俺たちのアオハル

こーの新

俺たちのアオハル

 大学の構内にある学食でポカポカとした陽射しの中のんびりとお昼ご飯のハンバーグを口に運ぶと、ジューシーな肉汁が溢れ出して頬が緩む。なんて幸せなんだ、と一人幸せとお肉を噛み締めていると周りが少し騒がしくなった。こうなるとあの二人のどちらかが近くにいることが分かる。最初こそはうざったかったけれど今では一つの指標にすらしている。


「野田先輩、今日はどっちにします?」


 想定通り低くてよく通る無駄にいい声で話しかけてきた山野井に振り向くと、山野井は目尻を下げて微笑んでいた。


「今日は……山野井の部屋でもいい?」


「野田先輩が俺の部屋来てくれるのって久しぶりっすよね」


「ダメかな?」


 なんとなく不安になって肩を竦めると、山野井は首を振って嬉しそうに笑った。


「いえ、全然! 大歓迎ですよ」


「そっか、良かった」


「あ、隣失礼します」


 俺の隣の席にトレーを置いて席に座った山野井。そのトレーの上ではさっき俺が頼むか悩んだオムライスが陽射しを受けてキラキラと輝いていた。


「珍しいね、山野井ってそばとかうどんのイメージだけど」


「野田先輩がいつも美味そうに食べてるんで食べたくなっちゃったんですよね。あ、一口食べます?」


 そう言うと、山野井はスプーンですくったオムライスを俺の口の前に持ってきた。口を開きかけたけど周りで大きくなった歓声にハッとして身を引いた。


「え、いや、大丈夫! 明日頼むつもりだし」


「そうっすか。あ、でも俺はハンバーグもらいますね。美味しそうなんで」


「えぇっ、それなら俺もオムライスもらう!」


 結局物々交換をして食べさせ合うことになった。何が楽しくて山野井と食べさせ合っているのかは分からない。ただ、これが俺の日常だということだけは分かっている。


 二人のんびり駄べりながら午後の講義に鋭気を養っていると、また周りが騒がしくなった。これはもう、唐澤の登場としか考えられない。


「お、楽しそうだな」


 やっぱり、とは口に出さずに振り向くとにこやかな笑顔を浮かべる唐澤。唐澤は特に断りも入れることなく山野井とは反対側の俺の隣に座った。六人がけの席で男三人横並びって合コンで女子に逃げられた訳じゃないんだから、なんて言えない。唐澤のトレーにはトンカツ定食がドーンと乗っていてそれだけで何故か安心感を感じた。


「唐澤先輩ってほんとにトンカツ好きっすよね」


「んー、まぁな。この辺じゃここが一番美味いしな」


 唐澤は、食うか? とトンカツを箸で差し出してくるからいつも通り何も言わずに食らえついた。


「うまぁ……ん」


 俺は俺でハンバーグは食べ終わっていたから付け合せのポテトを一つ唐澤の口に放り込む。


「ハンバーグが良かったな」


「じゃあもっと早く来いよ。どうせ女子にでも捕まってたんでしょ? てか、俺の好物あげたのに文句言うとかありえない!」


「悪かったって! ポテトも充分美味しいよ」


「あー、ここのポテトマジ美味いっすよね、カリカリで」


「分かる? さすが山野井!」


 山野井と俺は好みは違うけど、感性については双子説を疑うほどよく気が合う。いつもの癖で山野井の頭を犬みたいに撫で回すと、周りからは謎の歓声。そして唐澤はニヤニヤと笑った。


「何?」


「いや、二人とも可愛いな、ってさ」


「山野井、今日は二人でやろうか」


 なんだかムカついたから山野井の方に向き直ってそう言えば、山野井は満面の笑みを浮かべた。こんなに可愛い後輩は甘やかしたくもなるよな。最近では山野井に小型犬のしっぽと耳が見える気までしてきている。


「マジっすか? ありがとうございます!」


「うわ、悪かったって! 頼む! お前がいないと俺は……」


 この世の終わりの如く手を合わせる唐澤。元々本気じゃないし、というかちょっとムカついただけでそんなに怒ってもないし、全然許すんだけどね。


「んははっ! 嘘だよ。今日は山野井の部屋ね。最近ずっと唐澤の部屋だったし。夕飯は久しぶりに俺が作るから」


「ほんとですか! 俺野田先輩のご飯好きなんですよね」


「おい山野井、俺の飯は? ここ一週間作ってたのに」


 ここ一週間は毎晩唐澤の部屋にいたからってこともあって、小学生の頃からよく料理をしていたらしい料理上手な唐澤に作ってもらっていたんだけど、そろそろ申し訳なくなってきた。それに山野井は料理はそんなに得意な方じゃない、というか壊滅的。前に山野井の作ったチャーハンを食べた翌日唐澤と二人揃ってお腹を壊して以来食べていない。


