翌日

 

 「死ぬかと思ったのぅ、婆様」

 「ええ本当に……生きていてよかったですよ、爺様」

 

 包帯グルグル巻き、昨日まで完全に死んだと思い込んでいた老夫婦がピンピンしながら目の前で飯を食っている。行儀よく、されど大量の米やら魚やらを。

  

 いやなんで生きてるんだよ、おかしいだろ。

 昨日確実に血溜まりの中で死んでたよね? ぐったり白目向いてたよね? どうやったらあそこからこっちに戻ってこれるの?

 

 (……僕も、生き延びたんだなぁ)


 僕は屋敷の庭、そこでせっせと後片付けを行っている大工やらなんやらを眺めながら、昨日が恐ろしい悪夢ではなかったことを静かに思い出していた。

 沢山の人が死んだ。僕も殺されかけて……そして、あの力に目覚めることができて姫様を助けて、そして──。


 「月影、顔真っ赤だけどどうしたの?」

 「えっ!? あっ、なんでもないですっ!」


 姫様にもバレてしまうほど顔に出ているとは、不覚だ。僕は誤魔化しのつもりで茶碗の中の米をかきこみ、よく噛んでから飲み込んだ。


 「はっはっはっ、今日はやけに食いっぷりがいいなぁ月影くん!」

 「姫様もなんだか嬉しそうですね。昨日の今日だというのに、なにか良いことでもあったんですか?」

 

 気を失っている間に起きたアレコレを知らない老夫婦二人は、ケラケラと笑いながら姫様に尋ねた。姫様は切り分けられた果実を美味しそうに食べながら、答える。


 「うん、昨日ね、月影に告白できたの!」

 「あ?」

 「まぁ!」


 吹いた。

 露骨に吹いた。


 「ひっ、姫様にゃにおうっ!?」

 「それでね、月影も私のことが好きなんだって言ってくれてー」

 「あー! あーあーあー!! 旦那様奥様誤解ですこれはえっとそのあの……」


 終わった。

 もう終わった、本当に終わった。

 仕えている従者の分際で主君に惚れ込んでしまうことだけでもご法度なのに、それが雇い主の両親にバラされてしまった……そう言えば僕、あの夜ドサクサに紛れて接吻されたよな? もしかしてあれって初めての──。


 「因みに唇もあげちゃいました!」

 「あああああああああああああああああああああああああああ」


 胃の中が全部ひっくり返るような激痛が精神的に走り、僕は速攻で土下座の体勢に移行する。言い訳の言葉も謝罪の言葉も貯蓄は無い、なので僕の将来もここで打ち切りである。


 「……は」


 だが。


 「はははっ、はははははっははははははっ!!!」


 旦那様が発した声色は、あまりにも楽しげであるように聞こえた。


 「そうか! 遂にお主らが結ばれたか! いやぁめでたい! めでたいぞ!」

 「……え?」


 面を上げると、そこにはゲラゲラ笑う旦那様と、目尻に涙を浮かべる奥様がいた。

 姫様もクスクスと笑いながら僕の顔を見ている。

 どういうことだ? 僕が、僕だけが取り残されているのか?


 「ごめんなさいね月影くん。でも、私達も姫様を預けるなら……やっぱりあなたがいいなぁってずっと思ってたのよ」

 「それは、どういう」

 「決まってるじゃろうが! 心じゃ、心!」


 旦那様はその場で立ち上がり、眉間にシワを寄せながら声を張り上げた。


 「姫を嫁に貰いたいと言う輩はどいつもこいつも碌な男がいない! 貴公子だのなんだのほざかれてたあの五人の男も、帝ですら自分のことしか考えてはおらんかった! 挙句の果てには可愛い姫の心を傷つけ……ああ、今思い出しただけでも怒りが押さえられんわい……!」

 「おっ、落ち着いてください旦那様! 人に聞こえてしまいます……!」

 「じゃがな! お主は違うぞ月影ぇ!!!!」

 

 浮遊感。旦那様は僕の襟首を掴み、なんとそのまま持ち上げてきたのだ。


 (酒臭ッ!? この人朝から呑んでるのか!?)

 「お主はぁ……小さい頃から姫の側におった……常にこの子のことを考え、この子のことを第一に考えていた……愛じゃ! そこには愛があったんじゃぁ!」


 じゃから! そう言って、旦那様は大粒の涙を静かに垂らしながら、言った。


 「儂の娘を、頼むぞ」

 「……」


 あまりの気迫に唖然とした。 

 身分も家柄も並以下の僕に、ただの従者でしか無い僕に……ただ”愛がある”という理由だけで自分の娘を託すと言われたのだから。


 「……あ」


 彼女を妻にしたいと思わない男はこの世にいないだろう。

 身分も地位も関係なく、ありとあらゆる立場に身を置く男たちが彼女に手を伸ばした。

 

 「ありがとう、ございます……!」


 僕はそれをいつも、”ああ、いいな”と眺めていることしか出来なかった。

 五人の貴公子たちが屋敷に来た時も、帝が姫様の部屋に忍び込んだ時も……僕はただ、気持ちを抑えることで精一杯だった。


 でも、もうそんな我慢はしなくて良いのだろう。

 

 投げられた好意を受け取って良い。それ以上の想いを、返したいだけ返していい。

 それは言葉でも行動でもいいし、縛り付ける鎖なんてどこにもないのだ。


 僕は単純に、嬉しかった。

 

