茶飲み

こーの新

茶飲み


 木魚の音と和尚の独協をバックミュージックに四兄弟が顔を合わせた。


「久しぶりだな」


 長男。烏 三十五歳。代表取締役社長。


「元気そうじゃん」


 次男。煎。二十三歳。保育士。


「ああ」


 三男。普洱。二十三歳。フィットネストレーナー。


「やっほ」


 長女。紅。十八歳。高校生。


 異母兄弟である彼らが集まる理由。それは他でもない彼らの父である私の葬儀だったから。八十九歳。何がめでたいと思いながら死んでいった。不倫行脚が趣味の糞親父だと家族は口を揃えて言うような男だったが、一応家族は全員集まってくれた。


「みんなで顔を揃えるのはいつぶりかな」


「さあ。僕は普洱と紅と会うのは十年ぶりくらいじゃないかな」


「だな」


 煎の言葉に普洱は頷くと目の前のプーアル茶を一口啜る。紅はそれに顔を顰めながら紅茶に口をつけた。


「私と普洱も会ってなかったわ。まあ、烏くんが教えてくれるから何しているとかは知っていたけど。妹のこともあるし気にしている余裕なんてないわ」


 紅は名前の通りというべきか、真っ赤なルージュを引いている。若いけれど貴婦人のようなオーラを纏っている。彼女には異母兄弟の他に異父姉妹も三人。複雑すぎる家庭環境の中で母を早くに亡くしていた。


「紅は大学受験もこの間終わったんだったな」


「うん。受かったよ。烏くんが入学金を用意してくれたおかげ。ありがとう」


「他の必要なものも全て私に言うと良い。全ての責任を持とう」


 後ろ盾を失った紅を支え続けたのは烏。紅は顔も良く経済力もある烏を頼りにしていた。


「烏くんは親父の会社継ぐんだっけ」


「ああ。社員をあいつのせいで路頭に迷わせるわけにはいかないからな」


 烏は余裕のある笑みを浮かべてウーロン茶を飲む。中年を目前に身体のことが気になるようになった。


 長男であり知略に富んだ女であった正妻の息子である烏は、才能面で彼女と私に似て、学べばすぐになんでもできるようになるような人間だった。蛙の子は蛙だというが、龍の子も龍だった。


「身体を丈夫に保つために、普洱が勤めている事務に通い始めたんだが、なかなか調子が良いんだ」


「そうか。烏くんは計画的だから、向いている」


「ありがとうな。普洱の協力のおかげだ」


 微笑む烏に対して普洱はフイッとそっぽを向いた。普洱は勤務しているフィットネスジムでも口数が少ない。それでも筋肉との会話は怠らないために筋肉隆々な身体つきを維持している。


「煎も烏くんを見習え。幼児の相手をするにも筋力はひつようだろう」


「だーかーら! なんで命令口調なんだよ。俺の方が三か月兄貴なんだぞ!」


「そういう器の小ささだろうな」


「なにおう!」


 普洱の双子の兄というわけでもなく、しっかり三か月早く生まれた煎。幼いころから母に似て病弱なせいで同い年の普洱に世話を焼かれていたことが気に食わなかった。そしてそれは社会人になった今でも変わらない。


「ふん。烏くんに言われればむかつかないけど、お前が言うとむかつく」


「ふっ、こんなのが一応教育者の端くれとは。この国も末期だな」


 普洱も煎を相手にするときだけは饒舌なものだから、この二人は喧嘩が絶えない。まったく、喧嘩するほど仲が良い二人だ。


 煎は煎茶を煽るとおかわりを取りに向かう。そこでふと、四人の母親のうち存命している煎と普洱の母親の話が聞えてきた。


「これで紅ちゃん以外は成人したし、紅ちゃんのことは烏くんが面倒見てくれるのよね?」


「ええ。私たちは遺産だけもらってさっさと退散してしまいましょうよ」


 煎は顔色一つ変えずに母親の話を聞く。顔色が変わらないというより、笑えないと言った方が正しいか。煎の母親は病弱にも関わらず明らかに遺産目当てで煎の父親に近づき、見事に子を産んでこの家の一員となった。その一方でちゃっかり恋人までいた。


 その男と遊んでばかりで放置されていた煎は、自分が遺産を得るために生まれた子どもだと悟った。奇しくも母に似て病弱な煎が苦しんでいたとき、寂しさで空いた心の穴を埋めたいとき、定期的に会いに行っていた烏を拠り所としていた。烏がいなければ煎はもうこの世にいなかったと言っても過言ではない。


 普洱の方の母親は煎の母親のやり口を見て真似して近寄ってきた女だった。好みだったんだな。しっかり楽しんで、遺産が目当てだったと気が付いて騙されたと思ったときにはもう遅い。普洱を身籠っていた。


 普洱の母は正妻である烏の母を責め立てることを厭わないほど気が強かった。普洱への当たりもきつく、普洱は人間への期待を捨てた。それでも毎月のように必ず現れては可愛がってくれる烏には心を開いた。


 紅の母親は病弱ではなかった。むしろ強かった。けれど流石にトラックには勝てなかったらしい。交通事故で亡くなった。彼女は蝶のような魅惑的な少女だった。年齢を誤魔化されていることに気が付いたのは紅の妊娠が分かったとき。中学生だと言われたときには腰を抜かしてぎっくり腰になった。


 それ以来同じ手口で食われた男があと三人いるというのだから、初めに引っかかってつけあがらせてしまった私が最も大罪だっただろう。紅はあの女の血を確実に引いている。高校生らしからぬ色気を含んだ表情と真っ赤なルージュ。そんな紅が烏に懐いていることは一目瞭然だった。母に愛されず父はおらず。異父姉妹や義父とは心理戦ばかり。ただ純粋におのれを心配し、会いに来ては力を貸してくれる烏に懐くことは必然だっただろう。


「とにかく、みんなが無事に、それぞれ生きていてくれて良かったよ」


 そう言って微笑む烏の表情は母親そっくりだ。私が生涯最も愛した女と同じ笑み。私にとってこの世で二番目に愛おしい存在だ。


 烏の母は知的で包容力があった。力強く、愛人たちに罵られてもさらりと受け流してしまう。その強さに私は甘えた。彼女が倒れてすぐ、医者は言った。ストレスからくる不調が悪化したのだと。彼女を殺したのは私だとすぐに分かった。だから私は、彼女が最後まで愛した烏を大切に育てた。自分の会社に入社させ、育て上げた。烏は母親に似て心優しく、気遣いのできる人間だった。社会人になり、社会で揉まれ、私に似て人を惹きつけるようにもなった。烏は私の自慢の息子だ。


「そろそろお開きかな」


 烏は坊主が大欠伸をしたのを見てそう言った。煎も普洱も紅も、どこか暗い表情で頷く。烏はそんな三人にニコリと微笑んだ。


「前に私の連絡先と住所は渡したね? いつでも来ると良い。何泊でもいると良い」


 三人はホッと息を吐くと頷いた。自宅が息が詰まるのはみんな同じだ。きっと烏も。私との生活は息苦しかっただろうな。


「では、茶臼山龍の葬儀をこれで終えます。皆さま、お忙しい中参列していただき、ありがとうございました」


 喪主を務めた烏が挨拶をすると、疎らな拍手とともに葬儀が終わった。そして茶臼山家に関わる苗字も帰る家もバラバラな面々はそれぞれの良きる場所へと帰ってい

く。最後に残された烏は私の遺影を見つめると小さく微笑んでその場を立ち去った。


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