「もちろん唐澤先輩のご飯も好きっすけど、野田先輩のは特別です。だってあんまり苦労かけたくないじゃないですか」


「ちょっと山野井が言うと納得いかねぇんだけど。まぁ野田には世話になってるし、そこは分かる」


「……明日って雨だっけ?」


 二人から感謝されることとか滅多にないから心配になって窓から空を見上げると、両サイドから小突かれた。




 夕方、大学近くの築三十年の木造アパートの外階段をミシミシと上り二〇二号室、自室の鍵を開けて中に入るとすぐに窓を開ける。それからカラーボックスから数冊のノートとテキストを取り出してリュックに詰めるとリュックを背負う。それから冷蔵庫から先週実家から送られてきたばかりの人参と、ソーセージを出してエコバッグに入れた。しばらく自炊をしていないキッチンには少しホコリが積もっていて、来週末少し落ち着いたら片付けることを心に決めた。最後にキッチン横のシェルフから玉ねぎを出してそれもエコバッグに入れると窓を閉めて、部屋を出て鍵をかけた。


 アパートの外階段をミシミシ言わせながら一階に降りると俺の部屋の右斜め下の部屋、山野井の部屋である一〇一号室の合鍵を取り出して勝手に中に入る。リュックとエコバッグを置いたらまた部屋を出て鍵をかけた。すぐ戻ってくるけど一応ね。今度は俺の部屋から見て左斜め下にある唐澤の部屋、一〇三号室に合鍵を使って入ると、広げられたままの自分の寝袋と袋に入った唐澤の寝袋、それから昨日置きっぱなしにしていたテキストやノートを持って部屋を後にした。唐澤の部屋のドアに鍵をかけたところで後ろに人の気配。振り返ると唐澤がいた。


「悪いな、俺の寝袋まで」


「いいよ別に。ついでだし」


 俺の方に手を伸ばすと自分の分の寝袋だけじゃなくて俺の分も持ってくれたから、その優しさに甘えることにして俺は俺で山野井の部屋の鍵を開けた。


「山野井は? まだ?」


 そう言いながら荷物を床に置いた唐澤は、勝手知ったる人の部屋とでも言えばいいのか、押し入れの下段から掃除機を取り出して掃除機をかけ始めたから、お互いギリギリ聞こえる程度にだけ声を張る。二〇二号室の四年の先輩は怖いとウワサだから、大声は出せない。


「あと一限あるって」


「そ。あ、お前部屋に風入れた? ここんとこ帰ってないわけだし」


 そう、自室があるにも関わらず俺は全然自室で生活していない。最近自室には荷物を取りに行く程度。唐澤か山野井の部屋で夕飯を食べて夜を過ごして、ベットかマットレスで寝る部屋主以外の二人で床で雑魚寝。これがここ最近のルーティン。年に二回と誰かの誕生日はこんな生活をしてるんだけど、結構楽しくて好きだったりする。


「ちょっとの間だけね。てか、俺だけじゃなくてここも同じような状況じゃない?」


「あー、そうだな。とりあえず窓開けるわ」


 唐澤が窓を開けて俺が冷蔵庫にものを仕舞って。それが終わればローテーブルの周りに座布団を並べて課題を広げた。


「はぁ、あと一週間しかないのか」


「そうだね。頑張ろ?」


「おう。はぁ、緊張するわ」


「今日は不安なとこやる?」


「……野田先生、お願いします」


「ふふっ、はぁい」


 ひとまずお互いに課題を進めていると、意外と早く隣からつつかれた。


「ん?」


「これ、何? ここまでしか理解出来ない」


「あー、昨日やった所の応用だよ」


 少し説明すれば分かってくれたようでまた唐澤は自分の課題に向き直った。その姿に俺も自分の課題に集中すると、急に玄関のドアが開いた。


「うわっ!」


「えっ! なんすか? 野田先輩?」


「おー、山野井おかえり」


「ただいまっす。え、あの、野田先輩?」


 家主が帰宅しただけなのに無駄にびっくりしたことを山野井に伝えれば、山野井は面白そうに笑った。


「あははっ、出た、野田先輩のおっちょこちょい!」


「うー、揶揄うなよ……」


「すみません。あ、紅茶淹れますね」


 料理はからきしだけど紅茶を淹れさせれば、多分大学一美味い紅茶を淹れてくれる山野井。バイト先の喫茶店で覚えてきたらしい。


 紅茶を淹れ終えた山野井も定位置に座るとリュックから筆箱を取り出した。


「野田先輩、ノート借ります」


「はいよ」


「俺も唐澤の借りる」


「んー」


 さっき部屋から取ってきた二年の時のノートを山野井に渡すと、それを見ながら問題を解き始めた。自分の作ったノートが山野井の役に立っている事実に喜びを噛み締めながら、俺も唐澤のノートを借りた。


