第32話 市民による統治

ワインの香りが漂う国――いまや高らかな叫びとともに市民たちが街頭へ繰り出し、燃え上がるような熱気を帯びた革命が起こりつつあった。かつてあの国を彩った貴族の儀礼や優雅な舞踏会はもうない。代わりに血の匂いと怒声が充満し、国中から「自由」「平等」といった叫びがこだまする。神は今回、荒々しい街角の一市民として再び生を装い、その改革の渦中へ足を踏み入れていた。


広場に集結した人々は、鼻筋の通った華やかな衣装をまとっていた貴族たちを次々に糾弾していた。「我々から収奪するだけの特権階級など不要だ」と拳を振り上げる者、興奮を押さえきれず石を投げつける者――ごく普通の労働者や商人、あるいは地方から流れ込んできた農民も、それぞれの恨みをぶつけるように叫んでいる。神もまた、その中に混じって石や罵声を投げつけていた。そうせざるを得ないほど、この革命は熱く、しかし醜い衝動に突き動かされる姿を晒していたのだ。ある意味では本能的に血を求めるような感覚でありながら、同時に人間の文化的意志――自ら未来を作るという昂然たる気概――を感じさせる戦いでもあった。


やがて王や貴族をはじめとする旧権力者たちは、革命の炎に追われるように逃げ惑うか、あるいは捕らえられ、即決の裁判にかけられる。市民の代表と称する集まりは、怒りを収めるためか、あるいは新たな正義を示すためか、獄に繋がれた者たちを独自の処刑用器具へと送っていった。それは巨大な鋼鉄の刃を持ち上げて、一気に首を刎ねる機械――旧支配層を粛清するための象徴であるかのように、広場の中心で血の赤を滴らせていた。神はその刃が落ちる一瞬を、目をそらさずに見つめた。貴族たちの細い首に、まばゆいほどの宝石が付いたチョーカーがむなしく揺れていることさえあったが、次の瞬間には刃が落ちて、首は台の下へ転げ落ち、血しぶきが拷問のように染み込んでいく。


人々の歓声や悲鳴が入り混じるなか、それまで薔薇のような香りに包まれていた貴族たちはあっという間に地獄の縁へ追いやられ、命を散らしていく。まるで「首」という絶対的シンボルを落とされることで、彼ら自身が象徴する支配階級の威光までも切り捨てられているかのようだった。神が見てきた数々の戦乱とはまた別の様相――個々の武力衝突ではなく、“大衆の怒り”と“理想”が混ざり合った巨大なエネルギーが、人間社会を一気に塗り替えている雰囲気がある。その一瞬で散る貴族の姿は凄惨でありながら、どこか新たな種族へ進化するための脱皮のようにも感じられた。


もっとも、その刃による粛清は次第に過激化し、果てしなく誰彼構わず血を要求する流れに変貌していきつつあった。初めは本当に民衆を踏みにじった貴族や官僚の首が落とされていたが、いつしか政策や思想の些細な違いを理由に、革命を担ったはずの同志までもが処刑台に送り込まれる。群衆の歓声が大きくなるほど、その熱は狂気に近い高揚へと変わり、さらに多くの血を求める循環に陥っていた。広場に並ぶ首たちは、あるいは新しい時代の夜明けを意味するのか、あるいはまた新たな暗黒を生むのか、神にはわからない。ただ確かなのは、そこには人間が自らを変革しようとする強いエネルギーが渦巻いているということだ。


神はそうした嵐のような熱狂を体感しながら、それでも一市民として石を握りしめる日々を送った。旧権力を倒そうという勢いは強く、誰もが理想を口にする一方で、現実の政治や経済に関わる部分は混乱の極みにある。店舗の周りには閉鎖された門や荒れた倉庫が目につき、街角では奪われた宝石や家具が路上に放置されていた。つまり、この“革命”という運動もまた人間の本性を剥き出しにし、壮麗なる破壊を演じていると言える。神の目からすれば醜く、荒々しく、しかしどこか本能的であるがゆえの“美しさ”すら感じさせる奇妙な眩さがあった。


