かぐや姫の影武者

キリン

八月十五夜の遠吠え

 かぐや姫様がいない。

 朝起きたら、寝床から消えていらっしゃったのだ。


 「……またか」


 片手で顔面を押さえながら、僕は深い溜め息をついた。

 三日に一度だろうか? そのぐらいの頻度であのお方は屋敷の敷地内でその身をお隠しになる……そうなると朝っぱらから屋敷は大騒ぎ! 身分関係無くかぐや姫を探すはた迷惑なかくれんぼが催されるのだ。


 世間ではあの方を「おしとやか」だの「生真面目」だの色々妄想されているが、側にいる僕から言わせてもらえばまぁお転婆お転婆! 山にいるガキと何ら変わらない悪童っぷりである。


 (旦那様たちが起きる前でよかった。僕だけでさっさと見つけてしまおう)


 伊達にあの方と十年同じ時を過ごしてきたからなのか、僕にはなんとなく彼女がどこに隠れているのかが直勘的に分かるようになっている。

 僕は屋敷の縁側をまっすぐ行き、角を曲がり……ぴくり、と。なんとなく床下のあたりにいる気がして、僕は縁側を降り、そのまま姿勢を低くして床下を覗き込んだ。


 (……いた)

 

 いる。

 寝間着姿のお転婆かぐや様が。


 「はぁ、まーたなにやってるんですかかぐや様。旦那様に叱られてしま──」

 

 啜り泣き。

 僕は自分の耳を疑った。だが、彼女の肩が微かに上下する度に聞こえる啜り声は……決して、決して聞き間違いなどではなかった。


 「月影?」

 「っ……」


 面を上げた姫様の顔は、泣き腫らして真っ赤だった。

 普段の天真爛漫で身勝手な彼女からは想像もできないような、あまりにも”弱い”部分が強く出ていた”かぐや姫”だった。


 「……はい、姫様。月影はここにいます」

 

 ホッとしたような顔だった。そのままかぐや姫様は僕に向かって両手を広げてきた……ああ、くそっ。ずるい人だ、こんな状況で断れるわけが無いだろう。

 僕は僅かな罪悪感と、絡まった糸のような複雑な心境に蓋を閉じ……この方の仰せのままに、その華奢な体を優しく抱きしめた。


 「……あったかい」

 「どうしたのですか? こんなところで泣いておられるなんて」

 

 この人には何年も振り回され続けてきたが、今日ばかりはなにもかもがわからない。この人が泣くことなんて今まで見たことが無かったし、涙を見せるような女性ではなかったはずだ。


 「あのね、月影」

 「はい?」

 「驚かないで聞いてほしいんだけど、いいかな?」

 「……あなたには襟の中に蛙や百足を入れられたことだってあるんですよ? 今更ちょっとやそっとのことじゃ驚きませんよ」


 口に出してはみるが、正直何を言われても驚く気しかしない。何を言われるのだろう、どんな辛いことがあって泣いているんだろう……知りたいが、この人を襲った不幸の正体を知りたくない、想像したくない。


 「そっか、そうだよね。……うん、じゃあ言うね」


 吸って、吐いて。

 そして、僕への強い抱擁を解いて、面と向き合って。


 「……帰りたくない」

 「え? って、えっ!? ちょ!?」


 離れたかと思えば、急に目尻に涙を一杯にして抱きついてきた。


 「ひっ、姫様いけません! 僕のような身分の低い……」

 「帰りたくない! 月になんか帰りたくない……もっと、もっとずっとあなたと一緒にいたいのに! でも迎えが来るの、もうどうしようもないの!」


 湧いた疑問さえ冷めるような激情。

 なんだ、なんだこの取り乱しぶりは。


 「お、落ち着いてください姫様。帰りたくないと仰られても、ここはあなたのお屋敷で、迎えも何も……僕には言っている意味が分かりません」

 「違う、違うの……」


 嘘でも、ふざけでもない。


 「帰りたくない……」


 夢なら覚めてくれと、そう言わんばかりの苦しげな声だった。


 「月になんか、帰りたくない……」


 離さないで、と。

 縋り付くような、しがみつくような……そんな、怯えきった抱擁だった。







 八月十五夜の鈴虫が鳴く頃、僕は影武者としての最後を静かに待っていた。

 

 「かぐや姫」としての装いをするのは、これが最後だろう。

 御簾で隠された謁見の間に座しながら、僕はふぅ……とため息をついた。


 (まさか、あの方が月の民だったとは)


 まぁあまりにもお美しすぎるので納得はできる。だがまぁ、それがまさかこんな大騒ぎに発展してしまうとは……やれやれ、どこまでも人騒がせなお人だ。


 (……月、か)