 俺たちの共通点は特にない。山野井は学年一つ下だし、俺と唐澤も取っている授業は同じだけど人数の関係で別の講座。ただ学部とアパートが同じってだけ。たまたま単位ギリギリだった唐澤が教授の紹介で俺の所に来て一緒に勉強をするようになったのが最初だったかな。それからオカン気質の唐澤のご飯が美味しかったり掃除テクに感銘を受けたりして仲良くなった。たまにうちのお母さんより厳しく掃除がなってないって怒られたりするけど、それもまた楽しい。


 山野井は雨でずぶ濡れになって大学とアパートの間のコンビニで突っ立っていた所を助けてもらった時、同じ学部だって言われて勉強教えて欲しいって頼まれた。だからその日ちょうど約束していた唐澤の部屋で三人で勉強した。その日から勉強会のメンバーが一人増えた。アパートも一緒ならやり易いし。そんなにお金がある訳でもないから誰かの部屋で勉強。それがどんどん楽しくなってテスト勉強の期間には誰かの部屋に泊まるようになった。基本俺が教えながらたまに俺も唐澤に聞きながら勉強。一人でやるより三人でやる方が楽しいし、捗る。


「そろそろチャーハン作るね」


 窓の外が暗くなってきたからそう言って立ち上がると、子どもみたいに手を上げて喜んでくれる山野井とまたか、とでも言いたそうな唐澤。


「しょうがないだろ、買い出し行くの明日だし」


 ちょっとむくれると、唐澤は可笑しそうに笑った。ついつい唐澤にだけ子どもっぽい態度を取ってしまうのは唐澤に安心しているからだろう、なんて言い訳だけど、ホッとするのは本当。内緒だけど。


「んじゃ、明日俺も行くわ」


「俺も! 荷物持ちしますよー?」


 結局、どうせ自炊しない山野井を荷物持ちに、俺と唐澤の冷蔵庫の中身の補充の為に明日はスーパーに三人で行くことになった。テスト勉強期間中は山野井も俺か唐澤のご飯を食べるから少しシュッとしてかっこよくなる。そろそろコンビニ弁当とファミレスに頼ってばかりの食生活を改善させようと唐澤が頑張ってはいるが、なにせ不器用。まだまだ時間がかかりそうだ。


