1、ヘブンズダンジョン
「クーロくん、おっつかれー!」
ひんやりとした冷たい缶ジュースが俺の額に当たる。
驚いて上を見れば、にっこり笑ったアズ先輩が立っていた。
まぶしいばかりの金の髪。
長いポニーテールを揺らして、翡翠の瞳を細める彼女はかなりの美人さんだ。
俺と同じ受付の制服(下はスカート)を着たアズ先輩は、俺の隣の席に腰かけた。
「おつかれ様です、アズ先輩」
「うんうん、おつかれー」
ぷしゅっとプルタブをひねり、果汁20%入りオレンジスカッシュを、ゴッゴッと喉を鳴らして飲み干す。
「ぷっはー! やっぱり仕事終わりはこれですわ」
「いや、あの。まだ今日の勤務はじまったばかりですけど」
「細かいことは気にしないの~。それよりぃ、今日は『スイヨービ』だっけ? てことは、今日も昼間は暇そうだねー」
「そうですね。平日は夕方からが混みますからね」
俺はちらりと
まぶしいばかりの金色の扉。
美しい装飾が施されたそれは、まさしく異界とこの地をつなぐ魔法の
二年前。
あの扉が突如出現し、中からひとりの男が現れた。
なんでも、昨今地球という名の異世界では次元のグローバル化とやらが進み、地球と異界を繋ぐ
そのゲートをくぐってやってきたのが、コードネームCEO(シーイーオー)。
この『ダンジョン』の管理者に当たる地球人だ。
俺たちがいるこの世界、エイルドピアでダンジョンという名の娯楽施設の運営に乗り出したCEO。
彼が言うには、地球人たちは異世界に強い憧憬を抱いているらしい。
ダンジョンで冒険したり、のんびりスローライフしたり、異世界での生活を題材にした大衆娯楽が現在爆発的な人気を博しているそうだ。
しかし、CEOは『いやいや、いっそのこと地球と異世界繋いだほうが早くね?』とか思ったそうで、研究に研究を重ねて開発したのが、すぐそこに見えるゲートだ。
通称『ゲヘナゲード』
あそこから地球人たちがやってきて、この『ヘヴンズダンジョン』で『冒険者』を楽しむ。
CEO曰く、この世界に生息する多数の危険動物たちは、地球人たちがダンジョンと呼ぶ『フロアモンスター』に最適なのだそうだ。
しかも、魔法を秘めた異界のアイテムは地球では高値で取引される。つまり、
①魔法のアイテム(餌)を宝箱に入れる。
②冒険者たちは眉唾物のアイテムにつられて高い入場料を払いダンジョンへと潜る。
③運営者は大儲け。
それが偶然この地にゲートを開いたCEOが考えた『テーマパーク』の図式である。
アコギ……いやなかなかの商売上手だ。
しかしCEOの実力はそれだけじゃない。
当時、ただの洞窟にすぎなかったこの場所を、たった数ヶ月でダンジョンへと改築した彼の手腕は素直にすごいと認めざる得ない。
そして、一年前。
正式にダンジョンがオープンされた。
俺はそのとき楽に稼げる仕事を探していたから、この求人を見つけてこうして働いている。
仕事の内容は、ダンジョンの受付係。
やってくる冒険者たちに、ダンジョン内での遊び方を
ちなみに隣には売店が併設されており、そちらではアイテムのほかに剣やら盾やら装備品が変える仕様になっている。
どれもこの世界の職人たちが作った一級品だ。
回復ポーションなんかはまあ、俺たちの世界では単なる茶のひとつだが、向こうの世界ではむせび泣くほどありがたられているらしい。
主に病院なんかで大活躍なのだそうだが、このあたりの感覚はよくわからない。
なにせ回復ポーションの材料は『きれいな水』と『グスグフの干し草』だ。
地球風にいえばハーブティー。
こっちの世界では普通に『グスグフの茶』と呼ばれている粗茶であり、まったくレアでも何でもない飲み物だ。
勤務時間は、九時間固定のタイムテーブル制。
朝8時から夕方4時までの勤務か、昼2時から
途中で一時間の休憩が入り、実際の労働時間は8時間となる。
このへんはあくまで地球基準の時間なので、俺たちには当てはまらない。
俺からすれば『朝』9時とか言われても、その日によって陽が暮れてたりするから、おそらく地球とこちらの流れる時間は違うとみている。
それでも、支給された腕時計(目覚まし機能付き)があるので、どうにか遅刻せずに出勤できている。
現にいまも受付には大きな時計が置いてあり、ヘイジツはあの時計の短針が『1』を過ぎると、地球人たちはやってくる。
一応ここの開店は午前9時なのだが、朝一から来るやつはそんなに多くはない。
大抵は夕方から夜にかけて。
