第2話

 月光の店休日は、毎月第三水曜日だった。店のスタッフは、オーナ-の趙さんを入れて六人だった。一番年配の秋山さんが六十二歳、開店時からのスタッフである。

 次が木村さん、五十八歳、勤続五年目。佐藤さん、五十五歳、四年目。田中さん四十九歳、二年目。それに昭夫である。

 スタッフは飛び石の週休二日制だった。原則平日である。その為、平日は基本的には三人体制での営業だった。

 昭夫の給与は額面二十五万円である。趙さん宅での下宿代を二万円払って、税金や健康保険代、雇用保険代等を引かれて、手取りは二十万円平均だった。

 趙さん夫婦には子供は居なかった。彼は台湾出身である。奥様は日本人で、登美子さんと云った。五十八歳だった。趙さんは十五年前に日本国籍を取得していたのである。現在六十五歳である。彼は登美子さんとは横浜で知り合ったのである。

 それは、趙さんが中華街にある店で働いていた時だった。当時、横浜国立大学の学生だった登美子さんは、友人と一緒に、趙さんの居た中華料理店に良く食べに来ていたのだった。この時、趙さんは、その店の料理長だった。彼は手が空いてるときは、出来るだけお客様に挨拶をするように心がけていたのである。その日は、たまたま登美子さんたちのテ-ブルに、挨拶に来たのだった。

「本日は、ご来店有難うございます。当店の料理長の趙と申します。料理についてのご感想や、ご意見がございましたら、遠慮なくおっしゃってください。」と言って名刺を渡したのだった。登美子さんが

「いつも美味おいしく頂いております。満足しています」と応えたのである。そして彼女は、持ち前の物おじしない性格を発揮して、趙さんに訊ねたのだった。

「私たち学生なのですが、二人とも横浜に住むのは初めてなのですよ。横浜の観光地巡りをするバスなんてあるのですかね?」それを聞いた趙さんは、微笑みながら、「ありますけれども、何でしたら私がご案内してあげましょうか?」と、行き成り申し出たのである。これには、登美子さんも友人も驚いたのだった。

 そして、その三日後の水曜日に、趙さんの車で、市内観光をしたのだった。水曜日は、趙さんの店は定休日だった。登美子さんたちも、特に講義がなかったのである。そうして、登美子さんと趙さんは、相性が良かったのか、それ以後も付き合うようになったのである。友人も、二人の交際を応援して呉れたのである。

 登美子さんは、元々、活発で、積極的な女性だった。外国人との交際も何の抵抗も無かったのだった。二人の交際は続き、互いに結婚を意識するようになったのだった。ところが、二人の結婚は祝福されなかった。

 登美子さんの両親は台湾人との結婚に猛反対したのである。その結果、二人は駆け落ちして、九州まで流れて来たのである。登美子さんの実家は福島県だった。

 超さんが三十一歳、登美子さんが二十四歳の時であった。

 一方、趙さんの台湾の実家は裕福であった。両親は台湾に帰って来て、料理店でも開店すれば良いではないかと勧めたのだが、

「登美子に風俗習慣の異なる異国で苦労させたくない」と言って、日本に残って、パチンコ店を開店したのである。台湾の両親は結婚の祝いとして、開店資金を出して呉れたのだった。

 初めは、アパ-ト暮らしであったが、パチンコ店が繁盛し出してから、収入も増え、八幡に二階建ての大きな家を建てたのである。でも、二人だけでは広すぎたので、二回を三部屋に区切って、大学生を対象に下宿屋を始めたのだった。しかし、最近は下宿する学生も居なくなり、ずっと空き部屋になっていたのである。その部屋の一室を昭夫は借りたのである。朝夕食事つきで、風呂にも入れて、昭夫にとっては快適な下宿であった。

 趙さん夫婦も

「私たちを親と思って、気軽に生活していいから」と優しく面倒を看て呉れるのだった。昭夫は、大層恵まれた環境を手に入れたのであった。

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