 そう言えば、と。僕は一つ、自分の記憶について思い出していた。

 

 ”満月の夜に外に出てはいけない。もし出てしまえば、お前は狼になってしまう”


 意味が分からないが、母と思わしき人物の残した言葉の記憶は……これだけしかない。

 ただ、なんとなく、これはどうしても守らなければならない言いつけなんだろう。

 

 ……こんなことを考えるということは、僕は自分が思っているよりも不安で胸が一杯なのだろう。


 だが、影武者の僕にできるのは、もうこれしかない。

 帝からの軍勢は手練れ揃いだ。必ずや月の都の使者とやらを返り討ちにしてくれるだろう……なぁに、いざとなれば僕が代わりに連れ去られればいいだけの話なのだから。 


 (あの方は、ちゃんと逃げてくれただろうか)


 お転婆なあの人のことだ。きっと、牛車に乗ることを最後まで拒み続けて従者を困らせたに違いない……泣き喚いて、嫌だ嫌だと駄々をこねながら暴れたことだろう。

 僕の最後の仕事が決まった瞬間もそうだった。一緒に逃げようとか、私が行けばいいとかそんな……馬鹿げたことを申され続けていた。


 「……ふふっ」


 馬鹿だろ、と。

 僕は静かに笑みを零しながら、溢れかけていた目元の雫を拭った。


 「姫様、あなたは破天荒で、暴れん坊で、いつまでも子供で……こんな僕を友達だと言ってくださいましたね」


 誰に聞こえるわけでも、誰に伝えたいわけでもない。

 それでも最後に言葉にしたかった。

 

 「僕は幸せでした、あなたに仕えることが出来て」

 「ふーん、まるで遺言みたいね」

 「え? ……っ、ちょ!?」


 直後、垂れ下がっていた御簾を開け放ち……軽装の女人が飛びかかってきたのだ。

 

 「痛ったた……何者、って、え? 姫様!?」

 「ええそうよ姫様よ! 本物の、本物のかぐや姫よ私は!」

 「しーっ! ああもう、お口元失礼しますっ!」


 僕はとにかく混乱しながら、でかい声を上げ続ける姫様の口を押さえつけた。


 「なんでまだこの屋敷にいるのですか!? あなたは今頃、帝の屋敷に逃げているはずではぁああ痛い痛い噛まないでくださいっ!?」

  

 口元を押さえるために使っていた手を思いっきり噛まれた。ああそうだ忘れていた、このお転婆姫は胡桃をも噛み割る野生児だったんだ!


 「痛い! 酷い! なにするんですか姫様ぁ!!」

 「ぷはっ……なんでって、それは」


 ぽたり、と。

 水が垂れるような音が、畳に落ちて染み込んでいく。


 「姫、様?」

 「それは、それは……言わなくても、分かるでしょうが……!」


 胸ぐらを掴まれ、頭突き。

 ぐわんぐわんと揺らいでいく意識、その中でふわりと暖かく、唇に密着する感覚……拒むこともできず、僕はただただ泣き腫らした姫様の顔を至近距離で見つめていた。

 

 「何年一緒にいると思ってんのよ」

 「……」

 

 初めは、同い年の主従関係だけだった。

 でもやがてそれは純粋な友情になり、親愛になり……遂にはお互いに見て見ぬふりをしながら、それが恋情になっていることを知っていた。


 「……ねぇ、月影」


 いいや、違う。

 見て見ぬふりをしていたのは、僕だけだ。


 「今からでも、一緒に逃げちゃわない?」

 

 固い抱擁。耳元で囁かれたその提案は、あまりにも理性を甘く鈍らせてきた。

 考えないようにしていた。抱いてはいけないこの気持ちのことを。

 夢見ないようにしていた。もしも、もしも自分が……この人に見合う家柄と教養を身に着けていたら……と。


 願わないようにしていた。

 この劣情や願いを、この人も僕のために抱いてくれていれば……と。


 「……姫様、僕は──」


 小さく華奢な背中に手を回そうとして、僕は御簾の隙間から差し込む光を、見た。 

 

