第21話 太陽の巫女
その島に辿りついたとき、神はすぐに目を奪われた。遠巻きに見ただけでも、その海沿いに連なる墓の形が明らかに特異であったからだ。丸を大きく隆起させたもの、四角形をきっちりかたどったもの、そして丸と四角が不思議なバランスで合わさったかたちをもつ巨大な墳丘まである。風にさらされて草が生い茂るそれらは、まるで島の象徴のように鎮座し、外海を臨む高台にも、内陸の小高い丘にも点在していた。
神は、どうにもその独特な意匠に興味が湧き、再び人間の身体を作り上げることにした。今回は女の肉体。島に住む者たちの文化に合わせ、多少は現地の容姿に近づけたほうが面白いだろうと考えたのだ。完成した肉体を纏い、神は軽やかに浜辺の村へ足を踏み入れた。打ち寄せる波音の先で、島の民は網を繕い、貝を拾い、そして船を整備している。すれ違う者に挨拶らしき声をかけられると、神は笑顔を返しながら言葉を覚える。初めこそ珍しそうに「どこから来たのか」と問いかけられたが、しばらくすると島の女たちが面白がって髪を結い直してくれたり、家に招いて魚料理を振る舞ってくれたりと、暮らしに溶け込むのはそう難しくなかった。
この島には古くから巫女という存在があり、神や祖霊と対話し、天候を占い、儀式を執り行う役割を果たす者がいた。神は事情を探っていくうち、自分もその巫女の道へ潜り込んでみる気になった。男女を問わず、ある種の霊感や特殊な才能を持つ者が巫女となり、神事や国家的な儀式を司るらしい。すでに神を祀る社がいくつもあり、そこには高位の巫女や祭司がいて、島を治める首長も一目置いているという話だった。
神がその社を訪ねると、ちょうど雨乞いの祈りに関する議論が繰り広げられていた。近頃は季節外れの乾燥が続き、水源が心もとない。海に囲まれた島の奥まった耕地まで水を運ぶのは容易ではなく、民は困窮の色を濃くしている。このままでは作物が枯れてしまう。儀式の仕方をどうするか、巫女たちや頭領が集まって話し合っている最中だった。神はそこで「もしや天候を予測することくらい、神の力を少しだけ使えば簡単かもしれない」と思い立ち、小さな声で提案した。
「二日後には必ず雨が降るはずです」
実際には、神の目をもってすれば、大陸側から湿った気流が流れ込み、積乱雲が発生する兆候は明らかだった。それでも島の者たちにとっては不確かな自然の機嫌のように見える。誰もが半信半疑のまま時を待つと、本当に予告した通り二日後に空は曇り、やがて大粒の雨が降り注いだ。島を潤すその雨の恵みに、巫女たちも首長も驚きと歓喜を隠せなかった。神が「適当な占いだった」とは決して口にせず、ただ笑って過ごしているうちに、周囲の者たちはその“不思議な預言”をあっという間に噂しはじめる。
やがて、神は「天気を言い当てる巫女」として崇められるようになった。小さな集落から大きな村へ、村から島の各地へと、その名が伝わっていく。まるで太陽や月の動きを操れるかのように捉えられ、次第に人々は神を「あの太陽の力を担う巫女」と呼ぶようになった。神自身はそこまで大袈裟に扱われることを望んでいなかったが、手軽にちょっとした予測を当ててみせるたび、ますます周囲は熱狂していく。古来から島の祭礼を司ってきた巫女らも、今では神を筆頭のように扱い、首長や貴族階級にあたる者たちも深く敬うようになった。
そんなある日、海を挟んだ隣の大国から使節が到来し、礼を尽くして首長や巫女たちの前に贈り物を差し出した。その中でも、一際目を引いたのは「蛇の形の刻印がついた金印」だった。大国が“太陽の巫女”と呼ばれる存在に敬意を表し、島へ貢物を届ける、という形をとっているらしい。人々がそれを手に取り、畏怖と歓喜を混ぜ合わせたざわめきを立てたとき、神は心の内で「なるほど、この島にとっては大国の認定を受けるようなものか」と淡々と思い巡らせた。玉座につく首長がさも得意げにそれを捧げ持ち、神に向かって深く頭を垂れる。おそらく何世代もあとになって、この金印の話は伝説めいて語り継がれるに違いない、そう思うと神は内心で微笑した。
島の者たちは盛大な宴を催し、酒や穀物を振る舞った。巫女たちが神のために神楽を舞い、各地の集落から献上された珍しい香や器が並べられる。実のところ、神にとってはこうした祭りの高揚は馴染みのあるものだったが、今回は島特有の衣装と踊り、それに墓や塚を敬う独特の風習が相まって、なかなかに魅力的な光景を生み出していた。大陸から離れた島ならではの文化がそこかしこに息づいており、それを一通り味わってみたい気持ちが募った神は、あくまで“巫女”の立場で島に暮らすことに決めた。
やがて季節は巡り、首長や貴族たちの後ろ盾を得た神は、祭祀や儀式の中心に座るようになる。島の莫大な労力を投じて築かれる巨大な塚は、ここで代々の巫女や首長を埋葬するためのもので、丸や四角のほかに、近年では複雑な形を組み合わせたものが特に崇高とされていた。どうやら死者の魂を別の世界へ円満に送り出す願いが込められているようだ。神は、そうした信仰を間近で眺めつつ、時々ほんの少しの予測や天体観測の知識を使い、人々に驚きや敬服を抱かせた。そこには嘘や偽りはないが、本当の意味での“神の力”を振るうほどのことはしていない。その微妙な匙加減こそが人間世界をより面白くする、と神は考えていた。
