲームをやりたいかな。ゲームセンターには昨日遊んだゲームだけじゃなくて、他にもたくさん種類があるんだよ。メダルゲームだけじゃなくて、クレーンゲームとか、リズムゲームとか、一日じゃ遊びきれないほどたくさんゲームがあるから片っ端からやっていこうよ。ね? きっと楽しいよ。それと、ちょっと恥ずかしいけど、ゲームセンターを出た後のこと、わたしはちゃんと覚えてるよ。最初は戸惑ったけど、蒼ちゃんが勇気を出してくれて、実はわたし、とっても嬉しかったの。蒼ちゃんが、わたしに心を開いてくれたって感じがして、わたしと心が繋がっているんだって感じがして。わたし、蒼ちゃんのためならなにを差し出してもいい。蒼ちゃんがひとを殺してきてっていうなら、喜んで何人でも殺してくるし、死ねっていうならわたしの命を蒼ちゃんに捧げてもいい。……だけど、死ぬのはちょっとだけ嫌かな。もう蒼ちゃんと会えなくなるんだもの。いや、たとえわたしが死んだとしても、いつまでも天国で蒼ちゃんのこと待ってるよ。天国に行ってもいつまでも一緒にいようね。だからお願い。わたしのそばから離れないで。わたしのこと、愛してるって言って。ねえ、おねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがい——


わたしは、ひたすら走り続けました。

蒼ちゃんの存在を証明するために。

どれだけ息が切れようとも。

どれだけ身体が悲鳴をあげても。

全力で走り続けました。

さっき教室からちらっと見えた場所に行ってみても、金髪の子はひとりも見当たりません。

その周辺もくまなく探してみましたが、それらしいひとの肩をがしっと掴んで顔を確認しては、「すみません」とひとつ謝ってまた探して……、そんなことの繰り返しです。

時間はわかりませんが、もうすでに授業は始まっているでしょう。しかし、授業に出て呑気にお勉強なんてしている暇はありません。

——これはわたしにとって、死活問題ですから。

昼になり、日光の日差しが直撃します。ちょうど夏の時期ですから、今日のような日の日差しはなかなか身体にも堪えます。

夕方になり、カラスの声が響くようになりました。だけど、まだ見つかっていません。学校の周辺は何度も探したし、学校の保健室にも行ってみました。だけど、手がかりすら見当たりませんでした。

すると、ぽんっとひとつの考えが頭に浮かびました。

「もしかして……、蒼ちゃんが転校してきたのも、蒼ちゃんと一緒に手を繋いだのも、蒼ちゃんと遊びに行ったのも、ぜんぶ、……夢?」

そう、夢なのです。今までの出来事は、わたしがみていた夢の世界のお話で、今日の出来事だけが現実なのかもしれないのです。

途端、全身から汗が噴き出すのを感じました。

わたしは近くの電柱にもたれかかれます。

蒼ちゃん、返事、してよ……

嗚咽混じりの声で、そうわたしは言いました。

頬から、涙がこぼれ落ちてきます。

すると、堰を切ったように涙が溢れてきました。

「蒼ちゃん……、蒼ちゃん……っ!」

わたしは、蒼ちゃんの名前をただただ呼び続けました。

返事がなくても……

周りから変な目で見られても……

たとえ、そんなひとが存在しなかったとしても……

わたしは奇跡が起こることを信じて、ただひたすら、蒼ちゃんの名前を——

「みつけた」

わたしの視界に、誰かの影が映りこみます。

——蒼ちゃん?

わたしは涙が溢れ出ている目を影のほうに向けました。

するとそこには——

「残念、蒼ちゃんじゃありませんでした」

陽菜ちゃんが、佇んでいました。

「ひ、な、ちゃん……?」

わたしは掠れている声で、そう言うと、

「探したんだよ。彩香、全然教室に帰ってこないから授業中もずっとソワソワしてたんだから」

陽菜ちゃんが続けます。

「だから授業が終わった瞬間に教室を飛び出して、すぐそこら中を探しまわってたんだよ。感謝してよね」

「……ありがとう」

わたしは反射的に答えます。

「まったく、友達を心配させると、ロクなことにならないぞ〜」

そう言って陽菜ちゃんは、わたしの頬を指でつんつんしてきます。

その時初めて、わたしは陽菜ちゃんに迷惑をかけてしまったんだな、という罪悪感が生まれました。陽菜ちゃんがどんな想いでわたしを探しにきてくれたのか、想像するだけで胸が痛みます。

