第25話 狐がちい姫を狙ったわけ

 妖狐が消え、瘴気は去った。花子かこは庭先に立ち、母に教わった呪文を唱える。それは古代の言葉であり、大切なものを守るための結界を張ることの出来る重要な祝詞だった。


「よかった。ちい姫、よく寝てる」

「気を張っていただろうから、疲れたんだろう。……幼子の寝顔を見ると、ほっとするな」


 花子が結界を張り直している間、揚羽たちはちい姫を見守っていた。

 ちい姫は妖狐が消えた後、ようやく緊張がほぐれたのか泣き出した。しばらくわんわん元気な声で泣いていたが、泣き疲れたのか母の衣にくるまれて眠っている。

 そのちい姫の頬を指で撫でてから、揚羽たちはそっとその場を離れた。後は、騒ぎが収まってやって来た女房たちにお任せする。

 丁度、花子が結界を張り終えて妹たちを振り向く。姉の傍に駆けて行き、揚羽は「お疲れ様でした」と労った。


「あなたたちの方こそ、お疲れ様。皆、無事でよかったわ。ありがとう」

「姉上も。ちい姫も無事で、ああやって眠ってくれてよかったです」

「そうね。まず狙われたのはあのなのに。……きっと、肝の太い娘に育つわ」

「それは頼もしい」


 少し呆れの混じった顔で、花子は微笑む。そんな姉に同意してから、揚羽は「それで」と表情を改める。


「何があったのですか? あの狐が来たのは……」

「突然姿を見せたのは、走矢くんが来る一刻くらい前。そろそろ寝かせようと、姫を茵に横にならせた時だったわ」


 普段ならば大人しく目を閉じる娘が、むずがってなかなか落ち着かない。母に手を伸ばしてくるため、仕方なく抱き上げたその時だった。


 ――クォーン。


 何処からともなく聞こえてきた、獣の遠吠え。いつもならば気にも留めないその獣の鳴き声だが、この時ばかりは気になって仕方がない。花子はちい姫を抱き締め、警戒心を強くした。

 そしてその警戒は、杞憂ではなくなる。

 巨大な瘴気の影を感じた時には、既に狐が目の前に現れていた。


「それからは、貴女も知る通り。走矢くんが来てくれなかったら、と考えるとぞっとする」

「お役に立てて良かったです。何とか、時間稼ぎしか出来ませんでしたが」

「時間稼ぎ以上だったわ。……貴方たちも知る通り、わたしには戦う力がないから。あの娘を奪われていたかもしれない」


 走矢に深い感謝の意を示し、花子は険しい顔で狐の消えたその場所を見つめた。

 そんな姉に、揚羽は一つの疑問を呈する。


「だけど……どうしてあの狐はちい姫を狙ったのでしょう? ちい姫には、母上から継ぐ大きな力が眠っているのでしょうか」

「……それは、あの娘が成長した後でしかわからないわ。けれど、もう一つ可能性があるのよ」

「それは?」


 姉の言う「もう一つの可能性」に関して、揚羽は何も思い浮かばない。首を傾げる彼女とは違い、瑞飛たち化人たちは顔をしかめた。


「……姫様、でしょうか」

「流石、瑞飛ね。いいえ、三人共かしら」


 花子に褒められ、瑞飛が目を細める。嬉しかったらしい。

 次いで、竜玉が右の人差し指を顎にあてながら呟いた。


「一の君を襲えば、必ず姫様が出てくる。敵はそれを見越して、ちい姫を狙ったんじゃないかということでしょう」

「……わたしを?」


 思いがけないことだ、と揚羽は苦笑いする。強力な守る力を持つ母ならばわかるが、自分は一人前には程遠いことは理解しているのだ。うぬぼれてはいけない。

 しかし、走矢が首を横に振った。


「姫さんは、もう少し自分の価値をわかった方が良い。覚醒が不完全とはいえ、姫さんは北の方様の力を受け継ぐ者。こう言っては何だけど、弱いうちに力を取り込んでしまえば、その妖は怖いものがなくなるんだ」

「それに今は、柊どのもいますからね」

「俺も?」


 自分は蚊帳の外だと思っていた柊は、突如瑞飛に名を呼ばれて目を丸くする。それから、ふと自分の持つ横笛に目を落として「そうか」と頷いた。


「この横笛は、神器だったな」

「そういうことです。龍脈を守る力と神通力を宿した横笛。それらを、力を欲する妖が狙わないわけがない」

「……俺はまだ、皆を辛うじて守れる力を得たに過ぎない。もっともっと、皆に近付かなくてはならないな」

「いつでも相手になるぞ、柊」

「助かる」


 走矢に肩を叩かれ、柊は頷く。武官の家系出身ではあるが、柊は武士ではない。揚羽たちと共に戦うことを望む彼は、これまで以上に鍛錬に励むようになる。そのほとんどは鍛錬ではなく、実戦での経験となるのだが。

 柊の声を聞きながら、揚羽は自分の手のひらをじっと見つめていた。自分に、力を欲する妖が乞うような力があるのかがわからない。


(でも、わたしが狙われるのなら好都合。早く母上に起きてもらうためにも、狐や蜘蛛の妖たちの親玉を調伏しなくては)


 蜘蛛や狐の妖たちは、誰かの指示を受けているのか。それとも、それぞれが力を欲して都を彷徨う中で、偶然揚羽たちを見付けたのか。前者であれば、親玉を倒せば終わるのだ。


「では姉上、充分に気を付けて」

「貴女の方こそ、二の君。化人たち、柊殿、妹を宜しくお願い致します」


 花子に見送られ、揚羽たちはそれぞれの家に戻ることにした。


 その後ろ姿を見つめる何かの影が、邸の屋根の上に立っていることに誰も気付かなかった。


「……さて」


 風が吹く。その後には既に、人影は消えていた。

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