そして、長い年月が経ち、神が女の身体を得てから幾十年も過ぎ去った頃、ついに老いが訪れる。祭りごとや祈祷をつかさどる巫女としての役割を終え、島の隅々まで導いてきた存在は、枯れるように命の灯を弱めていく。村々から民が駆けつけ、涙を流しながら最期の時を見守った。その日までに神が培った人望と威光はすさまじく、首長や貴族のみならず多くの村人が「あの方の死こそ大いなる葬送に相応しい」と口を揃えた。誰からともなく計画が持ち上がり、この地でもっとも壮大な塚を築いて、「太陽の巫女」を葬ろうという話が進む。
神はただ横になったまま、少しだけ病苦に耐えながら、やがて肉体が息を引き取る瞬間を待っていた。神自身の意識はもちろん、いつでもこの身体を離れ、無形の存在に戻れるのだが、あくまで人間の生を最後まで味わうため、あえて死を受け入れた。すると死んだ直後、神の手足は丁寧に整えられ、絹のような布で包み、首長たちが総出で魔除けの儀式を施す。さらに莫大な労力と富を注ぎ込んで築かれた新たな塚が完成すると、そこに数百人もの召使いたちが生贄として捧げられる流れとなった。首長や貴族は、それが島独特の考え方――巫女の死後も仕える者が必要だと信じられている――に従う儀礼なのだと説明する。欧州や大陸の視点からすれば残酷な行為かもしれないが、この島の理には適っているらしい。
塚が完成し、神の遺体が盛大な儀式とともに納められた夜、悲しみや畏れの声に包まれながら多くの民が火を灯して祈った。召使いたちの声や嘆きも交じる。犠牲となる者たちの中にはただ恐怖に慄く者だけでなく、「巫女様と同じ墓に入れるのは栄誉」と覚悟を決めている者すらいた。混濁する涙と歓声、絶望と崇拝が入り交じる葬送の一幕は、神にとってある種の芸術に近かった。これぞ人間の社会が産み出す最高に複雑で混沌とした宴。そのすべてを肉体が動かなくなった今も、神は“上空から”のような視点で観測していた。
こうして人知れず意識を抜け出した神は、高い空から巨大な塚を見下ろした。巧妙に積み上げられた土と石は、丸や四角、あるいは奇妙にその二つを掛け合わせた形に造形され、塚の頂には美しい装飾が施されている。周囲には棺や陶器、宝飾が散在し、さらに人間たちの骸が寄り添うように埋葬されている。死してなお巫女を敬うこの島の習わしが、こんなにも壮大な墓を作り上げるとは。神はその光景を認めると、静かに「おもしろい」と呟いた。
今や神の意識には、過去に築かれた王の墓や、砂漠の巨大な墳墓、海を渡った大陸の高いピラミッド群などと重なり、比較にならぬほど独特な美を宿していると感じられた。この島の文化はまだ若く、いずれもっと発展するか、あるいは他国に呑み込まれて姿を変えるかもしれない。しかし、この時代においては、丸や四角、あるいは混合した巨大塚を築いて巫女を奉り、死後まで仕えさせる風習が確かに栄華を誇っている。それに関われたことは神にとって大きな喜びだった。
神としてはいつでも再び体をつくり、降り立つことはできる。しかし、今回はひとまずこの幕引きを味わいながら、しばらく観測者に戻ってみようと決めた。島に残る彼らの言葉に耳を傾け、塚に祈りを捧げる人々の呼吸を感じ、風雨にさらされて形を変えていく墓の姿を、また長い歳月をかけて見届けるのも一興だろう。かつて大陸の王宮や戦場を渡り歩き、娼婦にも兵士にもなったが、今回のように島の文化そのものに溶け込み、巫女として崇拝され、大きな塚に埋葬されるのは新鮮極まりない体験だった。
上空には途切れがちの雲が流れ、強い海風が塚のあたりを吹き抜けている。神はその風に身を任せるように漂い、ここまでの一部始終をひたすら思い返す。いずれ誰もが忘れ去る頃、塚の形だけが大地のうねりに佇み、巫女の名も、すべてを捧げられた召使いの魂も、長い時の地層に沈んでいくはずだ。だが、神にとってはその営みの痕跡こそがかけがえのない歴史の残響なのである。のちに島を訪れる異国の旅人が見れば、あの奇妙な形の墳墓は「いったい誰の墓だろう」と頭をひねるかもしれない。それを想像しただけで、神はまた思わず「おもしろい」と呟いた。
しばらくの間、海岸沿いの高台から見下ろすように巨大墳墓を眺めた神は、ほどなく風とともにさらに上空へと意識を遠ざけていった。そこからは、渦巻く雲越しに島の全体が見える。大陸と異なる文化が点描のように広がり、山と海に抱かれている。神にとっては一度の旅の終わりであり、また新たな始まりでもあった。海鳴りの音を聞きながら、沈黙の塚に眠る“太陽の巫女”の身体と、多くの犠牲者を思い浮かべつつ、神は微かな笑みを胸に秘める。いつかまた、ここに降りてくる時はどんな時代になっているだろう――そう思うだけで心が弾んだ。
巨大な墓の輪郭は、もう遠くに霞んでいる。神は今しばらくは観測者として、この島と世界の行く末を静かに見守るつもりだった。どれだけ年月を経ても、丸や四角が織りなすあの形は、きっと大地の上に深い影を刻み続けるに違いない。人々が忘れても、神は忘れない。この瞬間の面白さを、その記憶の中にしっかりと焼き付けているのだから。
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