「ごめんね、陽菜ちゃん……」

そう謝ると、再び涙が溢れ出してきました。人前で泣くのは恥ずかしいのでなんとか抑えようとしますが、どうも不可抗力で——

「よしよし、こっちおいで」

陽菜ちゃんが両手を広げて、わたしを包みこんでくれました。同時に、わたしは陽菜ちゃんのほうに体重を預けて、陽菜ちゃんの胸の中で、赤ちゃんみたいに泣き続けました。

わたし、ずっと、蒼ちゃんを探してて——

でも、全然見つからなくて——

わたし、蒼ちゃんに嫌われたのかな?

だとしたら、ショックで死んじゃうかも……

蒼ちゃんはいないけど、陽菜ちゃんはそばにいてくれる——

それだけで、わたしの心は徐々に癒やされていく気がする。

ありがとう、陽菜ちゃん。

——ともだちって、あったかい。

そう、感じ続けていました。

「もうそろそろ、帰ろっか」

しばらくして、夕暮れから夜に移り変わろうとしている頃、陽菜ちゃんが優しい声でそう言いました。

「……うん」

もうその頃には、涙はおさまりかけていました。

わたしは陽菜ちゃんの胸からそっと顔を離していきます。

——陽菜ちゃんの顔が近くにあります。

これまでの人生で、あんまりひとの顔をじっと見るっていうことをしていなかったからかもしれませんが、陽菜ちゃんの顔を近くで見ると、今まで気づかなかったことに気がつきます。

うっすらとしたナチュラルメイク。まだ中学生なのに、メイクを大人の女性のように使いこなしている印象があります。わたしなんて、メイクをして学校に行こうだなんて一度も思ったことないほどまだまだこどもです。

ぱっつりとした二重。わたしは一重なので、とても羨ましいです。

右の目尻とこめかみの間に、ちょっと大きめで特徴的なほくろがあります。それに唇の少し右下にもちょこんとほくろがあります。ほくろなんて、見れば誰でもすぐ気づくものかもしれませんが、そんなことにすら全然気づかない鈍感なわたしです。

陽菜ちゃんの綺麗な顔を見ていると、今まで知らなかった陽菜ちゃんが見えてきた気がしました。同時に、わたしとの差、みたいなものも見せつけられた気がします。

そんな陽菜ちゃんが優しく、わたしに微笑みかけてくれます。

そのあたたかい表情を見るとネガティブな感情なんて吹き飛んでいく気がしました。

わたしも陽菜ちゃんの笑顔につられるように笑ってしまいます。

「あははっ」

すると陽菜ちゃんはわたしの笑顔で笑っていました。

「もう、なに笑ってるの」

「ごめんごめん。あ、はい、これ彩香の鞄」

「ありがとう。持ってきてくれたんだね」

「もちろん。手ぶらで飛び出した彩香とは違うんだよ」

「ひどいよー、わたしだって必死だったんだから」

ふたり並んで歩きます。

わたしと陽菜ちゃんが肩を揃えて帰ることが、ひどく懐かしく感じました——




次の日には、ずいぶん心が落ち着いていました。

ですが、やっぱり蒼ちゃんがいないことでがっかりしているわたしもいます。

保健室に行ってみても、隣のクラスを覗いてみても、陽菜ちゃんに改めて訊いてみても、蒼ちゃんの情報を得られることはありませんでした。

その現実を素直に受け止めるしか、選択肢は残されていなかったようです。

——きっと、とてもリアルな夢を見ていたんだね。

自分でそう納得させることにしました。

わたしは陽菜ちゃんと一緒に仲良くお話ししながら登校してきて、今は授業に向けて引き出しに教材を入れたり、宿題の確認をしたりなど準備をしています。

すると——

『なにか趣味とかある?』

という言葉が、見えました。

自分の机の隅で。

……あ。

すっかり、忘れていました。

わたしは机の隅で、誰かと文字で会話をしていたのです。

そのことが、あろうことか、この瞬間まで綺麗さっぱり記憶の彼方まで飛んでいっていたのです。

——返事しないと……

わたしは急いで『お菓子をつくることかな……』と返事を書きます。ですが、今から授業なのですから、今書こうが今日最後の授業が終わる頃に書こうが同じことだ、ってことに気がつきます。

……あれ?