 『姫様に触れるな、穢らわしい地上人めが』


 ぷつん、と。

 糸が切れたような音が聞こえた頃、僕は自分の右腕がボトンと落ちたのを視認した。


 「ぁぁぁっぁぁぁぁあぁあああああああああああああ!!!!!」


 ぶしゅう、ぶしゅう。

 吹き出す鮮血、鈍く鋭く灼けるように痛むグチャグチャの断面。この目で見ることも、触れることも怖すぎてできない……僕は地面を舐めるようにその場に倒れ込む。


 『遅れて申し訳ございません。私は虹天と申します……姫様のお迎えに参りました』

 「月影! ああ、あぁあ……血が、死んじゃう……」

 『おやめください月姫様。そのような穢らわしい液体にお身体を晒すなど……』

 「っふ……ふっ、ふぅ」


 僕は見上げた。僕の右腕を吹き飛ばした、この得体の知れない声を発する存在を。


 「……ぁ」


 そこには、人間ではない光り輝く女が立っていた。

 肌は恐ろしく白く、輝く気のようなものを纏っており……神や仏と名乗られても違和感がないような、そんな気持ちが悪いほどに完成された存在が立っている。


 「あ、ああ、あぁぁああああああ」


 そしてその背後には、地獄が広がっていた。

 帝から遣わされた武者が、天下無双一騎当千と世を騒がせていた武将たちが率いる侍全員が……屋敷を赤く染める血の海で染まっていたのだ。

 

 「あっ、あっあ、ああああ、あああぁぁぁぁ!!?!?!?」

 『気持ち悪い、死ね』

 「ぶっ」


 衝撃だった。

 振動でも斬撃でも、打撃でもない。ただただ衝撃が、僕の右半身を背後の壁ごと抉り取った。……その壁の向こう側には、見覚えのある着物を着た老夫婦の死体があった。


 (旦那様、奥様……すみません……)


 視界が黒ずんできた。

 ああ、姫様が連れ去られていく。

 迎えに来たと言っていた、空の向こう側になにか……人だかりのようなものが見える。あれは、多分、コイツらの仲間だ。きっと、今の女と同じような得体の知れない力を持った奴らが……うじゃうじゃいるんだろう。


 無理だ。

 初めから、あんな奴らに勝つことなんて無理だったんだ。


 僕は死ぬ。

 今すぐにでも死ぬ……意識も、目も、耳も、もはやあらゆる感覚が闇に沈んでいく。

 

 (いやだ)


 強く、そう思った。

 嫌だ、嫌だ嫌だ死にたくない。

 痛いのも、苦しいのも、このまま終わるのも嫌だ。


 最後に見るのが、あんな満月だなんて嫌だ!


 (死ねない)


 それに、まだ返事ができていない。

 あの人からの魂の告白に、僕はなにも返せていない。


 (死んで、たまるかっ……!)


 藻掻く。

 動かす、足掻く。

 吹き飛ばされたはずの両腕を使って闇の中を藻掻く。気づけば傷口は塞がり、あれだけ遠のいていた意識は澄んでいて……透明にして鮮明だった。


 ぞわり、ぞわり。

 あらゆる感覚が開き、広がり……五感の全てが研ぎ澄まされていく。──拓かれていく感覚のその先に、姫様を確かに感じる。


 これが執念なのか、それとも僕は既に死んで死霊の類へと変貌したのか、それは定かではないし……今はどうでもいい。


 (……姫様)


 ただ、一つだけ確かなことがある。

 

 (今、助けます)

 

 戦える。

 その事実だけが、腹の底からの遠吠えと共に……僕に流動する闇の中を藻掻き進む勇気を与えてくれた。








 天に浮かぶ”觔斗雲”の上に月から来た下女たちが綺麗に整列している。

 そいつらの見る前で、私と虹天は対峙していた。


 『聞き分けの悪さに磨きがかかっておられますね』 


 冷めた目で私を見下しているその女は、呆れたような口調で物を言う。

 アイツが、月影を殺した。

 私の初めての友達で、初めて出来た好きな人で……大切な、大好きな、あいつを殺したクソ野郎!


 『貴方様はいつまで穢れた”人”でいるおつもりなのですか? もうごっこ遊びをするような年ではないでしょう?』

 「うるさい、うるさいうるさいうるさいっ!!!」


 隠し持っていた小刀の鞘を抜き、虹天の懐に突っ込み……ぶっ刺す。


 「死ね……死ねっ、死んであいつに謝れ……!!」

 『はぁ、これで気は済みましたか?』


 殴打。側頭部への衝撃が、私を傍観する月人たちの方へと吹き飛ばす。


 「……かはっ」


 意識がやばい、音も感覚も二重になって揺れている。


 『言い方を変えましょうか、姫様』

 

 しかし、しかし。

 がしり、と。明らかな悪意を以て髪を引っ張られたその感覚は、しっかりと伝わってきた。


 『”お前の首と胴が繋がっているのは、ひとえにお前如きを今もなお愛していらっしゃる月王様のお慈悲によるものでしかない。身の程を弁えろ、醜女が”……と』

 「っ……ぅ」


 背中を踏まれ、後ろ髪を思いっきり引っ張られている。


 『全く、何故月王様が貴様のような醜女を数百年も想われ続けているのか……私には理解できません。ああ、こんな──』

 「あああっ……ああっ、くぅ!?」


 ブチブチとちぎれる私の髪。分かる、伝わる……今私のことを踏みつけにしているこの女は、私に対して明確な悪意と害意を持っている!