 「こるぁ月影ェ!!!! 男児がそう簡単に泣くなぁっ……ううっ」

 「そう言う爺様も泣いているではありませんか」


 僕の背中をバシバシ叩く旦那様、その様子をクスクスと笑う奥様。

 そして、その様子を微笑ましく……頬を微かに赤らめながら見つめている、姫様。


 幸せだ、と。素直にそう思った。

 昨日という地獄を乗り越え、今という幸福を感受できている今この瞬間が。


 「……月か──っ」


 どさり、と。姫様がその場に倒れるようにしゃがみ込む。


 「姫様?」


 唐突に、幸福だったはずの時間が断ち切られたような音がした。

 そしてそれは、ブルブルと震えながら蹲っている姫様を見ることによって実感として襲いかかってきたのだ。


 「姫様、どうしましたか?」

 「……おねがいします」


 自らの両肩を抱き、それでもなお足りずに僕に抱きついてくる姫様。


 「ああ許して、どうか『浄化』だけは……どうかこの地に生きる全てを殺さないでください! お願いします! ……ああ、ぁぁあああああ……」

 「落ち着いてください姫様! いきなり何を仰られているのですか!?」


 この人の気が狂ったのであればまだよかったかもしれない。

 だがこの人の涙は、嘆きは、怒りは本物だった。きちんと心があり、正気の上で何かを嘆いているのだ。


 「滅ぼされる」

 「えっ?」


 泣き腫らした唇が、震える。


 「一年後の八月十五夜に、この地上は……月人の軍勢に滅ぼされる……」

 「──」


 言葉が出なかった。

 

 「姫、さっきからなにを言ってるんじゃ!?」

 「月人って……昨日のあの恐ろしい化け物のことを言っているの?」


 旦那様と奥様が心配そうな顔をしている。

 姫様は頭を抱えながら、地面に突っ伏すように蹲っている。


 「私が、私が帰ろうとしなかったから……ああ、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 「……」


 なんとなく、姫様がなにに怯え絶望しているのかが分かった。

 多分、彼女は月人たちと何らかの形で通じている。そしてそれを通じて、彼女に”地上を滅ぼす”という情報が伝わってきたのだろう。……その判断に至った理由も含めて。


 なんだよ、それ。


 「誰に、謝ってるんですか」

 「……月影?」


 湧き上がってくる気持ち、吐き出したい言葉が脳裏を埋め尽くす。

 ああこれは怒りだ、とてつもない怒りだ。

 

 「あなたは悪くない。なにも悪いことをしていない、そうでしょう?」

 「でも、それじゃあ……」

 「今の僕には力があります」


 感情の赴くままに、”それ”を片腕に纏う。影のような、毛皮のような……兎にも角にも僕の右腕は即座に漆黒の毛並みと爪を手に入れた。


 「な、なんじゃそれは!?」

 「昨日の戦いで目覚めた力です。これがなんなのかは僕にもよく分かりません……でも」


 僕はそう言って、目線を姫様の方へ移した。

 そして変化した片腕を見せ、示すように突き出す。


 「僕は戦えます。あなたを守れます、あなたのために戦えます。あなたのために戦いたいんです!!!!」

 「月影……」

 「月人の軍勢だろうが、神だったとしても関係ないんですよ」


 手の届かない場所に、行ってしまう気がした。

 もう二度と、会えない気がした。

 

 「僕だって一人の男なんです。あなたを……好きな人を命懸けで守りたいと願うのは、本能みたいなものなんですよ」


 あんな思いはもう御免だ。──だからこそ、笑う。


 「必ず守ります。来るその日に誰が来ようと、なにがあろうと」

 「……ぁ」


 一瞬、クシャクシャに丸めた紙のような顔をした。

 でもそれはすぐに俯くことで隠されて、僕には見えなかった。


 「……今のままじゃ、どうやってもあの者たちには勝てないわ」

 「っ、姫様……!」

 「ですが、希望はあります」


 ぐいっと目元を拭い、姫様は少し赤くなった顔を上げた。

 凛々しく、力強い眼差し。ああ、そうだやはりこの方はこうでなくては。


 「かつて私が五人の貴公子に示した”五つの難題”……その品々を集めるの。あれに秘められた力なら月人にも対抗できる。だから──」


 手が、差し出される。


 「月影。あなたに、この旅に一緒に来てほしいの」


 躊躇いがあった、まだ迷いがあった。

 表情から察するにこの旅はとても苦しく、長く、余裕の無い物なのだろう。命がいくつあっても足りないような、固めた覚悟がいつでも曲げられ引き千切られるような。


 「勿論です、姫様」


 ああ、だからこそ嬉しい。

 そんな苦しみを共に味わってほしいと、傍で支えてほしいと……僕を頼ってくれたのだから。


 「どこまでも、例えそれが地獄の底であっても共に参ります」

 「……ありがとう」


 姫の手を握りしめた手を、そのまた上から包み込むように握ってくる。

 擦って、撫でて。それはそれは慈しみのある、優しい緩急をつけて。


 瞼を閉じ、深呼吸。

 そして、ゆったりと開眼。

 

 「支度をしましょう。私達に残された時間は、一年しか無いんですもの」

 

 それはそれは、威厳と責任感に溢れた強い女性の目だった。


 


 

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かぐや姫の影武者 キリン @nyu_kirin

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