この子とのやりとりは、現実なんだ。

確かこの子とのやりとりが始まった日と、蒼ちゃんが転校してきた日は、同じ日だったはずです。

だけど——この子とのやりとりは現実で、蒼ちゃんの転校は現実じゃない?

その証拠に、この子が最初わたしに話しかけてくれた『……みえてる?』という文字は机の端にちゃんと残されています。

あの日のことは、夢と現実がごちゃごちゃになって覚えているのかな?

そう推測しつつ、あの日のことを思い出そうとします。

——あの日は、普段となにも変わらない朝から始まりました。

いつも通り朝食をとって、陽菜ちゃんと一緒に学校に行くと校舎付近で人だかりができていて……

それから、櫻井先生が「転校生が来る」ってホームルームで言って……、みんなで隣のクラスに見にいったのです。

ですが、わたしは背が低いから全然見えなくて、陽菜ちゃんにからかわれたのです。……思い出すと恥ずかしい。

放課後は陽菜ちゃんに委員会があったから、わたしは図書室にいました。

気づくとわたしは眠っていて、起きた頃には陽菜ちゃんがそばにいたのです。

そして一緒に帰ろうとしたのですが、わたしが教室に忘れ物をしたことを思い出して急いで取りに戻ると——

『……みえてる?』の文字と出会ったのです。

一通り思い出してみました。ですが、どれが現実で、どれが夢か全く見分けがつきません。

ただ確かなのは『……みえてる?』は本当で、転校生は本当じゃない……ということ。

ばかなわたしには、結局なにもわかりませんでした。

そもそもなにについて考えているのか、なにを確かめたいのか、確かめてどうなるのか。

そんなことすらわからない混乱の中で、目的地も現在地もわからずに彷徨い続けている間に、櫻井先生が教室にがらがらとドアを開けて入ってくるのでした。


その次の日から、わたしは机に書かれた文字を通して知らない誰かとお話しするのが日課になりました。

わたしが授業中にメッセージを書きます。すると次の日の朝、学校に来て机を見てみると返事が返ってきているのです。

『そういえば、あなたの名前はなんていうの?』

『ひまわり。本名じゃないんだけど、そう呼んでくれると嬉しい』

『わかった。それにしても、どうしてひまわりなの?』

『特に理由はないんだ。単純に見た目が好きっていうだけで。あと、花言葉とかも好き』

『今、調べてみたんだけど、あなたを見つめる、とか、憧れっていう花言葉なんだね。すごく素敵』

『でしょ。ひまわりって、必ず太陽の方を向いて咲くんだって。太陽に憧れを抱いて咲いてるって思うと、とてもロマンチックだよね。あやかは何か憧れとかある?』

『憧れてるっていうほどじゃないけど、現実にはいない蒼ちゃんっていう女の子のことが忘れられないんだ』

『どういうこと? よかったら詳しく教えてよ』

『あのね。この前……』

なんてやりとりを続けていました。

しばらく続けていくと、わたしの机がメッセージだけで埋まっていきそうになってきました。先生に見つかったりしたらまずいので、最初の方のやりとりは消して、そのスペースに新たなメッセージを記入するというふうになっていきました。

