スカイフィッシュにうってつけの夜
ごま
スカイフィッシュにうってつけの夜
第1話 退屈な放課後
シーラカンスが空を飛ぶ三時間前のことである。
初夏の放課後、部室棟内の階段を一人の女子生徒がのぼっていた。すらりとした手足を軽快に弾ませながら上がりきり、そのまま林しずかは廊下を歩きだす。『オカルト研究部』とごてごてした書体で書かれた表札が貼られているドアを開け、中へ入っていく。出てくるとその両手にはボードゲームのオセロがのっていた。片足でひょいとドアを閉めて、隣の部室へとむかった。ノックもすることなくドアを肘で開ける。
そのドアには『ミステリー研究部』と書かれていた。
林がその扉を開けたときには二人の少女が居た。一人はクリスティの原書を耽読していて、林の相手を務められそうにない。カーテンのされている窓を背にした席でぐったりと休んでいるもう一人の小柄な少女と遊ぶことにした林は、彼女の前にある机にオセロ盤を置いた。それから壁際にあったパイプ椅子を持って、その少女、山田まやのところへと行く。山田は一人用ソファに深く寄りかかりながら、部室は涼しいねぇと呟く。もっともだ、外は蒸し暑いと林も同意しパイプ椅子に座った。
「なにこれ」
「オセロ。白黒戦争とも言う。白黒つけようじゃないか」
「なぜ? ふぁい?」
「だって、楽しい文化祭も終わって暇だし、寂しいし、遊びたいから」
林は歌うようにそう答えた。期末試験の九日前であるというのに暇だとはなかなかの図太さである。こうでなくては暇人としてはやっていけない。三日前くらいで慌て対策し始めるのが暇人らしいものだ。
「文化祭って先月じゃん。あと私は動きたくないの。いまは安楽椅子探偵、あーむちぇあ・でぃてくてぃぶの気分なの」
「じゃあ、私が負けたらジュース買ってくるってのは?」
山田はぴくりとおさげを揺らす。オセロ盤に目をじぃっと注ぐ。
「言ったね。ジュース買ってきてよ。コーラが飲みたかったの」
「負けたらね。そうだな、私が勝ったらそのソファの占有権を一時的に頂こう」
「いいよ。何時間でも座らしてあげる」
こうして白黒戦争が勃発した。暇人たちの戦争であった。その戦いはどうなったのであろうか。ミス研唯一の男子部員である黒瀬ロクが部室にのこのことやってきたときには、林が優雅に長い足を組んで黒革のソファに身を預けていた。彼女は、おじゃましてるよ、と黒瀬に挨拶する。はあ、と黒瀬は返事してから、アガサ・クリスティの原書と戦う少女をちらりと見て、自席にカバンを置き、上級生二人の所に近寄る。 山田は腕を組んで唸っていた。林は肘掛に頬杖をついて、目を瞑っている。盤上を見れば、四隅に黒が置いてある。
「どっちが黒ですか?」と黒瀬は二人に聞く。
「黒は腹黒い私でね、無垢な山田ちゃんは純白さ」と余裕を保つ林が答えた。
「はあ、なるほど。腹黒い方が勝ちますからね、ゲームってのは。道理で黒が多いわけだ」
「うるさい、ろっくん、だまれ」
山田は押し殺した声で呟き、黒瀬は黙る。それから彼女は白を四つほど増やしたが、林は黒を五つほど増やした。ふたたび山田は敗北に帰した。
「もう一回!」
山田は懲りずに叫ぶ。林はニコニコしてそれを受け入れる。黒瀬は自席のイスを持ってきて、二人の横に座る。こうして暇人が一人増えた。古人も言っている。無聊は烏合で慰めるものだ。
「ところで」と林は二隅を支配したところで口を開く。「文化祭も無事終わって一息つけるころになったね。そういう時にこそなにか怪異がふらっとやってくるものだとおもっているんだが、どうだろうか、不思議なことに出会ったかい?」
「いや」と山田と黒瀬はそろって言う。
「そうか。お互いミステリーとかオカルトとかの名を掲げておきながら、なかなか不可思議なことの当事者にならないものだねぇ」
「そんなに会いたいんなら、深夜の墓地に行けばいいよ。なんか出てきそうじゃん」
山田は残る隅っこを得ようと色々と画策しながら応えた。うーんとか唸りながら林は白を黒に変える。
「幽霊とか、別に珍しくないから不思議じゃないよね」