その理由はCEOによれば、学校終わりの学生さんや、仕事帰りのカイシャインさんが来るからだと言っていた。
たまにシュフさんたちもくるけれど、その場合は昼にきて夕方には帰ってしまう。
朝からくるやつはよほどの暇人か、朝のみ出現するレアモンスター狙いの冒険者くらいだろうか。
ちなみにドニチシュクジツは一日を通してお客様は多い。
肝心の月給は金貨三枚。
地球換算で二十一万円だ。
破格の給料なので俺は満足している。
休みも週休二日だし、社員食堂もあるし、申請すれば社員寮にも住むことができる。
ただし、社員寮はこのダンジョン内になるのでおすすめしない。
魔物がいるし暗いしで、いくら格安物件でもちょっとな。
そんな俺はタンジョンから離れた町に住んでいる。
ウマで約四十分。
好条件のこの仕事で唯一不満があるとすれば、まさにここ。
ダンジョンまで通うのが遠い点だ。
なんどかほかの職を探したが、ここの待遇が良すぎてなんだかんだ勤め続けて一年になる。
オープン当初からいるからこれでも古参だ。
普段は酒場の二階に下宿していて昼はダンジョン内で社食を食べ、夜は下宿先で賄い料理が出る。
朝は水。食費は実質ゼロ。
稼いだ金はコツコツ貯金して、将来マイホームを買うのが夢である。
「──と、こんなところかな」
「どした? ひとりで腕組んでしきりに頷いて」
「いや、もうひとりの俺と会話してました」
「あー……、シロくんだっけ?。君、そういうとこあるよねぇ」
シロ。俺の中のもうひとりの俺である。
なにを言っているかが解らないと思うが、大丈夫だ。俺にもよくわからない。
しかし、誰しも心の中にはもうひとりの自分がいるものであり、俺はそれを
そんな俺の名前はクロ。
本名はクロノスアイングロゥル。
種族は悪魔族。地球でいうところの魔族とでも言っておこうか。
アズ先輩が頬杖をついて、ため息を吐く。
「いやさー、そろそろ私も親にいい人見つけて結婚しろって言われてるんだよね。それで今度の休みにお見合いパーティーに行こうか悩んでてさー、どう思う?」
「パーティーですか。まあ、先輩キレイですし、相手ならすぐ見つかるんじゃないですか?」
「またまたー、思ってもないこと言っちゃってー」
「思ってますよ。──ああ、お客様だ」
ゲートに厳つい男がひとり。
がっちり重装備で身を固めた30代そこらの男だ。
彼は受付前までやってくると、緊張した面持ちで口を開いた。
「すみません、こちらがゲヘナゲートの先にあるヘブンズダンジョンだとお聞きしたのですが、間違いないでしょうか?」
「はい、そうですよ」
アズ先輩が営業用の笑顔で答える。
ちなみに『ゲヘナゲート』は『地獄の門』。
『ヘブンズダンジョン』は『天国迷宮』という意味らしい。
俺の世界には馴染みのない概念だが、おそらく魔界と天界のことを言っているのだろう。
俺は男に尋ねた。
「こちらは初めてのご利用ですか?」
「は、はい。友人に薦められて、有給取って来たんですけど……いやっ、すごいっすね! ここが夢にまで見たダンジョンかぁ……」
男は目を輝かせてあたりを見渡す。
初めてここへ来た地球人の大抵が同じ反応する。
とくにニホンという国からのお客様が多く、彼らの見た目は一様に黒髪か茶髪でかつ、同じ色の瞳をした奴らが多い。
まれに金髪だの桃色の髪をしたやつもいるが、おそらく染めているのだろう。
CEOが言うにはいまは試験的な運営だから来場者を制限しており、ここへ来る地球人たちもいくつかのテストを合格した者のみらしい。
近い未来には、地球の各地にゲヘナゲートを設置して、国も身分も関係なくダンジョンを楽しめるようにしたいと話していた。
俺はいつものようにお客様へダンジョン内での遊び方を伝えて、その背を見送る。
アズ先輩が心配そうに眉を寄せた。
背中の白い翼が静かに揺れる。
彼女は神使族だ。地球でいう天使である。
「あの人、大丈夫かしらね? ひとりでダンジョンだなんて、結構危ないと思うんだけど」
「それはまぁ……」
ダンジョン内では、一応安全装置として死んでも復活できる術が施されている。
娯楽に命をかけては国の認可がおりないからとの話だ。
安全第一。
それがCEOの口癖だ。
「わたし、心配だからちょっと見てくるわ。クロくん、しばらくここ一人で平気?」
「りょーかいです」
羽根を広げて追いかけるアズ先輩を一瞥し、俺は着々とやってくる冒険者たちをさばいた。
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