第六話 【猫又屋】
さて、定吉と茶太郎が【甘餅堂】を出てからしばらく。人通りの多い道や、逆に人通りの少ない道、商人たちが船から荷下ろしする港なんかを見て回ったが源蔵が言うような店は見当たらない。
先ほどの少女も「貴方なら見つけられるわ」なんて言ったがどこにあるというのだろうか。
「はぁ、思ったより…簡単じゃないな…」
『さだきち、だいじょうぶ?』
ふと立ち寄った小高い山の小さな神社の石の階段に腰掛けてぼんやりと木々を眺めていると抱っこ袋から出て肩に乗っていた茶太郎が定吉の顔を心配そうに覗き込む。
「大丈夫さ。でも…こうも見つからないとはな…」
肩から茶太郎を膝に下して撫でる。茶太郎の毛はふわふわで、いつまでも撫でたくなる。
『くあぁ…きもちいいや…おかぁちゃんみたい…』
「…そうか…」
朝にも茶太郎が口にした『おかぁちゃん』ということに定吉は胸が痛くなる。
「なぁ、茶太郎。お前のおかぁちゃんは…どんな、猫だった?」
心で思ったはずの言葉が口に出てしまいとっさに自分の口をふさぐ。「しまった。茶太郎が母がいなくて寂しい思いをしているというのになんということを」と後悔する。だが、茶太郎は、
『うんとね…おかぁちゃんはさだきちみたいにやさしくてあったかいんだ!さだきちみたいにごはんもくれるし、いっしょにねてくれるし!いっしょにおでかけもしたよ!』
その言葉を聞いてどこか心が軽くなって安心した定吉だが、ずっと考えていた疑問は残る。
茶太郎の母はどこに行ったのか。
あの日、雨の中泥だらけになって道にうずくまっていた茶太郎だが今の話を聞いている限りその母猫が茶太郎を放っておくはずがない。…最悪の状態を考えたくはないが…もしかすると…
そこまで考えたが定吉は【その先】を連想するのを辞めた。物的証拠もないのだ、茶太郎の母にも失礼にあたるだろう。
しばらく「そうか…そうか…」と茶太郎を撫でながら話を聞いてやる。いつしか一人と一匹の顔には夕日があたり、遠くの寺からごおんごおんと鐘の音が鳴らされる。
『さだきち、ごおんごおん、なってるよ』
「ははは…もう夕方みたいだな…」
『おみせ、みつからなかったね』
「そうだなぁ…まぁ、また今度一緒に出かけて探しに行こうか」
『うん!いっしょ!』
茶太郎は抱っこ袋にぴょんと入り、袋から顔だけを出す。どうやら少し高い位置からの景色が気に入ったようだ。
「そうだ茶太郎!帰りに鰹節を買って帰ろう!茶太郎が好きなのを選んでいいぞ!」
『いいの!?かつおぶし、かつおぶし!』
「よぉし、じゃあ見に行こうか」
◆
帰りに乾物屋を目指して大通りを歩いていると、どうにも妙な感覚がする。
(…なんだ…?この感覚…茶太郎は大丈夫か…?)
抱っこ袋の方を見ると茶太郎も同じような感覚なのか周りをきょろきょろとしている。
「茶太郎、どうした?大丈夫か?」
『さだきち、なんか、へんだよ?』
「…ど、どう変なんだ?」
『えっとね、だれもいないの』
そう言われて慌てて周りを見渡す。確かに茶太郎の言う通り、誰もいないのである。
日がまだ沈み切っていない夕刻のこの時間、仕事を終えて家路を急ぐ者やこれから一杯飲み交わしに行く者で人通りがいるはずだ。ましてや最近では報奨目当ての輩たちが我が物顔で歩いているはずなのに人が誰もおらず、音もなく静まりかえっている。
「…気配が感じられない…隠密がいる…のでもなさそうだな…」
『…あ!あっち!さだきち!だれかいるよ!』
茶太郎が手を伸ばした先には白い勾玉の首飾りをした一匹の黒猫がいて、こちらを見ていおり、定吉と目が合うと通りを曲がっていってしまう。
「追いかけるか…すまん茶太郎、俺だけじゃ見失うかもしれない。お前もあの猫を探してくれるか?」
『わかった!がんばる!』
そうして一人と一匹は黒猫を追い、人気のない江戸の町を走り続けた。
「あっちか!」と定吉が走ったり、『つぎはむこう!はしのうえにいる!』と茶太郎が見つけて伝えたり、そうしているうちに一人と一匹は先ほど休んでいた小さな神社の前まで来ていた。
「あ…あれ…?ここはさっきの…」
『あ!さだきち!いたよ!おくにいる!』
茶太郎に言われた通り神社の奥を見ると祠のような本殿の後ろに赤い鳥居があり、さらに上へと石の階段が続いている。黒猫はその石段を軽やかに上がっていった。
「…はて…?あんな鳥居と石段なんてあったか…」
同心の見廻り業務の時にこの神社も見廻ることはあるのだが、どうにもあんな石段と鳥居は見たことが無い。とくにあんな鮮やかな赤色の鳥居なんか忘れるはずがないと思うが…。
ともかく定吉は鳥居をくぐって石段を駆け上がる。山の木々はどんどんと茂っていき、暗くなっていく。