「あれれぇ、オカ研部長がそんなこと言っていいの?」
山田は黒を三つほど白くする。黒瀬はそれを見て残念そうな顔つきをする。林はニコニコしながら白を一つ裏返して、応える。
「ウチの部室にたくさん居るから、幽霊さんは」
「はあ?」と山田は疑念の眼差しで正面の少女を見る。
「オカ研だから幽霊部員しかいないんだ」
「ああ、そっちの幽霊ね」
山田は納得して駒を置く。その駒によって林は角を得る。山田は声にならない悲鳴をあげた。
「掛け持ちで入部してる人が多くてねえ。私しか非幽霊部員はいないんだな。おかげで二年なのに部長を任された。文化祭終わっちゃったらみんな忙しくてあんまし来てくれないんだ。寂しいね」
「どんぐらいの人が入部してるんですか?」黒瀬は盤上から目を離して林に聞く。
「二十人くらいかな。多いよね。なんでかなぁ。ミステリーだよ。ああ、あと文科系の部活を掛け持ちしてる子が多いね。料理研究部とか、新聞部とか、手芸部とかも。体育会系の子達も当然居るけど。水泳部、陸上部、柔道部、バスケ部、バレー部とか。まあ、いろいろのところから来てるよ。中でも多いのは料理研究部の子達かな、半分以上はオカ研と掛け持ちしてる。たまに黒魔術的クッキングとかやっててね、おもしろいよ」
「はあ。いつもなにやってんすか?」
「いつも、ねぇ」
林は思慮深げの視線を盤上に注いでから、ぱちりぱちりと駒をめくり、「とくに何もしてないなあ。みんなそれぞれにオカルトを研究してるのだろうね」と呟く。
「ゆるいっすねぇ」
「うん、ゆるい。それが我が部のウリかもしれない。ゆるくて、それなりに仲がいい。女の子ばっかりだからね、たまに集まるとなればお茶会みたいな感じで、怪談やら、ネット上の心霊情報やらを語り合うんだ。それがまたオツな感じ。加えて長期休暇とか連休には夏合宿とか色々イベント事もするからね。そんなに会わなくても仲が深まるわけさ」
「そうっすか。なんかいいですね」
黒瀬は、盤上に目を移して言った。白が片隅を陣取っていたけれどあんまり効果が発揮されていないようだった。ぱちりぱちりとマス目は消化されていき、黒が一面を覆った。
「なんじゃらほい」とぼやいて山田は立ち上がり、背伸びする。
「強いなあ、しずちゃん。ほんと、イヤになっちゃう」
「どうも。お褒めに預かりしごく光栄だね」
山田はふわあっと欠伸をして、
「もうダメ。集中が切れた。トイレ行ってくる。ろっくん、その間に仇をとっておきな」と黒瀬に命令し、すたすたと部室から出て行った。
黒瀬は山田の席に座り、にまにま笑いながら駒を回収して盤上を整える。
「負けませんよ」
「いい意気込みだね」と林は泰然と笑う。新しい遊び相手が出来て嬉しいようだ。
それから、二人は黙々と駒を置く。両者は一歩も引かず、隅もなかなか落ちない。どうやらそれなりに考えてやっているようである。暇は人に思索を課すものだから、仕方がない。二人は、ぽとりぽとりと駒を置き、ぱちりぱちりと駒をめくって、戦争を進めていく。盤上は窮屈になり、裏切りが多発していった。ぎゅうぎゅうに囲って、いじめてやれば簡単に寝返ると考えた奴がこうしたゲームを作ったに違いない。偏屈なゲームである。しかし、偏屈なゲームであろうと、ゲームである。それなりの面白さは存在するのだろう。でなければ、暇人どもの間に膾炙するはずがないのだ。 そうして、時間を潰す戦いは続き、クーラーは部室を冷やし、中田はページをめくり、どこからか吹奏楽の声がして、部室の扉は開かれる。
「ろっくん、勝った?」
山田がそう言いながら、部室にどかどかと入ってきた。盤上は、少々黒が優勢であった。ぱちりと黒瀬は盤上を白くする。
「そこはダメだぜ」と林は嬉しそうに言って、ぱちぱちと色を変えていった。これが仇となり、黒瀬は負けた。
「弱いなぁ、ろっくん」と山田が評する
「山田先輩より、善戦しましたよ。……それなんっすか?」
「冷たいコーラとあったかいコーンポタージュ」
山田は両手に持った缶を黒瀬に見せ付けて言う。