 『醜女、醜悪、不潔、不純、不衛生不衛生不衛生ッッ!!!!!!』

 「がっ……うっ、うぶっ」


 踏みつけ、蹴られ、蹲りながら頭を抑えるしか無かった。

 

 『そんな穢れた肉体だから痛みがある! 長持ちしない、すぐに魂と共に醜く老いる……そんな、こんな欠陥品でしか無い地上に心奪われたお前など、あの方に想われる資格など無いのだ……!』


 はぁ、はぁ。

 息が上がっているのが丸わかりだった。


 『……忌々しい』

 「!? っぁ、やめ……」


 再び髪を捕まれ、宙ぶらりんに吊るされる。


 『ご安心ください姫様。首だけになろうが肉片だけになろうが、我らの蓬莱の薬さえあればあっという間に元に戻ります……なので』


 抵抗も反撃もできないほど身体を痛めつけられた私は、ただただ目の前で女の手に収束していく『神通力』を見ているしかなかった。


 『あと百回ほど殺しますね。大丈夫、その頃には穢れも消えているでしょう』


 死ぬ。

 殺される。

 月影と同じように、身体の大半を『神通力』で抉り吹き飛ばされて。

 

 (……月影)


 なにも、できない。

 一矢報いることが、できない。

 

 「……たすけて」

 

 応じてくれる者などいない。


 ──ァァォォォオオオオオォォオオオンンッッ!!!!!!!!!


 はずだった。

 揺らめく影を纏った獣が、虹天の落とす影から姿を現すまでは。


 『影狼……っ!?』

 「姫様から離れろ」

 

 収束した『神通力』が虹天の手から放たれる。

 だがそれは何を抉ることもなく虚空に消えていく。既にそこに、獣の姿は無かった。


 『消え──』

 「獲った」

 

 虹天が振り返ると同時に、すれ違いざまに揺らめく影を纏った獣の凶爪が……女の片腕を吹き飛ばす!


 『がぁぁぁ!?』

 「きゃっ……」 


 苦しむ虹天が私の髪を離す。その瞬間、私の身体は天に浮かぶ”觔斗雲”をすり抜け……真下の地上へと真っ逆さまに落ちていった。


 「月影っ……」

 「はい、ここに」


 落ちていく私は、空中にて何者かの腕の中にすっぽりと収まり……そして落下死を免れた。

 

 何が起きた。

 あの一瞬で何が起きた、あの女の腕を吹き飛ばしたのは誰だ?


 「遅れてしまい、申し訳ございません」

 「……つ」


 いいや、いいや。

 そんなことは最早どうでもいい。だって、今この瞬間……私を受け止め抱きしめてくれているのは。


 「月影……!」

 「はい、僕です。あなたの影武者、月影です」


 揺らめく黒い影のようなものを纏っていた。

 陽炎のごとく揺れる尻尾もある、耳もある……爪や牙も、漆黒の揺らめく影の毛皮だってある。

 しかしそんな妖魔異形の類としか思えない姿であっても、月影の顔は朗らかに優しかった、人間だった……誰よりも優しい抱擁だった。


 「よかった……生きてて。本当に、よかった……!」

 『なぁぁぁあにぃいいいいしぃいいてぇんんだぁああよぉおおおおおおお!?!?!?』


 天から響くがなり声。

 見上げるとそこには、片腕を失い激昂する虹天が立っていた。


 『獣風情がよくも私の高貴なる腕を……穢らわしい、ああ穢らわしい! 鳥肌が止まらない……! 八つ裂きにしてやる、そこの醜女と仲良くなぁ……!』

 「……姫様の前でこんな言葉を使うのはとても心苦しいのですが」


 口を開いたのは月影だった。

 視線を移すとそこには、梅干しのように皺の寄った憤怒の顔があった。


 「醜女はお前だ、鑑見ろブス」

 『──』


 表情筋が割れて中から化け物でも出てくるんじゃないかと思うぐらい、皺がくっきりと刻み込まれていた。私は虹天のそんな、そんな……いや、待って、ごめん無理堪えられない。