「結構…きついな…だいぶ上がっているはずなのに…」
『さだきち、だいじょうぶ?』
「あぁ、大丈夫さ…さぁ、もうじき頂上だ…!」
長い石段を駆け上がると今まで茂っていた木々が嘘のように開けており、空には星空が広がっていた。
「しまったな…もう夜か…」
星空から目線を落としてみると、こんな場所には似つかわしくない瓦屋根の立派な一軒家が建っており、中からは家の灯りが漏れ出ていた。
『あ!くろねこさん、おうちにはいった!』
「ふむ…あの家の猫なのか…?」
家に近づき中の様子を伺おうと戸の隙間から覗こうとすると、勢いよく戸が横に開かれ、見覚えのある少女が不機嫌そうな顔をして立っていた。
「うわっとぉ!?」
『びっくりした!!』
びっくりして茶太郎を抱えて後ろに飛びのいた定吉に、少女は「遅い!!」を声を荒らげる。
「何で諦めて帰ろうとするんですか!?ここを探していたのでしょう!?」
「え、あぁ、いや…その…君は【甘餅堂】にいた子…だね?」
「そうです!あの後すぐに来るかと思ったらことごとく【抜け道】に気づかず行ってしまわれて…やっと祠の前まで来たかと思ったら休憩だけして帰ってしまわれて!!思わず陰(いん)に出迎えに行かせてしまいましたわ…!」
「す、すまん…えっとじゃあ…もしかしてここが?」
少女は「ふぅ」とため息を一つ付いて定吉に家、もとい店の中を見せる。
「えぇ、ようこそ【猫又屋】へ。私はこの店の主の紗代(さよ)と申します。ここは猫を愛し、なおかつ正しい心の持ち主しか来られない秘密の店…猫の事なら何なりとおっしゃってくださいね」
「猫の事なら何なりと」と少女、紗代が言った通り【猫又屋】には猫のためのあらゆる雑貨や道具、食べ物がそれはもうずらりと揃えられていた。よく見ると源蔵が持ってきてくれた同じものがいくつか並んでいる。
「すごいな…外からでは分からなかったが…中は広いな…」
『すごいよさだきち!かつおぶし!いっぱい!』
鰹節はそれ専用の棚が用意されており、種類も十数種類置かれていて茶太郎は抱っこ袋から乗り出し、ふすふすと鼻を鳴らして興奮している様子だった。
「こらこら茶太郎…危ないぞ…」
「お買い求めいただければすぐにでも食べていただいて構いませんよ」
「ははは…そう、だな…よし、茶太郎。さっき言ってた通り好きなのを選んでいいぞ」
『いいの!?』
「あぁ、ただし、買うまではよだれは垂らすんじゃないぞ?」
『はーい!』
茶太郎は目を輝かせて『あれがいいかな!?』『これ、いいにおいだよ!』とさらに興奮した様子で鰹節を吟味していた。そんな茶太郎をほほえましく見ている定吉の横に先ほどの黒猫が歩み寄ってきた。
『驚きましたね…もしかして貴方様、猫の言葉が分かるんですか?』
急に話しかけられてびっくりするも、やはり自分は猫の言葉が分かるのだと改めて認識させられた定吉はそのままその猫とも会話をしてみることにした。
「あぁ、ちょっと事故に合ってね…そこから分かるようになったんだ」
『ふむ…なるほど…………ほう?…主様、なにやらこの者から霊気を感じます』
「そうね、陰(いん)。多分これは…」
主と呼ばれた紗代もまた猫と会話をしていた。もしかして自分以外にも結構猫の言葉が分かるものがいるのではないだろうかと思った定吉であったが、霊気なんて言われているのはどういうことだろうか。
「その、店主殿…霊気とは何だろうか?」
「その字の通りよ。霊の気が貴方に…うん、今回の場合は体と一体化しているわね」
「??????」
『こほん。つまり、普通ではありえないことが貴方様に起こっています…例えば、猫の言葉が分かるとか』
「な、なるほど?」
定吉には難しく、何を言っているのか分からないが、とにかく何かが猫の言葉を分かるようにしてくれているらしい。
「…ええっと…店主殿も猫の言葉が分かるのかい?」
「えぇ、私は生まれつきですが」
「ふむ…では、他にこのように猫の言葉が分かるものはいるのだろうか?」
「さぁどうでしょうね…そこまでは分かりません。それにあなたは少し特殊な感じですし」
「特殊…?」
「ええ。そうですね……うーん確認はしておきますか…陰、ちょっと【お話】をしたいから陽(よう)を呼んできて」
『分かりました』
そう言うと黒猫は店の奥へと小走りしていった。一方茶太郎は鰹節に興奮しすぎて体力を使い果たしてしまったのか、抱っこ袋から顔と両手だけをだらりと出して眠ってしまっていた。
猫同心 鴨サラダ @kamosarada
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