「七月にコンポタとはなかなかクレイジーですね。自分で飲むんですか?」
「いや、賞品にしようと思ってさ。ということで、みんなで大富豪をやろう! かなちゃんもこっちおいで」
「はあ」と黒瀬は、間抜けた返事をする。林はニコニコ笑いながらオセロを片付けていく。山田はオセロ盤とならべて飲み物たちを机に置き、ごちゃごちゃした本棚から埃を被ったトランプを探し出し、中田かなの読書を終了させた。四人以上でないと大富豪は始まらない。それが山田の持論である。
有閑人らはより開けた場所を目指して、中田の机の周りに集まる。山田はぱさぱさとトランプを配り、ルールを確認し始めた。
「大富豪がコーラ、大貧民がコーンポタージュ。それから柄縛り、8切り、イレブンバック、階段革命はありね」
「ダイヤの3から始める?」と手札を確認しつつ林は聞く。
「うん。じゃんけん面倒だし」
「じゃあ、おれからです」
黒瀬がぱさりと机の真ん中にトランプを置いた。
「時計回りですか?」と中田が聞く。
「そうしようか」と林は同意し、山田もこくりと肯いた。
「じゃあ」
中田はダイヤの4で世界を束縛する。
「おやおや」と林はダイヤの7を場に放った。
「ふっふ~ん」と山田はダイヤの8で場を切り、スペードの9を出し、ニヤニヤした顔になる。
それから、二年生の間でこんな会話が繰り広げられる。
「そういえば、野崎先輩、平泳ぎで関東大会でるんだって」
「へえ、それは喜ばしい」
「さっきプールで張り切って練習してた。百と二百で出られるらしいよ」
「インハイもでられるといいね」
「うん、ほんと。インハイの標準記録あと少しで切れるんだってさ」
「そうなんだ。一番になって欲しいな」
「うん。ほんと。そしての、革命だあ!」
「そう来たか。じゃあ革命返し」
「うそ……」
「ほんとだよ」
山田革命は不発に終わった。だが、その後中田革命が成し遂げられ、山田は当初の計画通りにゲームを進めることが出来、大富豪となる。
「一抜けぴっぴ」とか言いつつ山田は早速コーラを飲み始める。
「おれ、コンポタ飲みたくないっすよ」
黒瀬は七枚の手札をぼんやりと眺めながら呟く。彼の手札には絵柄が多かった。
「勝てば飲まなくていいんだよ」
林はあがりながら助言する。中田は無言でカードをぱさりぱさりと場に置いていく。
結局、黒瀬はコーンポタージュを飲む羽目になった。
黒瀬が手渡された生温かい缶を開けるかどうか迷っているとトランプをまとめていた林が笑顔で妙なことを言い始める。
「手品をしてあげよう」
「やってやって」と自分で買ったコーラを飲めて機嫌がいい山田は明るく囃し立てる。林はトランプを器用に切り混ぜていき、一番上になったカードを中田に引かせた。
「わたしに見せないで、三人で覚えておいてね」
中田が引いたのはハートの3だった。山田と黒瀬は中田の手元を見てそれを覚える。
「覚えた? そしたら好きなところに入れて」
林は残っている五十三枚のトランプを扇のように広げて中田に差し向ける。中田は真ん中にカードを差し込んだ。林はニコニコしながら広げたトランプを元に戻し、口で回数を数え上げながら丁度十回トランプを切った。
「さて、後五回、中田さん切ってくれるかな」
中田は渡されたトランプを言われた通りに切り混ぜた。
林は中田からトランプを受け取ってから宣言する。
「ありがとう。では、これから中田さんが引いたカードを当てて差し上げましょう」。
「できるの? そんなこと」
「できるでしょう」と林はトランプをぱらぱらとめくりながら応える。真ん中辺りでその手を止めて一枚のトランプを抜き出しニコニコして三人の前にそれを呈示する。
「きみたちが覚えていたのは、ハートの3だね」
「おお、すげぇ」と黒瀬は素直に感嘆する。山田は、そんなアホなという顔つきで林の見せるトランプを見つめた。中田はぽけっとそれを見たのち、確かにハートの3であると認識して、パチパチと拍手をした。
「ありがとう。タネも仕掛けもあったけど」
「何で分かったの?」
