星Ⅲ
『私は星を愛しすぎて、夜を恐れることができない』
—サラ・ウィリアムズ
部屋に戻ってボクが腰に手をあて、フンスと鼻息を吹くと、ミラはそんなボクを
そんないじらしい態度をとられたら、怒るに怒れない。
隣に腰を下ろすと、ミラがびくりと震える。
そんな彼女を、ボクは横から抱き締めた。
――あっ
と小さく声が漏れる。
なんか、ちょっとドキッとした。
それを誤魔化すみたいに、ボクはミラの髪に鼻先を押し当てて、吸い込む。
銀河みたいな、においがした。
「さっきは、ごめん……なさい……」
「それは、彼に直接言ってあげてよ?」
「だって――」
また、「だって」だ。
ミラの顔を覗き込む。
「だって、ワカナ、あいつといると、ざわざわしてるんだもん……」
星屑がひとつ、ボクの頭に直撃した。
「苦しそうで……不安そうで……でも、ほんのちょっとだけ、あったかくて……そんなの、アタシ困る……うまく、紡げない……」
ボクはしばらく、ぽかんと口を開けたまま、ミラを見ていた。
もしかすると、ミラはボク以上に、ボクの感情を感じ取ってるのかもしれない。
そんな風に思ったら、どうしたら良いか分からなくなって、もう一度、ぎゅっと抱きしめた。
――んく
と小さく
ボクとミラは、そのままベッドに横になって寝た。
ボクが、ミラのことを後ろから抱き締めながら。
ミラは、温かくも、冷たくもなくって――ちょっとだけ、ひんやりしてた。
次の日もミラは一日中、ボクについてきた。
朝からは社でお勤めをして、午後からは帰省してきてる友達に会った。
会話を見せることで、ミラが何かを思い出せるかもしれない。
なんとなく、そう思ったから。
同い年の子は、ボクと千種以外はみんな外に出た。
見た目派手になってる子もいたけど、話してみると、そんなに変わってなかった。
役場前のドリンクスタンドでジュース片手に色々と話した。
サークルがどうとか、先輩がどうとか……そんな話。
「若菜は、あの彼とはどうなの?……うまく、やれてんの?」
不意に、彼の話題になった。
「ちょっと」、と他の友達に小突かれたりしながらも、「だって心配じゃん」、って。
「うん。別に、フツー、かな……」
びっくりした。めちゃめちゃギコチナイ。
どうした、ボク。
その子は、ボクが男慣れしてないだろうから心配なんだと言った。
しかもそんなフクザツな環境、自分だったら……って。
心配してくれてるんだって、分かった。
でも……
なんだかなぁ
となりにいるミラの視線が、頬っぺたに刺さるような気がした。
「あの人なら、大丈夫だよ。……私は、そう信じてる」
それは、意外な人物の口から発せられた。
――
みんな、琴音さんがそうおっしゃるなら、とそれ以上何も言わなかった。
琴音の凛とした眼差しが、ボクを撫でる。
琴音は、すごく大人っぽくなった。
そう、思う。
「そういえば、もうすぐテントウだね」
空気を変えようとしてか、友達のひとりがそう言った。
――『
燈子さんの提案で、八年前から始まったイベント。
自分たちの想いや願い、祈りを
想いの短冊を結わえ付けたランタンを、空へと流すのだ。
本当は八月の祭祀でやる予定だったけど、今年は雨で延期になって、九月にズレ込んだ。
――そっか。
ボクは急にうきうきしてきた。
見せてあげたい。
あの綺麗な光の海を。
ミラに。
そう、思ったから。
そんな天燈を翌日に控えた日の夜。
ミラの記憶は、まだ戻ってなかった。
でも、それならそれで、いいんじゃない?
ボクはだんだんと、ミラのいる毎日が当たり前になりつつあった。
妹が出来たみたいで、なんだか嬉しかった。
ミラにとって、それがいいことなのかは、わかんないけど。
でもその夜、ミラの様子は、いつもと違ってた。
胸にぽっかり穴の開いたパッチワークを見上げながら、神妙な顔で、ボクに尋ねてきた。
「
耳の裏の皮が、つっぱるみたいな感じがした。
なんで、そんなこときくの……?
なんでボク、こんなに動揺してるの……?
「……こっち、おいで」
ボクはミラを手招きすると、そのまま手を繋いでベッドまでするする歩いて行った。
寝転ぶ。
話す。
「なんかね……?ボクの作品のはずなのに、それはカタチにした途端に、みんなのものになるの。それは、それでいいんだけどさ……なんかときどき、都合のいい願望を押し付けられてるみたいなキモチにもなるんだぁ」
ミラが、ぎゅっとボクのパジャマの裾を握る。
そんな心配そうな顔しないで?
