第3話

 昭夫が月光で働きだしてから、一年が過ぎた八月の公休日であった。彼は久し振りに故郷の京都郡みやこぐんに帰ったのである。実家には両親が住んでいる。父の達夫は五十六歳、母の夏美は五十三歳である。二人とも元気であった。昭夫には三歳年上の姉が居た。二年前に築上郡ちくじょうぐん椎田町しいだまちのお茶屋に嫁いでいた。父の達夫は農協に勤めている。母は農閑期のうかんきには、燃料店にパートで働いていた。実家には田畑もあって、田では米を作っていた。七反程の田を所有していた。所謂いわゆる兼業農家だったのである。

 昭夫は豊津とよつ高校を卒業して、山三やまさん自動車の工場に勤めていたのだが、父の達夫がバイクに乗っていて、事故に遭い、農作業が出来ない時期があった。その時に、山三自動車を退職して、両親を手伝って農業をやっていた。

 会社に休職願いを出したのであるが、本人の病気では無かったので認められなかったのである。父の怪我も治癒したので、彼は、宗像市にあるパチンコ店の【タイヨウ】に就職したのだった。両親はパチンコ店への就職には反対したが、中途採用の求職は厳しい時期だったのである。


「ただいま!」

 畑に出て、くわで土を起していた母の夏美が昭夫の顔を見て驚いていた。頭に手ぬぐいを被り、茶色のシャツに紺色の花柄のモンペ姿であった。白いゴム長靴を履いていた。

「あらあ、お帰り!久しぶりだぁね。今日はどうしたの?」

「うん。特別に用事じゃないけど、元気にしとるか見にきたんよ」

「ああ、ふたりとも元気にしとるよ」父の達夫は縁側に腰かけて、退屈そうに煙草を吹かしていた。

とうちゃん、ただいま」小坪こつぼの木戸を押して、昭夫は縁側に行き、達夫の横に腰かけた。

西瓜すいかがあったろうが、切って持って来てやれ!」と彼は夏美に向かって顎をしゃくった。

 三人は縁側に腰かけて、西瓜にかぶりつきながら喋った。達夫は鼠色の作業服の上下に地下足袋じかたびを履いていた。首にタオルを巻き、頭には麦わら帽子を被っていた。

「今、八幡のパチンコ店で働いているんよ」それを聞いた達夫が

「転勤になったのか?」と訊いた。夏美も昭夫の顔を覗き込んでいた。

「いや、前の所は辞めたんよ!」とこれまでの経緯いきさつを話したのである。

「まあ、元気で働けていれば、それでいい。いよいよ困ったときには帰って来いや」と達夫は昭夫の目を見ながらポツンと呟いた。

 昭夫は土産に持って来た『博多通りもん』の菓子折りを渡した。母が帰り際に、家で採れた茄子なすときゅうり、それにミニトマトを入れた袋を

「はい、おみやげ」と言って渡して呉れた。昭夫はJR日豊本線の苅田かんだ駅まで父に軽トラで送ってもらった。そして、日豊本線で西小倉駅まで行き、それから鹿児島本線の下りの電車に乗り換える為に、座席を立った。その時に、棚に載せていた母から渡された野菜の入った袋を降ろそうとしたら、小さなビニール袋がポトッと座席に落ちて来たのだった。

 誰かの忘れ物だろうか?と思った。彼の座席の周りには誰も居なかった。袋の中には、読み古した西日本スポ-ツ新聞と、白いマスクが二枚と、何かチケットの様な券が入った透明な小袋が見えた。昭夫は落とし主が困っているのではと心配したが、中身を覗いて、『なんだ!ゴミじゃないか』と腹が立った。仕方がないので、電車を乗り換えるついでに、ホ-ムにあったゴミ箱に捨てようとした。その際、念のために、今一度、ビニール袋の中身を出して確かめたのである。

 まず、新聞を捨て、マスクも捨てた。さらに、一番下の底にくっ付いていた、小さな透明のビニール袋を捨てようとした。その時に、チケットのような券を改めて確認したのである。良く良くみると、それは宝くじ券だった。【サマ-ジャンボ】の宝くじ券だったのである。昭夫は落とし物として、八幡駅で降りた際に、駅前の交番に届けたのである。

 その際、『どうせ、当たっていても末等の三百円だろう。でも、忘れ物なので、届け出る義務がある』と思ったからだった。スポ-ツ新聞とマスクを捨てた事は警察には説明した。でも、落とし主の特定はむずかしいだろうなと昭夫は思ったのである。

 宝くじ券は連番で十枚あった。

 警察では、【拾得物件預かり証】を手渡された。そして、三ヶ月経っても落とし主が現れない場合は連絡しますと言われたのだった。

 下宿には、十八時半過ぎに帰り着いた。登美子さんに

「田舎の母からの土産です」と言って野菜の入った袋を渡した。

「まあ!ありがとう。良く育って、綺麗な野菜だわねぇ」と大変喜んでくれた。

 翌日の木曜日も店のお客さんは、いつも通りの年金暮らしのお年寄りの常連が大半だった。台の稼働率もいつもと変わらなかった。

 昭夫は金曜日も、また、休みだったので、小倉城まで出かけて、天守閣迄登ってみた。その後、松本清張記念館に立ち寄って、魚町銀天街でラーメンを食って、銀天街の中にあるパチンコ店で、一時間遊んだ。五千円儲けた。下宿には十九時に帰り着いた。

 この日の夕食にはかれいの煮つけが出た。昭夫の大好物だった。休みの日の夕食は、趙さん夫婦と一緒に食べることが多かった。「一緒に食べましょう」と趙さんも登美子さんも誘ってくださるので、本当にありがたい。趙さん夫婦も三人で食べた方が楽しいとおっしゃるのだった。趙さんは、あまりお酒は飲まないのだが、三人の時にはビ-ルを皆で呑むのが恒例になってしまっていたのだった。

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