第31話 新大陸を目指して

そのころ、長い海の彼方で、いわゆる「紅茶の国」と呼ばれる大国が、さらに未開の大陸を目指そうとしていた。海路を拓き、新たな富や領土、そして奴隷や資源を得るための大規模な遠征計画が進められていたのだ。船団には兵士と開拓者、それに商人や宣教師、そして冒険心に駆られた貴族の若者たちまで含まれていた。神はそこへ乗り込む決心をし、あえて一介の開拓者に身をやつして航海に加わることにした。


紅茶の国の港町は、石畳の道や古風な建物が立ち並ぶなか、人々が慌ただしく荷物を運び込む姿に満ちていた。巨大な帆船にはすでに数百の乗組員が詰め込まれ、穀物や保存食、酒、医薬品、そして武器が所狭しと積み込まれる。遠くを見れば、船体の桅杆に国の旗が翻っていた。その風景は、どこか華々しくもあり、一種の狂気にも近い高揚感が漂っていた。ここから未知の大陸へ渡り、そこに支配の拠点を築こうという野望を抱く者たちが揃っているのだ。


神はまた、いつものように己の奇跡の力を封じ、ただの人間の肉体をまとって出航に臨んだ。欧州の冷たい海風を受けながら、古い木造の船板を踏んだ瞬間に、胸がざわめくのを感じた。今までも多くの時代を渡り歩き、戦乱に身を投じてきた神だが、「新たな大陸」を切り拓くという試みはまだ体験したことがない。そこに待つのは未知の原野と先住民族だろうか。あるいは豊富な金銀や珍しい作物かもしれない。どんな運命が待っていようとも、今はただ好奇心が尽きることはない。神は帆が風を受け、船が大海原を滑り出すとき、その布とマストが唸る音を耳に焼き付けるかのように、目を閉じて深呼吸した。


長い航海の末、疲弊しつつも新大陸へと到着した船団は、広大な大地を目にして狂喜した。生温い風が湿原を撫で、多種多様な動植物が目に飛び込む。その豊かな自然を前に「これこそ神が与えたもうた新天地だ」と口々に叫ぶ者もいれば、「先住民族がいるならば征服すべき」と厳つい面構えで睨む士官もいる。神は開拓者としては比較的穏健な立場を取り、農地を切り拓き、交易の糸口を探りながら現地の人々との交流を模索した。とはいえ、周囲の多くはあくまで紅茶の国の命令を忠実に実行し、その新大陸を“植民地”として支配しようとする。現地民への支配と、それに伴う暴力や疫病の広がりも目にしてきた神にとって、新世界を開くという意志の裏で繰り広げられる略奪と差別の混沌は、不快でありながらも、いかにも人間らしいと感じずにはいられなかった。


やがて大海を渡ってさらに多くの移民と軍隊が流れ込み、先住民族との衝突は激化していく。同時に、紅茶の国から派遣された総督や役人たちが新大陸の都市を整え、税や統治の仕組みを押し付けていった。豊かな資源と土地は、紅茶の国本土に送られて莫大な利益を生み、その一部を開拓者や商人たちが享受していた。この膨大な富と権力が動く植民地統治に、神は以前に体験した「商人の世界」や「貴族の政治」を重ねて見た。形式こそ変われど、結局は力を持つ者が弱い者を支配する構図。それでも尚、人間たちは何か新しい未来を信じて、汗を流し、畑を耕し、町を築き、家族を育てていく。


そんな中で、植民地側ではしだいに「本土からの過剰な支配と搾取」に反発する者たちが出始める。神もその議論が煮詰まる場に何度か立ち会った。紅茶の国が一方的に税を上げ、交易の自由を奪い、現地民の権利を認めないならば、いっそ独立してしまおう――そう主張する人々の声が日増しに大きくなるのだ。彼らはしぶとく、情熱をもって自分たちの権利を叫ぶ。かつて武士道に生きる男たちが帝への忠義を貫いたように、今度は市民や植民地のリーダーが“自由”と“独立”を理想に掲げる。その空気はまるで新種の革命の胎動のようでもあった。


神はその動きに強く惹かれた。鎧や刀、狭い島の武者同士の忠義合戦とは全く違う、別の国の誕生が予感される。ここにいる人々は血筋や家名ではなく、理想や市民の合意を礎にして建国を目指しているのだ。もちろん、裏には厳しい現実や矛盾もあるが、少なくともこれまで神が知っていた封建制とは違う“国づくり”が始まろうとしているのは確かだった。その言葉や制度こそが紆余曲折を伴うのは目に見えているが、こうした「新たな国の誕生」を、神は初めてまざまざと目撃していた。