そう思った時、ふと、記憶が流れてきた。
「でもね?その話を彼にしたら、なんだかマーマレードみたいな顔するの」
きょとんとするミラに、ボクは続ける。
「どうしたの、って訊いたら、『僕も同じことをしてないか、ちょっと不安になった』、って。そう言うの」
ミラの瞳には、いつの間にか好奇心が宿っていた。さすがは、ボクの妹。
「彼ね、お母さんと一緒に、書評ってお仕事してるの。色んな本とか、物語を、届けるべき人に読んでもらうための言葉を綴る……そういうお仕事」
白いシーツを、指でなぞる。
「彼、すぐにうじうじするから。だから言ってやったの。もっと苦しめぇー!って」
ボクが大きな声を出したもんだから、ミラがびくってなる。あの時の、彼と同じように。
「それがきっと、あなたの味になるからって。ボクさ、素直な言い方、できなかったけど、嬉しかったんだと思う。ああ、彼は変わってないんだって。うまくいくかは分かんない、でも、そうやって悩んでる人なんだって。そう思ったら、なんか……なんかね……?」
ミラのつるりとした指が、ボクの目尻を撫でる。その雫は、ミラの指先にとまってると、星のあかちゃんみたいに見えた。
でも、自分が泣いてることに気づくと、ボクはもう、ダメだった。
逆さにしてた傘がひっくり返って、そこに溜った雨水が洪水みたいに溢れた。言葉になって。嗚咽になって。
「ボクさ?最近ダメなんだぁ。つくるものが、どれもしっくりこなくて」
ずっと前から、違和感はあった。
ボクの創るものを、評価しようとしてくれる人は、たくさんいた。
でも、やれ『美少女JKアーティスト』だのなんだのって……。
取材も、かなりの数を、丁重にお断りした。
それは、スクールに行っても変わらなくて、『未熟で官能的』とか『無垢』とか……
そういうボクの性別とか、年齢とか、そういう属性……
あるいは、見てる人の投影でしか評価してもらえない……
そういう違和感はどんどん大きくなっていった。
別に、色んな解釈があっていい。
でも、誰かにはちゃんと、ボクが本当に表現したいものを見て欲しい。
――そんな風に、思ってしまう。
「なんか、下心?みたいなの、感じることもあるし」
――ぜひ今度、ゆっくり講評させて欲しい!
とか言いながら、食事もセットだったり。
――君の才能は本物だよ!
とか言いながら、なんか妙に距離近かったり。
講師にも、生徒にも、そういう人はいる。
考えすぎかもしれないし、ただの普通のコミュニケーションのうちなのかもだけど。
「ほら、ボク、可愛いからさー」
ミラは、笑わなかった。
――笑うところなのに。
「あとはなんだろ、SNS映えとか前提で制作してる人も多くてさ、なんか、そういうの否定するわけじゃないけど……相談はできないなー、とか」
喉が、キィキィした。
「それでさ?そういうのぜんぶ、吐き出したいのに、聴いて欲しいのに……」
耳の奥で、地鳴りみたいな音がした。
「なんで、彼には話せないんだろって……なんで……話しちゃ……ダメなんだろうって……」
こんなボクから、早く逃げて……。ひとりに、しないで……。
「なんれ?なんれ、ごんなぎもぢになるのがなぁ……ミラぁ……うー……」
涙はぜんぜん止まってくれなくて、しゃっくりまで出始めた。
なんて、ボロボロ。
でも、よかった。
ここにいるのが、ミラだけで。
こんなところ、彼にも、お母さんにも、見せられない。
ミラはボクが落ち着くまで、ずっと頭を撫でてくれた。
妹のくせに、ナマイキ。
……でも、ありがと。
そう思っても、言葉にならなかった。
もこもこの羊を満載した舟がボクの頭の中を過る時、水平線の向こうから声がした。
『――アタシ、分かっちゃったかも』
なにが、わかったんだい?
そんな問いも、なにもかも、渦に呑まれて、ぐーるぐーる。
気づくと、そこは、静かな水底。
チョウチンアンコウとか、ダイオウグソクムシとか、そういうのを期待したけど、なんにもいない。
……ころころころころ
ボクは海の底を独り占めして、揺蕩う。
でも急に、熱を感じた。
なんか、もやもやしてる。
知ってる。
これあれだ。
熱水噴出孔ってやつ。
数百度にもなるらしい。
あぶない。
なんか、ふぅふぅ聴こえるし。
……ふぅふぅ?
深海なのに?
おかしくない?
月が満ちて、太陽が昇る。
――ちがう。
太陽じゃない。
赤いのは、ミラ。
「……ミラ⁉」
銀の魚みたいに透き通っていた顔が、燃えていた。
――熱い。
それなのに、汗ひとつかいてない。
触れると、そのまま指が沈み込みそうだった。
*
それは二十五時頃だった。
若菜からの着信だ。
私は一度、連れ合いと目を合わせた後、通話ボタンを押した。
聞いたことのない、狼狽した声が鼓膜を揺らす。
――助けて。
若菜が助けを求めている。
私に。
すぐさま服を着ると、玄関の扉を開く。
一陣の風に、思わず目を伏せる。
顔を上げる。
門へと続く石畳の、そのちょうど中央に、
一瞬で、目を奪われた。
魂を掴まれたような気がした。
焼け焦げた星の灰を思わせるグレージュの髪。
琥珀の瞳。
漆黒のスモックに、古びたブーツ。
十四・五と思しき佇まいに似合わぬ、いまにも壊れそうな寂寥を身に纏う。
「はじめまして。ぼくの妹を知らないかい? ――境界の君」
※「私は星を愛しすぎて、夜を恐れることができない」は、サラ・ウィリアムズ『The Old Astronomer to His Pupil』(1868年)より引用させていただきました。
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