第八章 隣の優等生は、鍋で温まりたいっ

第40話 冬は、鶏の水炊き

 あたしの実家である大衆食堂「ゆーへー」では、冬になると鍋を出す。


 家庭用の鉄鍋を使って、鶏の水炊きを振る舞うのだ。

 具材は、白菜とシイタケ。鶏ももだけではなく、つみれも出す。

 シメはうどんか、雑炊で選べる。


「いすゞちゃん。これ、夏も出してくれよ~」


 常連の一人が、ビールを煽った。


「おっちゃん、勘弁。他のが売れなくなるから」


「それもそうかガハハ!」


 客全員が、笑い出す。


 久々にバイトをしているが、やはりここの雰囲気はいい。


桃亜ももあ、うまいか?」


 カウンターで鍋をハフハフしている桃亜に、声を掛ける。


 桃亜はコクコクうなずいた。豆腐が熱くて、声を出せないのだ。


「落ち着いて、食ってくれな。休憩時間はまだまだあるから」


「ふあい」


 なんと今日は、桃亜もうちのエプロンをしている。



 話は数日前から。


 母が、胃腸の病気で入院してしまった。


 医者によると、年代的なストレスが溜まっていたんだろうという。


 母は人当たりがいい。家庭に不満があったとか、客と揉めてイラつくなどとは無縁の人だった。


 なので、あたしたち家族も油断していたのである。


 人間関係ではなく、単に年齢的なものだから、すぐに治る可能性があるらしい。


 しかし、大事を取って一ヶ月ほどは休みましょうと、医者に告げられた。


 ちょうど冬休みに入ったので、あたしは店に戻ることに。ちょうど冬休みに入ったところなので、いつでも手伝える。

 

 それを聞いた桃亜が、ウチの家業を手伝うと言い出した。「いつも自分ばっかり美味しいものを食べさせてもらって、悪いから」と。


 桃亜にも仕事があるので、午前中だけ働いてもらうことにした。


「すいません。せっかく手伝いにきたのに、食べてばっかりで」


 食べる手を止めて、桃亜は申し訳なさそうに箸を置く。


「ぶっちゃけ、桃亜。あんたは食ってるだけで、いいんだよ」


 桃亜の食べている姿を見せるだけで、「この店は絶対にうまい」とわかるからだ。


 初日の朝にも、桃亜はここでしょう油ラーメンとカツ丼を食べている。あたしが食べさせたのだ。

 

 そしたら、いきなり外人客が「ハンカチ!」、「タカクラ!」とか言い出して、店に入ってきたのである。映画に出てきたメニューを桃亜がうまそうに食っていたから、気になったらしい。あとみんな、瓶ビールを頼んでいた。


「あれのおかげで、ビール・ラーメン・カツ丼が『ハンカチセット』として爆売れたからな! ありがてえ!」


 カウンターの向こうで鍋を振っていたオヤジが、ゲラゲラと笑う。


 桃亜の食べっぷりを見た観光客は、今でも店にドンドン入ってくる。「下町の穴場スポット」として、軽バズりもしていた。創業以来の大盛況である。

 もっと他にも回るスポットがあるだろうに、わざわざ「ゆーへー」に足を運んでくれているのだ。


 水炊きも、大繁盛していた。


「実はこの鍋な。すき焼き用だったんだ」


 オヤジが、カウンター越しから桃亜に話しかけた。


「ですよね。水炊きと言うと、土鍋というイメージがありました」


「ところが、外国人は生卵を食わねえって聞いてさ。それで急遽、水炊きに変更したんだよ」


「いいと思います。江戸時代の軍鶏シャモ鍋を食べている気分に、浸れますから」


「そう言ってもらえると、ありがたいね。オレも池波正太郎は、読むから。ジャンジャン食ってくれな」


「はい」


 竹の筒に入ったつみれを、桃亜はドンドンと鍋に放り込む。

 

「桃亜こそ、朝から鍋とか、重たくないか?」


「まったく。スルスル入っちゃいます」


 平然と、桃亜は鍋を消費していた。


「この鶏、めちゃくちゃおいしいです。お鍋用に育てたお肉ですか?」


 めんつゆにつけた鶏ももを、桃亜は口に運ぶ。


「いや、スーパーで仕入れてるんだけど?」


 鶏ももには、下味もなにもつけていない。変にいじるより、そのほうがうまいから。専用の業者だと、高くつくし。


「どっちかっていうと、つみれかな?」


 特別な味付けをしていて、煮ていくごとに味が鍋に染み込んでいく。

 竹筒からスプーンで小分けして、自分で入れる。そのスタイルも、外国人客にウケた。


 桃亜の鍋から、具材がなくなりつつある。二人前のはずだよな? 一人前くらいの消費スピードだ。


「おいしいです。温まります」


「シメはうどんか、雑炊にできるけど?」


「雑炊で」


「あいよ。雑炊で!」


 あたしが告げると、オヤジが「おう!」と返答した。


 ゴハンと卵を用意して、桃亜の横に置く。


「セルフスタイルですね」


「お好みの味付けでどうぞ」


「はい。いただきますっ」


 具材のなくなった鍋の中に、桃亜はライスを落とす。調味料で味を整え、仕上げに卵を投下した。


「では……はふう」


 桃亜が、控えめにウットリした顔に。さすがに人前なので、あたしといるときのようなオホ声は出さないか。


 しかし、桃亜はずっと笑っている。おいしくて、たまらないのだろう。


「つみれから滲み出た味が、雑炊の中にも含まれて。これは、たまりませんね」


 レンゲで雑炊を食いながら、桃亜はまたニコニコに。


 その姿に、観光客がまた殺到してきた。

 

 二人前の雑炊を、桃亜はあっという間に平らげる。


 観光客が「アメイジング!」と肩をすくめていた。


「ああ。うどんもほしくなりますね」


「明日も食えるなら、食う?」


「ぜひぜひ」

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