ひまわりちゃんの顔や、声や、心情を想像しながらやりとりをするのはとても楽しいです。

その日の朝、教室に入って真っ先に机のメッセージを確認します。

するとそこには——

『彩香。よかったら今度ひまわり畑に行ってみない? 彩香と一緒に行ってみたかったんだ』

と書かれていました。

——一緒に行くってことは、ひまわりちゃんと会えるってことなんだよね……? どんなひとなのかな。

文字から察するに、多分女の子だと思うけど……、

もし、へんなひとだったらどうしよう……。

それだったら嫌だけど、だからってせっかくのチャンスを無駄にするわけには……

なんてことを思いながら、返事を考えます。

頭の中で賛成派のわたしと反対派のわたしが、天使と悪魔が言い争っているように闘っています。

「ひまわりちゃんと会えるチャンスなんだから、行くべきだ!」と主張する賛成派のわたし。

「もしもこれが罠だったらどうするんだよ!」と反論する反対派のわたし。

行こう、と思ってもやっぱりどうしよう、と振り出しに戻ってきて——

やめておこう、と思っても考え直そう、とまた迷って——

優柔不断なわたしはいつまで経っても決めることができずにいるのです。

ひまわりちゃんとのやりとりは誰にも言っていません。家族にも、陽菜ちゃんにも、そして、蒼ちゃんにも——

だから、誰にも相談できずにただひとりただ立ち尽くして考え続けていたのです。

ずっとずっとずっと、迷い続けています。

だけど、放課後までには答えを出さなければいけません。

悩みに悩んだ末、わたしは結局、行く、ということを選択しました。

そのことを机に書くとき、とても躊躇してなかなかシャーペンを動かすことができずにちょっとだけ震えたような文字になってしまいましたが、ちゃんと自分の答えを出せてよかったって思っています。

すると翌日には、『ありがとう』と返事が来て、日にちと、場所と、時刻が書かれてありました。

そんなことがあって——

日曜日の二時頃、わたしは近くのひまわり畑に来ていました。

着いたのはいいんですけど、集合時間よりも一時間も早いです。

家ではずっとそわそわしていて、いてもたってもいられず「ちょっと早いけど行っちゃおう!」と意気揚々に家を出たのですが、こんなに早く着くとは思ってもいませんでした。

それに、ひまわり畑に直接集合で本当によかったのな——?

てっきりわたしは駅かどこかに集合して、一緒にひまわり畑まで歩いて「わ〜、すごいね!」とふたりで感動するということを脳内でシュミレーションしていたのですが、ひまわりちゃんの考えはそうではなかったようです。

あんまり考えすぎるは良くないな、と頭を振って目の前の景色に集中します。

数百、数千、数万……?

いくつあるのかわかりませんが、とにかくとってもたくさんあるひまわりたちが、一斉にこちらを向いています。

「きれい……」

ぽつりと声に出してしまいます。

夏の暑さなんて消し飛ぶような美しい光景が、目の前に広がっていました。

どうして、今まで一度も来なかったんだろう、と思ってしまうほど、ひとつひとつのひまわり強く、逞しく、そしてかわいらしく咲き乱れています。

そんな景色に見惚れていると——

「あ、あの……」

誰かが、わたしに声をかけました。

その言葉にわたしは声の主のほうを見ると——


そこには、蒼ちゃんがいました。


「あ、蒼……、ちゃん……?」

確かに、蒼ちゃんでした。

蒼ちゃんが白いワンピースを着て、日傘を差して、わたしの目の前にいます。

なんで、蒼ちゃんが——?

あれは、夢じゃなかったの——?

どうして、ここに——?

わたしの頭は混乱を極めていて、思考もうまくまとまらず、なにを言っていいのかもわかりませんでした。

わたしは夢なんじゃないかと思って自分の頬をつねります。

……痛い。

結構、痛いです。

ということは、今は現実で……、蒼ちゃんといたことも、現実、なんだよね……?