「じゃあ、それ終わったら俺の部屋で勉強するか」


「オムライスがいい」


 唐澤の部屋ということは唐澤のご飯がついてくる。そうなればオムライスを頼まないのは損だ。美味いものをもっと美味く作ってくれるやつに頼まない人なんていないでしょ。


「え、野田先輩お昼ご飯オムライスっすよね?」


「大丈夫、オムライスは無限食だから!」


 オムライスなら一日四食だって食える。それは実証済みだから安心してほしい。とか思っていれば、唐澤は黒い笑顔を浮かべた。


「安心しろ、ちゃんとサラダとスープと焼き魚にしてやるから」


「えー……美味そう」


「唐澤先輩のご飯楽しみに午前の授業乗り切りますね」


「そこまで喜んでくれると嬉しいよ」


 一言文句を言えればいいんだろうけど、仕方がない。唐澤のご飯はなんでも美味い。


「ま、とにかく今日はチャーハンね」


 立ち上がってキッチンに立つと人参、玉ねぎ、ソーセージをみじん切りにしてフライパンで炒める。


「あ、野田先輩、ご飯炊いてないんで冷蔵庫の使ってください」


「はいはーい」


 山野井の冷蔵庫を開けると冷凍ご飯と焼きそばが見えた。


「焼きそば、どうしたの?」


「今度先輩たちに振舞おうかと練習中です」


「焼きそばって子どもでも作れねぇか?」


「常識は覆していきましょう」


「かっこいいね」


「いや、どこがだよ」


 そんな会話をしつつ手を進めると、あっという間にできるのがチャーハンのいい所。ちなみにチャーハンの素はこの間置いていった残りを使った。カニ味のやつ。あれ美味い。


「もうすぐ出来るから机片して」


「はい。あ、野田先輩のやつベッドの上置いちゃいますね」


「ありがと」


「スプーンとか出すわ」


「助かる」


 パパッと片した机の上に大盛りのチャーハンを三つ並べて手を合わせる。部屋の蛍光灯じゃあまりキラキラとは見えないけど、美味しそうではある、かな。


「いただきます!」


 ガツガツ食べ進める山野井と丁寧に味わう唐澤。俺? 俺は普通よ。


「野田先輩! 美味いっす!」


「まぁ、美味いな」


 山野井が何作っても美味いと言ってくれるのは正直凄く嬉しい。でも、唐澤の少し辛口な評価も好きだったりする。


「ありがとう、山野井。お前良いやつだな。それに引き換え唐澤、まぁってなんだよ」


「素より美味く作る作り方教えてやるから、テスト終わったら俺の部屋来いよ」


「あー、唐澤お気に入りの?」


「俺好みの味覚えとけ?」


「え、ずるい! 俺も行きます!」


「おっ、山野井がやる気なの珍しいね」


「え、いやー、俺もチャーハン作りたいっす」


 いつも渋々唐澤のマンツーマン料理教室に参加しているのに。山野井がそんなにチャーハンが好きだったとは知らなかった。自己紹介ではそばが好きって言ってた気もするけど、まぁいいか。好きな物はいくらあってもいいから。


「唐澤先生、頼んだ!」


「お願いします!」


「山野井に関してはなんか邪な気もしなくはないがな。別にいいよ。ネットにも載ってるレシピだし」


 テスト期間明けに三人で料理をすることを決めたら、ご飯も食べ終わって、急ぎめに片付ける。それを終わらせたら交代でお風呂に入りながらテスト勉強を続ける。


「野田先輩、お風呂どうぞ」


 一番風呂だった山野井のその言葉を聞いてから、山野井の部屋の押し入れの上段から自分の着替えを取り出した。山野井の部屋の押し入れには三段の引き出しを置いておいてくれているから、有難く私物を置かせてもらっている。着替え、歯磨きセット、連泊の日は寝袋も入れて置いたりする。それは唐澤の部屋も俺の部屋も同じ。一々持ち込むのが面倒くさくなった二年目の気持ちの緩みだ。


 洗面所で服を脱いでお風呂場に入ると、湯船の中に白濁色の入浴剤が入っていた。不器用だけどオシャレな彼らしい。俺に心地良い四十三度の温度設定のお風呂に浸かる。


「はぁ、沁みるわぁ……」


 思わず声が漏れるほどの心地良さ。お風呂を出たらそのまま布団に入りたい衝動に駆られるが、それでは今日まで寝不足になりながらも必死にやってきた日々が無駄になる。二人はなんとか単位が取りたい。そして俺は特待生継続の権利がかかっているんだ。こんな所で立ち止まってなんかいられない。湯船から出ると少し冷たい水を頭から浴びてパジャマに着替えて部屋に戻った。


「唐澤、次いいよ」


「おう。ここやったらすぐ行くわ」


 俺がドライヤーで髪を乾かしている間に、キリのいい所まで終わらせた唐澤がお風呂に行った。そのころには俺の髪も乾いていた。元いた席に戻ると、山野井が近くに寄ってきた。


「どうしたの?」


「いや、野田先輩、俺と同じ匂いだなぁって」


「そりゃシャンプーも石鹸も同じだしね」


「最近唐澤先輩の匂いだったんで、久しぶりっすね」


「山野井って鼻いいんだね」


「まぁ、そんな日もあります」


 ちょっとよく分からなかったしとりあえず勉強に戻ろう。しばらくこっちを見ていた気がする山野井もそのうち勉強の姿勢に戻ってシャーペンを動かし始めた。十分もしない内に戻ってきた唐澤が頭を乾かし終わって席に戻ればみんな元通り勉強に集中する。途中山野井がまた紅茶を淹れてくれて、なんとか今日も目標地点に到達した。


「あー、もう二時……」


「ヤバいっす……めっちゃねむ……」


「軽く片して寝ちゃおうぜ。山野井は先ベッド入っとけ」


「すみません、おちます……」


 ベッドに上がるなり寝落ちた山野井。特に理由はないけれどその頭を撫でたくなったから起こさない程度に撫でておいた。その間に唐澤はローテーブルを片付けておいてくれた。


「ほら、野田。寝袋出しな」


「うん」


 自分も眠いのに世話を焼いてくれる唐澤に感謝しつつ自分の寝袋に潜り込んだ。


「野田」


「んー?」


「いや、おやすみ」


「ふふっ、おやすみぃ」


 また次に目が覚めたら、きっと同じような日常が巡ってきて三人で騒がしく過ごすんだろう。なんの確証もないただの願いだし、きっとすぐに終わりがくる。だからこそ自分から壊さないように、そっと、大切に一日一日を過ごしていきたい。その日が来るまでは。


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