第38話 愛おしき刹那
神は今日も、声なき声で静かに俯瞰している。
同じ星の上で、刹那の夢を追いかけたり、口惜しさに泣いたり、愛し合ったり憎しみ合ったりしながら、それでも小さな喜びを紡ぎ出す人類の姿を、まるで虹彩に光を映すかのように見守っているのだ。かつて、その身を巫女として捧げたときも、武士として七度の命を燃やし尽くしたときも、絵を描き続ける芸術家として光を追い求めたときも、そして歌や踊りで平和を訴え続けたときも――神の眼に映っていたのは、いつだって無数の苦しみと、その果てに芽生えるかすかな希望だった。
帝を戴いた島国が激しく戦い、革命の断頭台が首を落とし、遠い新大陸で建国を成し遂げる人々が誕生し、産業が革命を起こして空をも飛ぶ機械が作られ、さらには小さな太陽にも等しい兵器で無差別に同族を焼き払う――人類はそのたびに転び、傷つき、涙を流しながら、それでも前へ進もうとする。その狂おしいほどの愚かしさ、身勝手さ、そして誰にも負けないほど健気で愛おしいひたむきさが、神の胸を強く揺さぶってきた。
神の力を振るうことはない。ただ、時折戯れに人間へと生まれ落ち、隣人のふりをして暮らすだけだ。それで紡いだ生はどれも短く、悲喜こもごもに溢れていて、まるで星のまばたきのように一瞬で終わった。だが神にとっては、そのすべてがかけがえのない記憶となり、真に“人間らしい”ものに触れるたびに、遠き宇宙の暗闇でひとり漂っていたころの孤独を思い出すのだ。だからこそ、この星の営みを少しでもよりよいものにと願わずにはいられない。
もし全球凍結がおとずれようとも、あるいは巨大隕石が衝突しようとも、人類の繁栄など宇宙の時の流れの中では瞬きほどのものでしかない――それを神はよく知っている。大破局が起きれば、たちまち微生物へ逆戻りするか、星の大地から命の灯が消えるだろう。それでもこの星の上で、微笑みや泣き声を上げ、誰かを愛し、絵を描いて歌を紡ぐ人間の姿が、なんと美しく、なんと愛おしいことか。神はそれを深く知ったからこそ、今日もただ無言のまま俯瞰し続ける。あらゆる愚かしさも含めて、愛おしいと感じるのだ。
願わくば、その小さな歩みが暴力や破壊の渦へ向かわず、光へと通ずる未来を育むことを。神はそうひそやかに祈り、これまでの数多の人生を思い出しながら、そっと眼を閉じる。七生を戦った武士の誇り、火薬と刀での激戦、王を断頭台にかける革命、舞台で絵を描き、歌い踊りながら平和を叫んだ日々、そして小さな太陽に消し炭と化された痛切な記憶。それらが渦を巻いて胸を叩く。それでも神は最後に微笑む。いずれ世界が滅んでも、まだ望みは尽きやしない――それが神にとって揺るぎない確信だからだ。
美しくも狂おしい人間の営み――そのすべてを知る神は、声なきやさしさで見つめ続ける。天上へ溶け込むように光の粒子が揺らいだあと、ひっそりと世界を包む風に、神のまなざしと小さな微笑みだけが残された。そして、静かに舞い落ちる時間の中、人々はまた今日も涙し、歓声を上げ、それぞれの物語を紡ぎ出していく。そうしてこの星は、神の無限にも等しい見守りを受けながら、小さな光を燈すことをやめないのだ。
愛おしき刹那 〜神と人の永い共鳴〜 電気蟹 @rustacean
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