わたしはそのすべてが現実であることを確認するために、

「蒼、ちゃん、だよね」

と、わたしがそう尋ねると——

「は、はい。そうです……」

蒼ちゃんが、わたしから目線を外して少し俯いてそう言いました。

その瞬間——

わたしの頭の中に、蒼ちゃんとの思い出がなだれこむようにフラッシュバックしてきました。

わたしの登校中に話しかけてくれたこと——

初めて手を繋いだこと——

自己紹介をしにわたしのクラスにまできてくれたこと——

一緒にゲームセンターに行って遊んだこと——

そして、そのあと、駐車場で——

今まで忘れかけていた、いや、忘れようとしていた大事な記憶が、わたしを優しく包んでくれます。

蒼ちゃんとの思い出って、思い出して見るとあんまり多くないのかもしれません。

だけど、ひとつひとつの出来事が濃くて、鮮明で、楽しくて、わたしにとっての宝物です。

わたしは膝から崩れ落ちて、その場に座りこんでしまいます。

同時に、涙がこみあげてきました。

蒼ちゃんがすかさず「大丈夫ですか⁉︎」と手を差し伸べてくれます。

——やっぱり、蒼ちゃんは優しい。

そう実感しながら、蒼ちゃんの手を取ります。

今日がとても暑かったからでしょうか、蒼ちゃんの手は少し温かく感じました。

わたしは人差し指の側面で拭き取りながら、立ち上がり——

「蒼ちゃん。久しぶりだね」

そう笑顔で言いました。

「はい」

蒼ちゃんも、笑顔で答えてくれます。

すると、蒼ちゃんは少し気まずそうにして、

「実は、彩香さんの机に文字を書いていたのは、私なんです」

「……そうだったんだ」

ちょっとだけ驚きましたが、直後に安心へと変わりました。

——そっか。蒼ちゃんだったんだね。

なんだか、わたしの心までにっこりと微笑んでいる気がします。

——蒼ちゃんは夢なんかじゃなかった。ちゃんと現実にいていれたんだ。そして、今こうしてわたしのそばに来て会いに来てくれたんだ。

蒼ちゃんを最後まで信じきれなかった過去のわたしが恥ずかしい。

もう、蒼ちゃんを放さない。

そう心に誓って、改めて目の前にいる蒼ちゃんのほうを向きます。

「じゃあ、行こっか」

わたしは蒼ちゃんに手を差し出し、そう言います。

ひまわり畑には横断できる道があります。その入り口にアーチがあって、そこを蒼ちゃんと一緒に通ろうと思っていました。

すると蒼ちゃんは、

「えっと、この手は?」

と言いました。

その問いかけに、わたしは首を傾げてしまいます。

「手を繋ぐんだよ?」

と、わたしが言うと、

「えっ⁉︎」

と蒼ちゃんは驚いた様子でした。

そんな大きな声を蒼ちゃんから聞いたことがないので、わたしまでびっくりしてしまいます。

——そんなに驚くことかな? 今までは蒼ちゃんのほうから手を繋ごう、って誘ってくれたのに。

わたしから誘うのは初めてだからかな、と自分に言い聞かせ、あたふたしている蒼ちゃんの手を取ります。

「ほら、早く行こうよ」

わたしは遊園地で待ちきれずにお母さんを無理やり連れていこうとするこどものように、蒼ちゃんを引っ張っていきます。

「ちょっと、彩香さん!」

蒼ちゃんの前でだけ、わたしはわがままになれる気がします。

友達、とはちょっと違う、不思議な関係のわたしたち。

そんなわたしたちが、綺麗な景色の中で手を繋いで歩いています。

爽快感のある雲ひとつない青空——

左右には、元気に咲き誇っているたくさんのひまわり。

そして、そばには、愛しい蒼ちゃん。

なんだかとっても開放的な気分になります。

「彩香さん、日焼けしますよ」

と、蒼ちゃんが持っていた日傘にわたしもいれてくれます。

「相合い傘だね」

「わざわざ言わなくてもいいですよ」

えへへ、とつい笑ってしまうわたしです。

蒼ちゃんはわたしの左隣にいて、ふたりで影の世界を共有しています。

蒼ちゃんとわたしだけの世界だ、って若干どきどきしていて——

時々ちらっと蒼ちゃんのほうを見てみるのです。

蒼ちゃんの表情がわたしの視界に入るたびに心臓が跳ね上がっていくのですが、それとは別にあることに気がつきました。

それは、蒼ちゃんの左手です。

わたしの左手と蒼ちゃんの右手がつながっているから、蒼ちゃんは左手で傘を持たなければならないのです。

……なんだか窮屈そう。

「蒼ちゃん、傘、わたしが持つよ」

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」

「でも、左手で持つの、大変じゃない?」

「まあ、そうですけど」

「じゃあ、代わって」

「いえ、これくらい、私がやりますよ」

「おねがい〜」

「じゃあ、持ちやすいように、手離しましょうよ」

「そんなの絶対やだよ」

とそんな会話をしながら、歩いていきます。

どれくらい時間が経ったでしょうか。

あっという間に出口にまでたどりついてしまいました。なんだか名残惜しい気分です。

そう思ったわたしは——

「蒼ちゃん、もう一回この道渡ろうよ」

「もう一回ですか? もう疲れてしまいました」

「そっか……」

しょんぼりしてしまうわたしです。