やがて反逆の旗を掲げた植民地の人々は、紅茶の国に宣戦し、父国からの独立を打ち立てようと本気で戦を始めた。神もその血なまぐさい戦場に加わり、銃声が鳴り響く中、法被や羽飾りのない洋装を身にまとい、当時の最先端と呼べる火器を手にして塹壕を駆け回る。大陸の荒野や小さな村が次々に焦土と化し、広大な平野で大軍同士が激突する。従来の近接戦闘や騎兵の突撃に加え、大砲やライフルが雨霰と飛び交う新しい時代の戦場は、これまでに神が経験した戦とまた違った恐怖と混沌を伴っていた。血まみれになる兵士や飛び散る硝煙の匂い、争いの裏で商売に血眼になる武器商人など、どこまでも人間的な姿がそこにある。神はそれを黙々と体感しながら、背後に渦巻く大きな政治動向を一歩引いた目で観察もしていた。


やがて植民地の指導者たちが結束を固め、仮の議会を立ち上げて“新国家の独立”を謳う宣言を発表する。紅茶の国から見れば反逆にほかならないが、かつて帝を奉っていた無数の武士と同じように、彼らもまた理想を掲げて死闘を繰り返す。最終的に、紅茶の国の軍勢が膝を屈し、講和条約によって新たな独立国の誕生が正式に承認されるとき――神はその決定的瞬間を近くで見守っていた。大陸西の海岸では、独立を祝う花火やパレードが催され、人々が旧支配の印を取り払い、新しい旗を掲げて歓声を上げている。神にはそれが、かつての島の“朝敵を滅する誓い”とは違う、もっと世俗的で民主的な力の表れに感じられた。


こうして誕生した国には、まだ課題が山積みだった。先住民の扱い、奴隷制の問題、内部分裂の危機、経済基盤の不安定さ――それらすべてを乗り越えなければ真の統一とは言えない。それでも、新たな国が“建国の理想”を旗印に、自分たちの政体を形作っていく光景は、神にとって鮮烈な体験だった。そこには血筋や封建的権威に依存しない“新しい社会”の形が微かに見え隠れしている。言葉で言えば「近代国家」的な発想が芽生え、魔法でも神の力でもなく、法律や憲章に基づいて人間同士が合意を作ろうと試みているのだ。


神はその一連の出来事をまざまざと味わい、新国家の民たちが一から町を整え、道路を開き、農場を開拓し、議会や裁判所を整備していく様子を見届けた。「国づくり」とは刀や火薬を振りかざすだけでなく、机を囲む話し合いと密接に関わっている――そんな当たり前の現実も、かつて帝や武将が天下を征する世界しか知らなかった人々にとっては新鮮に映るだろう。自分たちの都合や利害をぶつけ合い、しかし最終的にはなんとか互いを認め合う道を模索する。その試みがうまくいけば、今後この国はさらなる発展を遂げるかもしれないし、新たな暗い歴史を刻むかもしれない。いずれにせよ、一歩ずつ進んでいくだろう。


そうして一段落したと感じたとき、神はふたたび軽く息をついて、上空へと意識を浮かべた。波止場では独立を認められた新国家の船が海に出て、交易相手を募ろうとしている。かつて紅茶の国の支配下だった植民地が、今や自らの国旗を掲げて出帆する――歴史はこうも変わるのか、と神は微苦笑を浮かべる。興味が尽きるどころか、こんなにも多様に世界を変える人間の想像力と行動力に舌を巻きながら、神は「ここまで見たなら、また別の地を覗いてみようか」と考えた。


大陸の先に広がる他の諸国では、さらに“産業の革命”が活発化しているかもしれない。機械仕掛けの車輪が巨大な工場群を稼働させ、大量の煙突から煤煙が空を覆う。同時に新しい思想が湧き上がり、人権や平等を叫ぶ声があちこちで高まりだしているとも聞く。こうした動きを目の当たりにすると、神はいつも思う――人間たちが短い生涯の中で紡ぐドラマは、実に絶え間なく、新しいかたちを生み出していく。そのひとつひとつが複雑で錯綜しながら、世界の大きな流れを変えてしまうのだ。


最後に神は、新大陸の海岸線を遠巻きに見渡した。祝祭の余韻がまだ残る街があれば、一方で西へ行けば荒涼とした砂漠や先住民の集落が広がっている。今まさにそこにも新しい紛争が芽生えているかもしれない。あるいは、さらなる高地に新種の資源や未知の作物を育てる可能性もある。こうして世界の歯車は回り続け、かつての覇者が衰退すれば、新興勢力が勃興し、ある国が独立すれば別の地で帝国が伸張する――人間という生き物はどこまでも飽きることがないらしい。神はそれを“嬉しいやら、大変やら”という心地で受けとめながら、夜が更ける海辺に静かに意識を溶かした。


形を持たない己が、またこの国に降り立つ日は来るだろうか。世界は今日もどこかで次の物語を紡いでいるに違いない。ある革命家が民衆を奮い立たせるのか、ある科学者が新たな発明で社会を塗り替えるのか、あるいはまったく別の災禍がそれを阻むのか――いずれにせよ、神が観測を続ける限り、人間はその手で未来を作り続けている。紅茶の国の植民地から独立し、新国家を興した人々のように。神はまた一つ、“今までとは違う建国の物語”をその眼に収め、深く満たされた気持ちで次の行き先を思案するのだった。

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