「秘密。つまんなくなるからね」と言いつつ、山田にトランプを渡し、林は立ち上がって伸びをする。山田は手渡されたトランプを疑念の眼差しで観察して、何かを発見しようと試みるが、無為に終わる。当然だ。本棚の奥に仕舞われていたトランプに仕掛けなど存在するはずがない。
「もうこんな時間か」と林が手首の時計を見て驚いたように呟く。
「何時なの?」
「六時半過ぎ。下校するにはうってつけの時刻だね。早く帰らないと美少女の山田ちゃんが変質者に襲われてしまうぞ」
「じゃあ帰ろうかしら」と山田はトランプを括り、本棚に置いて帰る支度をし始める。他の部員たちもごそごそと帰宅準備を済ませ、四人は部室を後にする。
「これ置いてくるから、さき帰ってていいよ」
林はそう言いながら、ミス研の隣にあるオカ研部室に入っていった。当然三人は林がやった手品のタネを論じ合いながら、階段を下りて、部室棟の出口へと向うことになる。山田は首を傾げながら言う。
「どうしてわかったんだろ」
黒瀬もそれに同調して考え始めた。
「中田に五回切らせたのがあやしいですね」
山田は二人に先立ち階段をゆっくりと踏みしめて推論する。
「計十五回切り混ぜたことになる。真ん中に入れた奴がほぼ真ん中にかえってたし。ある回数だけ切ると元の配置になるのかな」
黒瀬は隣にいる中田に話を振った。
「中田、どう思う?」
「あたしがカードを引いたわけじゃない」
中田はぼそりとそう応える。
「えっ、かなちゃん引いてたじゃん」
山田は振り返って三段ほど上にいる二人を見て言った。
「……違いますよ。中田は一番上のカードを取っただけです」
「そういえば、そうだったような」
「ということは、林先輩は初めからそのカードがハートの3だと知ってたわけか」
独り言のように言いながら黒瀬は山田の隣に追いつき、階段を降り切った。
「でも、しずちゃん、最初シャッフルしてからかなちゃんに取らせたじゃない」
「引かせたいカードを一番上の置くために切り混ぜたんですよ」と黒瀬は部室棟出入口のドアを開けながら山田に説明した。夏の夕暮れが三人を包んだ。彼らは団子となって石畳の上を歩いて行く。
「なるほど。けど十回とか五回とかなんだったんだろう」と山田は暮れなずむ空を見渡しながら、疑念を表明する。
「そこが仕掛けだったんでしょう。ただの目眩ましですよ」と黒瀬は薄く存在する三日月を眺めながら、その疑念を氷解させた。
「はあ~ん。なるほどね。簡単なタネだ」
勝手に納得した山田は手をたたいて、したり顔でうなずいたりする。
「わかんなかったくせに」と黒瀬は事実を述べた。
「うるさい」と山田は黒瀬の腹を肘で小突く。黒瀬はイテェとうめき、中田は二人を無視してさっさと歩いていく。すると三人の前方から生物教師の吉野みほが歩いてきて、
「めずらしい。もう帰るのか」と三人に声をかけた。
「うん。変質者に会いたくないから早めに帰るの」
「そうか。いい心がけだ。これからもしっかり守って欲しいもんだ」と笑って、吉野は部室棟へと入っていく。まだ居残る生徒たちを追い出しに行ったのだろう。山田たちはいつもなら追い出されるまで居座るタイプである。三人は吉野の後姿を見送って夏の夕闇の中をぼんやりとした心地で歩いていった。多くの生徒たちは汗を流し終え、駄弁りながら帰宅の途へとついていき、校舎はだんだんと空っぽになっていく。学校という領域の中で最も寂寥感を味わえるのは、この時間帯ではなかろうか。
「そういえばろっくん、コンポタ飲んだの?」と校門から出る際になって思い出したように山田は言う。
「……飲みましたよ」
「うそ。黒瀬くんは、林先輩の手品に乗じてバックに入れてました」
「バカ、なんでバラすんだよ」
「へぇ」と山田は笑った。残酷な笑みである。結局、黒瀬はその場でコーンポタージュを一気飲みすることとなった。平和な人々である。シーラカンスが空を飛ぼうとしているのにも、気がつかない。
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