第41話 悲しみの中の覚醒

「――瑞飛! 竜玉! 走矢ぁぁぁ!」


 大雨の暗闇で、揚羽の悲鳴がこだまする。彼女は手が赤く腫れても壁を叩きつけることを止めなかったが、目に映る現実は変わらない。


「嫌、いやぁ……」


 こんな痛みは、彼らのものと比べるべくもない。揚羽は目を逸らすことが出来ず、瞳を大きく開いて硬直した。


「う……」

「……」

「逃げろ、ひめさ……」


 揚羽が見ているのは、数え切れない鴉に取り囲まれ、倒れる三人の従者の姿。翼も手も足もぼろぼろになって、動けずにいる。

 三人を見下ろすのは、手負いになりながらも立つ三頭の大きな鴉。それらの瞳は殺意に満ち、今すぐにでも三人を殺してしまいそうだ。


「えっ」


 一触即発の切れそうな空気の中、不意に結界が崩れる。つんのめり、ぐしゃりと雨で濡れそぼった地面に叩きつけられた揚羽は、ずぶ濡れになることも厭わずに走り出す。


「瑞飛……竜玉……走矢ぁ……」


 雀と、鯉と、犬。人の姿を保てずにもとの姿に戻った三人を抱き締め、揚羽は嗚咽する。

 しかし、浸る時間は長くない。揚羽は彼らを抱き締めたまま、背後に向かって「……爆」と呟く。その瞬間、三つの爆発音が鳴り響き、断末魔の叫びと共に三つの瘴気がかき消える。


「……流石だな。流石は、あの女の隠し種」

「武息……っ」

「涙目だな。それでも技を放つのだから、大したものだ」

「何を……っ!?」


 声のする方に振り向いた揚羽は、目を見開いて固まる。視線の先には、武息がいた。そして揚羽は、結界が突然消えた意味を考えるべきだったと悔やんだ。

 結界がなくなる。つまり、柊に何かあったということではないのか。


「ひ、いら、ぎ……」

「ああ、こいつか。かなり頑張ったが……まだ力が足りないな」


 武息の足元に、血溜まりがある。そしてうつぶせで倒れているのは、傷だらけになった柊だった。周囲にはえぐられた土、泥まみれの切れた袖。暗闇が強く良く見えないが、柊は動かないようだった。


「――っ」


 さっと揚羽の顔が青くなったことに気付いたのか、武息はわざとらしい声で優しく言いきかせてくる。


「大丈夫、殺しはしていない。……今は」

「何、を」

「お前さえ手に入れば、全てをひっくり返すことが出来る。さあ、我が手の中で眠るがいい。……ん?」


 揚羽に向かって歩き出そうとした武息が、ふと足を止める。彼の視線は足元に向けられ、足首を何かが掴んでいるのが目に入った。途端に眉間にしわが寄り、わずかに瘴気の気配が強まる。


「……死にぞこないが。まだ邪魔をするか」

「――柊どの!」


 よかった、生きている。武息は殺していないと言ったが、信用出来るものではない。だから柊が武息を止めようと動いたことに安堵し、揚羽はあふれていた涙を拭った。

 しかし、ほっとしたのも束の間のこと。舌打ちした武息が、柊の腹を蹴って転がしたのだ。


「――かはっ」

「邪魔だ。殺すぞ」

「柊どの!!」


 悲鳴を上げる揚羽だが、彼女の声に柊は応じない。数回咳込んだ後、力なく倒れたまま動かなくなってしまった。

 前進を邪魔された武息は、苛立ちを紛らわせるように鼻を鳴らす。軽く掴まれていた足首を回し、ただ涙を流すことしか出来ないでいる揚羽の目の前に片膝をついた。その指で揚羽の顎に触れ、自分と目を合わせさせる。


「……っ」

「ふふ、泣きはらした、良い顔をしている。残念だったな。お前を助けるはずの者たちは、我に倒され動くことも叶わない。目覚め切れていないお前は、ただ涙を流して悔やんでいればいい。案ずるな、我の力となって、永遠の時を生きることが出来るのだからな」

「……そんなこと、させない。大事な人たちも、都も、守るって約束し……っ」

「生意気な餓鬼め」

「うっ」


 諦める様子のない揚羽に、武息は苛立ちを抑えない。彼女の首を掴み、持ち上げた。

 揚羽は武息の手を掴み、何とか離させようとする。しかし男の、しかも異形の力が相手では、揚羽は敵わない。

 揚羽は息の出来ない苦しさに、思い切り顔をしかめた。足が浮き、抵抗も出来ない。


「はな……して」

「その願いは聞けぬな。このままお前を取り込めば、お前たちの負けだ。さあ……」


 取り込まれる。揚羽は自分に流れ込んで来る武息の妖力に激しい吐き気を覚えながら、何とか己の術の力を駆使して抵抗を試みる。武息の力に負けてしまえば、術師の力ごと武息のものになってしまう。

 揚羽の体の中で二つの力がぶつかり合い、取り込みたいものと守りたいものが己の覇権を争っていた。

 それでも徐々に武息の力が上回ろうした時、彼はふと違和感を覚えた。


「何だ、これは……?」

「……っ……」


 力自体は、武息が勝っている。それなのに、何か大きな力が抵抗し、揚羽の中で少しずつ広がっていく。武息の力をゆっくりと食おうとするかのような密やかな進撃は、武息を焦らせるのに十分だった。


「――っ!? 何だ、この光は!」

「……っ! けほっけほっ」


 どさり、と揚羽は地面にしりもちをつく。武息が彼女から手を離したのだ。咳込みながらも、揚羽は自分の中で今までにない力が大きくなっていることに気付く。それが武息を驚かせ、自分を解放してくれたのだ。


(わかる。これは……)


 力を導き、解き放つ。すると、揚羽の背中に美しく輝く一対の翅が生えた。キラキラと光るそれは、ふわりと羽ばたくと鱗粉を散らす。


「――おお、蝶の力か。覚醒する前に取り込むつもりだったが……面白い。我がものとなってもらおうか」


 武息の全身から、強大な瘴気が沸き上がる。それは漆黒の翼となり、次いで大きな手となって揚羽に襲い掛かった。

 しかし、揚羽も負けるつもりはない。立ち上がり、翅を広げて化人の力を爆発させた。一滴の涙が揚羽の頬を伝い、落ちる。


「大切な人たちを傷付けたお前を、絶対に……倒す!」


 ――カッ。


 白い輝きが弾け、その場の全てを呑み込む。瘴気を吹き飛ばし、武息をも呑み込んだ。




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