 「あはっ、ふっ……うふふあはははははははっ!」

 

 駄目だ、面白い。

 死ぬような目に遭ったのに、父様も母様も死んでしまって悲しくて堪らないのに。

 どうしてこんなに私は笑えるのだろう。


 (ああ、そうか)


 安心しているんだ。

 私は今、大好きな人の腕の中で安心しているんだ。


 『……蓬莱の薬は』


 ぼやくように、虹天が口を開く。


 『例え死者であっても生者として蘇らせる。だから、そうだ、そうだ……ぶっ殺してやる、ぐちゃぐちゃのべちゃべちゃの糞肉にしてやろう! 安心しろ薬はいくらでもある……殺す、潰すっ! 腐らせるッ!』


 狂ったように笑い、それ以上に顔を皺まみれにして激昂しながら残った片腕を天に掲げる。──見える。その手に、練り上げられた『神通力』が収束していくのを。


 あれが直撃すればこの屋敷はおろか、ここら一帯が消し飛んでしまうだろう。

 でも、何故だろう。 


 「ねぇ、月影」

 「はい?」


 空に浮かぶ”觔斗雲”に指を差す。 

 正確には、そこで殺意マシマシの虹天の方に。


 「あのおばさんに、で〜っかいお灸を据えてやって頂戴!」

 『死ぃいいねぇえええええええええええええ!!!!!!』


 怒りが頂点に達した虹天の両掌から巨大な光弾が放たれる。

 

 「……ええ、勿論」

 

 そう言って月影は、私を片手で抱きかかえながら……右の掌を放たれる光弾の方へと向けた。


 直後、周囲の”影”が引き寄せられていく。

 渦を巻き、一点に集まり消えていき……そんな、蠢く黒渦を握りしめ、そしてそれは向かってきた光の塊を表面から勢いよく吸い込んでいき……全て吸収し尽くしてしまったのだ。


 『なっ……!?』

 「返すぞ」


 そして肥大化した渦を握りしめた月影は、それを天へと投げ放つ。


 「受け取れ、これが──」


 それは、黒い光。

 決して早くない、しかし確かに強く深い黒を称えた光球は……”觔斗雲”へと吸い込まれていき。

 

 「冥土の土産だ」


 業ッ!

 風が鳴り、空が裂かれ……その中心には引力が生まれた。


 『ぁぁああああああああああああああああああああ!?!?!?』


 困惑、恐怖。状況を飲み込めないまま、抗うことすら敵わないまま……虹天を乗せた”觔斗雲”は渦の中心に引き寄せられ飲み込まれ……そのまま黒い渦は風を土産に消え失せた。


 「……消えちゃった」


 一瞬だった。

 あの月人が、圧倒的な力を持っていたはずの月人の軍勢が……あんなにもあっさりと飲み込まれて消えて、全滅した。

 

 「姫様!」


 やったのは、こいつ。

 私の従者で、たった一人の友達で……そして、私の大好きな月影。


 「大丈夫ですか!? ああ、御髪をこんなにされて……ああ申し訳ありません、僕がもっと早く助けていれば……」


 あたふたした様子の月影は、元の月影に戻っていた。

 最早そこに、獣らしき面影はどこにもない。


 「ねぇ、月影」

 「はっ、はい!?」

 「私のこと好きでしょ」


 腕の中で、胸を高鳴らせながら。

 今なら言える、今しか言えないと……そう悟って、そうしたいと願って。


 「……えっ、あっ。えっと、その、あの」

 「私は好きだよ」


 ああ、言えた。

 やっと言えた、やっと伝えられた……ようやくこの人の顔を、私で真っ赤にすることが出来た。


 「大好き。ずっと、ずっと好きだった」

 「……!」

 「教えて? 月影は、私のことどう思ってるの?」


 分かりきった答えを、尋ねる。

 困って、目を逸らして、でもやっぱり誠実だから口をモゴモゴしながら、そして。


 「……好きに決まってるじゃないですか」


 そう言って、私のことを大事そうに抱え直してくれた。

 なんてかわいいんだろう、なんてかっこいいんだろう、なんて頼もしいんだろう。


 「そっかぁ……」


 私は今日、多くを失った。両親が死んだ、人としての立場も偽りだと明かしてしまった。

 

 「よかった。両思いだね、私達」


 それでも、今日が来てよかったと思う。

 この世で一番大好きな人に思いを伝え、その人から最高の返事を貰うという……今日が。


 悔しいぐらい月が綺麗な夜だった。






《作者TIPS》

もしかしたら連載するかもしれないので、星とか感想とか投げておくといいかも……?

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