そんなわたしを見て蒼ちゃんは、

「……わかりました。でも、もう一回だけですよ」

「ほんとに?」

そう言ってくれるのはもちろん嬉しいのですが、蒼ちゃんに気を遣わせちゃったかな? とちょっとだけ申し訳なくなります。

わたしと蒼ちゃんは踵を返し、来た道を戻ります。

またひまわりがわたしたちを出迎えてくれた感じがして心が高鳴ってきます。

蒼ちゃんといると、やっぱり楽しいなって改めて時間するわたしでした。


ふたたびひまわり畑を横断する頃には、わたしも疲れていました。

ふと隣を見てみます。蒼ちゃんも汗をかいているようです。

「蒼ちゃん、流石に疲れちゃった?」

「そ、そうですね」

日傘を差しているとはいえ、夏の暑さはわたしたちの体力を奪っていきます。

「もう、帰りましょうか」

蒼ちゃんがそう言いました。

蒼ちゃんと別れることはやっぱり名残惜しいことですが、わたしは「うん」と頷くことしかできません。

ふたりで近くの駅まで歩いていきます。

その間、わたしと蒼ちゃんの間に会話はありませんでした。

ですが、それは決して気まずい沈黙ではありません。蒼ちゃんがそばにいてくれるだけで、わたしの心は満たされているのです。

——蒼ちゃんも、そうだったらいいな。

わたしはエスパーではないので、蒼ちゃんが何を考えているのかなんてわかりません。

蒼ちゃんはわたしといて楽しいのかもわかりません。

もしかしたら、一方的にわたしだけが満たされていて、蒼ちゃんはわたしのためにわざわざやってくれていることもあるのかもしれません。

でも、もしそんなことがあったら、いやだな……

蒼ちゃんにも楽しんでほしい。わたしと心と同じように、蒼ちゃんの心も満たされてほしい。

蒼ちゃんがわたしにいろんなものを与えてくれたように、わたしも蒼ちゃんにできる限りたくさんのものを与えたい。

そんなふうに思ってしまいます。

でも、わたしは蒼ちゃんに何をしてあげればいいのでしょうか?

わたしは、頭がいいわけでもないし、運動ができるわけでもない。これといって特技はないし、自信を持っているものもない。

それにわたしは、臆病で、どんくさくて、優柔不断で……

特別な何かはなんにもできないけれど——

わたしにも、ひとつだけ、できることがあるがあるのです。

それは——

蒼ちゃんのそばにいてあげること。

蒼ちゃんが望む限り、ずっとです。

くだらないことで笑いあって、小さなことでも一緒に共有して、苦楽を共にする——

そんなふうに、生きていきたいって思っています。

おっと、そろそろ駅が見えてきました。

先ほど蒼ちゃんが言っていたのですが、蒼ちゃんは今日車で送迎してもらっているらしいので、駅に着くと解散になってしまうそうです。

ですがその前に、やっておかなければならないことがあります。

「蒼ちゃん」

「なんですか?」

わたしは周りにひとがいないことを確認し、蒼ちゃんに抱きつきました。

「⁉︎」

蒼ちゃんが声にならない声をあげますが、わたしは無視してさらに力を込めて強く抱きしめます。

「あ、彩香?」

蒼ちゃんも腕をわたしの背中にまわしてくれました。

それだけで、今日まで生きてきてよかったって多幸感で満たされていきます。

それを実感しながら、わたしは蒼ちゃんの耳元で囁きました。


「あなた、蒼ちゃんじゃないよね?」


目の前の耳が、赤くなっていきます。

それを見て、わたしは先ほどの発言が正しいことを確信するのです。

そして——

「陽菜ちゃん、だよね」

「っ!」

どうやら、当たりのようです。

わたしは蒼ちゃん、もとい陽菜ちゃんへの抱きつきをやめて、陽菜ちゃんの顔を見つめます。

「いつから、気づいてたの?」

「さっきだよ。陽菜ちゃんのここで」

そう言って、わたしは自分の右目の目尻とこめかみの間を指差します。

ここは——先日、陽菜ちゃんがわたしを探しだしてくれたときに発見した、陽菜ちゃんのほくろの位置です。

その位置にある陽菜ちゃんのほくろは、大きくて特徴的だったのでよく覚えていました。

それだけじゃありません。

今日、陽菜ちゃんの行動や言動も、少し蒼ちゃんらしくないなってずっと思っていたのです。

わたしが手を繋ごうとした時や、さっきみたいに抱きつこうとした時。

陽菜ちゃんはとても驚いた様子でした。

まるで、初めて蒼ちゃんに手を繋ごうと言われた時のわたしみたいに。

確かに、陽菜ちゃんにはそういったスキンシップをしたことがなかったので、驚くのは当然だよねって今では思います。

それに正直、言おうか迷っていました。陽菜ちゃんを蒼ちゃんのままにして解散する、という選択肢もあったのですが……

やっぱり、「言う」という選択を選んだのは、知りたかったからなのだと思います。

どうして、陽菜ちゃんが蒼ちゃんになろうとしたのかを。

わたしは陽菜ちゃんを見つめ——

「陽菜ちゃん、どうして蒼ちゃんになろうとしたの?」

そう訊くと、陽菜ちゃんは顔を赤らめました。

どうやら、恥ずかしがっているようです。

「言いたくないなら、言わなくてもいいよ」とわたしが口を開こうとしたその時——

「彩香のことが、好きだから」

……え?