革命軍の議会では、自分たちがこれから作り上げる新たな体制を高らかに謳っていた。より自由で平等な社会を築く、貴族制度を廃し、国王をも断頭台にかける――実際にそうして国王を処刑したとき、周囲の諸国は震撼してその波が押し寄せてくるのを恐れた。だが、ワインを誇るこの国の民は狂熱のパレードを行い、革命を全世界に広めるべきだという声さえ上がった。大陸各地で反革命の連合軍が動き出す気配があり、さらなる血と火薬の響きが日常を包む。神もそのうち軍隊へ加わるか、またまた地下組織に潜むか、定まらないまま無政府状態に近い外界を眺めた。


処刑台の足元に滴る血は日に日に増していく。首を落とされる貴族や聖職者、時に革命家までが、わずかな疑いで命を奪われる殺戮が連鎖していく。その度に、神は思わず胸を痛めながらも、観測者としての本分を強く意識した。これほど熱に浮かされた人間の集団を目にするのは稀有な機会だ。武家の忠義も商人の利潤もここにはなく、ただ“理想と憎悪”が入り交じった未曾有の大爆発――別のかたちの“新時代を告げる苦しみ”を神は感じていた。


やがて、その熱狂もやや落ち着き始めると、処刑器具の周囲にそびえていた血の香りが、少しだけ冷えた風に運ばれて街から消えていった。暫定の新政府が組織され、人々も少しは正気を取り戻す。だが、その過程で多くの貴族や権力者の首が落ち、今までにない政治体制が誕生しようとしている。その様子を観測した神は、「まるで新たな種族への進化ではないか」とつぶやき、あの処刑台で落ちる首を見た光景を脳裏に焼き付けた。かつて弓矢や刀で首を落とす殺戮とは別種の、もっと「事務的」とさえいえる機械じみた死の風景。人間とはここまで計画的で大量に、しかも情熱と理想を掲げて首を刎ねるというのか、とある種の戦慄と畏敬の思いを抱いた。


この国では、もう王や貴族が絶対的に君臨する体制は過去の遺物となるだろう。彼らを容赦なく処刑台に送った民衆の怒りと理想は、新しい憲法や旗印のもとに結集し、やがて新国家として歩み出す。神はその過程を外から見れば“醜く”も思え、しかし人間の本能の結晶として“文化的”とも感じた。己の宿願を激しい流血と破壊によって成立させようとするところに、彼らの凄まじい意思があるのだ。


最後に神は、焼け残った路地を歩きながら、まだすすり泣く声や拳を突き上げる群衆の姿を映した。舞い落ちる紙きれには新政府のスローガンが印刷され、壊れた肖像画には血の跡が残されている。至るところに焦げたワインの香りが混ざっていた。それらはすべて、この国が誇った貴族的文化の崩壊を示唆していた。いつの日か、この革命の記憶が世界を駆け巡り、他の国々にも波及するかもしれない。圧政からの解放という旗印は、詩人や思想家の胸を打ち、さらなる連鎖を生むだろう。神は薄ら寒い空を見上げて、再度は思う――人間という生きものはときにこうやって大きく社会を変革するものなのだ。


そして神はさりげなく群衆の間を抜け、また姿を消すことにした。体をまとう人間の肉としては今は死なず、単に街を出るだけ――もしかするとまた後日、新たな混沌を味わいに戻るかもしれない。革命は続くし、ほかの国でも似たような炎が燃え出す兆しがあるかもしれない。そのすべてが、かくも熱くも醜くもあり、本能的かつ文化的に戦う人間たちの姿――やがて独自の処刑台が象徴したように、ひとつの進化の瞬間なのだろう。神はそう思いながら、また新たな光景を観測するべく、次の足取りを探ろうとしていた。血まみれの断頭台に落ちる首を見つめた記憶が、いつまでも薄れることはなさそうだった。

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