わたしはぽかんとしてしまいます。

そして陽菜ちゃんは何かを諦めたかのように——

「実は、小日向蒼の正体は、美咲だったんだ」

陽菜ちゃんが続けます。ちなみに、美咲というのは、陽菜ちゃんの双子の妹のことです。

「私、彩香とはずっと幼馴染だったから、今更『好き』だなんて言えなかった。だから、私は彩香と新しい関係を築きあげる必要があるって思ったの」

『好き』の意味が友情的に、という意味ではないことは鈍感なわたしにもわかりました。

わたしが言葉を挟もうとしますが、どんどん陽菜ちゃんの言葉はわたしの耳になだれこんできます。

「まず、美咲に協力を仰いで、転校生としてうちの学校に来てもらった。美咲はお嬢様学校に通ってるけど、日々『退屈だ』とか、『受験しなきゃよかった』だなんて愚痴を聞かされていし、ひどく気分屋なあの子のことだから、協力を求めると喜んで承諾してくれた。

次に、美咲が演じている『小日向蒼』という名前の転校生がいることを彩香に知らせる必要があったけど、それはスムーズに行えた。櫻井先生が告知してくれたし、その後騒ぎにもなったんだから、彩香は嫌でも気になるだろうなって思った。

そして、私は『ひまわり』として彩香と接触を始めた。彩香がいない隙に机にメッセージを書くってことは結構難しかったけど、彩香より早く学校に来たり、放課後彩香が帰ったりした後に書いたりしてた。

その次に、『ひまわり』の私は彩香をどこか遊びに行こうって誘った。それが今日だよね。その日に、普段は美咲が演じている『小日向蒼』を今日限り、または今日以降私が美咲と入れ替わって演じることで、彩香と『志崎陽菜』じゃない私との新たな関係ができるって思った。

これが一連の流れ」

わたしは陽菜ちゃんの言葉に耳を傾け続けます。

「だけど、トラブルが起こった。美咲があまりにも天真爛漫すぎたの。私は彩香に接触するなって忠告しておいたはずなのに、美咲が見事にそれを破った。初日で手を繋いだりしてるんだし、美咲とキスまでしたんだよね。私、知ってるんだよ。美咲に問いただしたら全部吐いてくれたから。あんたも彩香のこと好きなのって訊いたら、『いや、別に。その方がお姉ちゃんにとっても好都合かなって』って言ってた。本当、演技力あるのに性格悪かったら迷惑被るわ。

このままだと美咲が彩香に何をしでかすかわからないと思った私は、美咲にしばらく退場してもらうことにした。美咲には少しばかり仮病で欠席させて、私がクラスのみんなにお願いをして『小日向蒼』を知らない演技をしてもらった。そうして『小日向蒼』は実在しないということを彩香に思わせることで、美咲が演じた『小日向蒼』との思い出をリセットさせようとしたの。美咲のスキンシップによって彩香を刺激しすぎると、彩香も混乱すると思ったからね。

そして今日、私が『小日向蒼』としてきたわけなんだけど、びっくりしちゃった。彩香、想像以上に大胆になってるんだもん。

それに、彩香は意外に鋭かった。いくら私と美咲が似ていて、同じ人物であるように振る舞っても見破っちゃうんだからね。最終的には、彩香に私が私であると気づかれて計画が全部水の泡になっちゃった。

っていうのが、ことのすべて。

……私のこと、嫌いになった?」

陽菜ちゃんは、照れ隠しをするように早々と説明して——

わたしはそれを黙って聞き入れて、頭の中で整理していました。

……陽菜ちゃんって、意外と策士だったんだ。

陽菜ちゃんは密かにわたしと恋人になる計画を練って実行していたということなのです。

美咲ちゃんと協力して、今まで上手くいっていたのに、最後の最後でわたしに見破られた、ということ?

——陽菜ちゃん、そんなことをしてまで……

わたしは、陽菜ちゃんにそんな素性があるってことにも、陽菜ちゃんの気持ちにも、気づいていなかったのです。

それに今までの蒼ちゃんは美咲ちゃんだった、ということにも驚きです。

小学校のイメージと違っていて、全然気づく気配すら感じられませんでした。

髪も黒髪から金髪になっていたし、多分、メイクとかをしていて、演技力もあったから、わたしはまったく気づけなかったのでしょう。

陽菜ちゃんとも、美咲ちゃんとも、小さい頃からずっと一緒にいたのに……

本当に、鈍感なわたしです。

自分のことが嫌いになってしまいそうです。

けど——

そんなわたしを好きになってくれる子がいるのです。

目の前にいるその子の表情は、今にも泣き出してしまいそうな目をしていました。

——そっか。陽菜ちゃんは、怖かったんだ。

わたしが男の子だったらよかったのにね。神様は意地悪で、わたしを女の子にしちゃったから、陽菜ちゃんは葛藤を抱えることになってしまった。

陽菜ちゃんはかわいくて、でもかっこよくて、魅力的な女の子。だから、どんな男の子とでも付き合えた。

でも、好きになったのは、女の子あるわたしだった。しかも、わたしと陽菜ちゃんは幼馴染。今まで築きあげてきた「友達」という壁が陽菜ちゃんをさらに苦しめた。

そんな葛藤を抱えながらも、自分の気持ちに素直になって、わたしに『蒼ちゃん』として接近した。

だけど、正体をわたしに見破られ、タネ明かしまですることになった。

そんな陽菜ちゃんは——

今、「彩香に嫌われるんじゃないか」って、「今までの関係が壊れてしまうんじゃないか」って、ものすごい恐怖と闘っているんだ。

わたしはそっと陽菜ちゃんの手を取ります。

すると陽菜ちゃんはゆっくりと顔を上げました。

だけど、まだわたしとは目が合いません。

それに、泣き出してしまいそうな暗い表情もなくなりません。

だからわたしはまっすぐと陽菜ちゃんを見つめて——

「本当のことを言ってくれてありがとう。嫌いになんてならないよ」

わたしは陽菜ちゃんを安心させるように優しく言いました。

「でも、彩香を騙そうとしてたんだよ?」

「騙してなんかないよ。ちょっとびっくりしちゃったけどね」

わたしは微笑むようにして言いました。

陽菜ちゃんが本音をわたしにぶつけてきてくれたのだから、わたしもそれに応えないと。

わたしは陽菜ちゃんを握る手に少し力を込め——

「わたし、陽菜ちゃんのこと、好きだよ」

陽菜ちゃんの表情が少しだけ明るくなったような気がしました。

やっと目線をわたしの目まで上げてくれた陽菜ちゃんと目が合います。

その目は、まだ不安が隠されていそうな目でした。

その不安が含まれているような震えた声で陽菜ちゃんは、

「美咲じゃなくて、私?」

と尋ねてきました。

もう、不安にはさせない、と思ったわたしは——

「うん、美咲ちゃんじゃなくて、蒼ちゃんでもなくて、陽菜ちゃんが好き」

この時になって初めて陽菜ちゃんの表情が明るくなり、微笑んでくれました。

陽菜ちゃんの笑顔が見られただけでも、わたしも勇気を振り絞った甲斐があります。

「私と、付き合ってくれる?」

陽菜ちゃんがはっきりとした声でそう言いました。

その声色には、今までと違う関係になる新たな一歩を踏み出す覚悟と恐怖が感じられました。

——「好き」って言ってくれたけど、それは恋愛的な意味ではなくて友情的な意味かもしれない。

——もし断られたら、一生この選択を後悔するかもしれない。

陽菜ちゃんは、そんな想いを抱えているのかもしれません。

だけど、わたしの答えは、問われる前から決まっていました。

——夕焼けが照らす駅前。

その張り詰めた気持ちをわたしが優しく包んであげるように、陽菜ちゃんの中にある罪悪感を和らげてあげるように、今まで仲良くしてもらった恩を返すように、わたしは笑顔で言いました。


「こんなわたしで、よかったら」

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こんなわたしで、よかったら 松本凪 @eternity160921

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