雨宿り

こーの新

雨宿り

 この世界は眩しすぎる。俺は真っ黒なサングラスを掛け直してネオンが光る街の喧騒に背を向けた。背中のリュックの中で筆箱やら赤本やらが揺さぶられる。俺はいつもの場所に寄り道してから家へ帰ることにした。


 ほんの些細なこと。目が痛くて堪らなかった。模試の成績は上々。けれどサングラスのことはいくら説明しても認めてもらえない。塾では煌々と照らす証明の下で身を焼かれるような思いをしなければならない。学校も同じだ。自分たちの教え方が良いから俺の成績が良いのだと教師たちは言いたげな顔をするが、学校でも塾でも俺は目を開けられない。光でこの身が焼き尽くされてしまうような感覚に陥るから。


 光のない森の中。街よりは見える星の光。さわさわと木の葉が擦れる音が心地良い。神隠しの噂のおかげで手が入らず、光源となるものも設置されていない俺の居場所。サングラスを外して獣道を歩く。しばらく行くと寂れた『久家』という表札が掛けられた洋館が建っていた。


「こんなところに建物なんてあったっけ」


「こんにちは。何か御用かな?」


 背後から声を掛けられて俺は縮み上がった。人気のない森。ゆっくりと振り向くと、そこには爽やかな白いワイシャツを着た青いサングラスのお兄さんが立っていた。


「いえ、たまたま見かけて立ち寄っただけです。お兄さんはこのお屋敷の方ですか?」


「そうだよ。あ、雨が降りそうだ。今から森を抜けるのは間に合わないだろうから家に寄って行くかい? 一人は退屈だから話し相手にでもなってくれたら嬉しいんだけど」


 言われてみれば雨の香り。お言葉に甘えることにした。


 洋館に入ると外の見た目より掃除が行き渡っていて綺麗だった。案内された部屋の明かりはろうそくの炎だけ。俺は胸元に掛けていたサングラスをケースに仕舞った。


「こんな時間にサングラス? お揃いだね」


 お兄さんは無邪気に笑う。その口から鋭い八重歯が覗いた。


「格好良いですね」


「え、これ? 本当? ありがとう」


 お兄さんは気恥ずかしそうに笑う。その笑顔がキラキラしていて、サングラスもよく似合っていると思った。ジッとサングラスを見ていると、お兄さんはそっとそれを外した。


「家の中なら外していても全然問題ないんだけど、外だと目が焼けるような感覚がしてね」


「俺も、一緒です。電気の光も苦手で、理解が得られないと掛けていられないのが辛いんですよね」


「へえ。同じようなことで悩んでいる人がいるとは思わなかったよ。僕もずっとサングラスを掛けていないといけないから昼間はほとんど出掛けられなくてね。その点この森は整備の手も入らないほど放置されているから、暗くてちょうど良いんだ」


「分かります。俺もそこが好きで何度も来ていて」


「そうなんだ。ねえ、もしかして、今日もそれで悩んでた?」


 お兄さんは心配するように聞いてきた。確かに今日はいつもより目が痛くて辛くて、ここに逃げ込んできた。


「どうして分かったんですか?」


「うーん。この森に来る人は何かに悩んでいるか、辛くて死んでしまいたい人ばかりだから」


 お兄さんはそう言うと口元を手で覆った。もしかすると森を散歩している途中で自殺した人を見つけたことがあるのかも知れない。


「大丈夫です。俺は死にたくて来たわけじゃないので」


「違うの?」


 お兄さんは不思議そうに聞いてくる。本当にここでは死にたい人にしか会ったことがないかのような反応。それがなんだか悲しくて、俺はお兄さんの手をそっと握った。


「あの、俺、これからも時々会いに来ましょうか?」


「ええ? どうして?」


「なんだか寂しそうに見えたから。なんて、偉そうですかね」


 お兄さんがあまりにも驚いた顔をするから、俺は少し怯んでしまった。けれどずっとここで寂しい思いをいているのかと思うと言わずにはいられなかった。どうして気になるのか、それはきっと同じ悩みを共有したからだと思う。ジッと見つめていると、お兄さんはふわりと笑って俺の頭を撫でてくれた。


「キミは良い子だね。名前は?」


「久志」


「良い名前だね。僕はツキ」


 真っ白な肌と輝く銀髪、黄金色の色素の薄い瞳。その名前が表す通りの美しい人だと思った。


「久志は今いくつ?」


「十八。高校三年生で、絶賛受験勉強中。勉強の成績は県内でも上位なんだけど、サングラスのせいで態度が悪いって言われて推薦は落ちた」


 ヘラリと笑ってみせる。目が見えにくいから眼鏡を掛けることは認められているのに、どうしてサングラスはダメなんだ。目が見えないから白杖を使うことは許される。足が不自由だから車椅子を使うことは許される。失った手足を補うために義手や義足を使うことは許される。光が辛くてサングラスをかけることも許されてはいる。だけど好奇の目が消えない。偏見が消えない。生きづらさが消えてくれない。


「ツキさんは街を歩くのが怖くなることはある?」


「……あるよ。昼の街も夜の街も眩しいから。僕には居場所がないように感じる」


 ツキさんはそう言いながらもあまり気にしていないようで、普通に笑っている。


「俺が気にしすぎなのかな」


 ぼそりと呟くと、ツキさんはニヤリと笑った。綺麗な顔が引き立つような悪い顔。俺は腹の奥がゾクリとした。


「そんなことはない。生きづらさは誰もが抱えているものだからね。久志が気にし過ぎということもない。ただまあ、少し肩の力を抜いて、当たり前って顔ができると良いかもね。ちょっとごめんね、僕は少しアンテナの様子を見てくるよ」


 ツキさんはほんわかと笑うと部屋を出て行った。部屋の窓にはさっきまでの空が嘘のように雨が叩きつけていた。どこか遠くで雷鳴も聞こえる。


「大丈夫かな」


 詳しくはないけど、アンテナは屋外にあるものだったはず。こんな天気の中見に行くのは危ない気がする。だけどどこにいるのか分からないのに探しに行って良いもの。


 ドォォン


「おわっ」


 雷光と共に腹に響くような音がした。ろうそくは絶えず灯っているけれど、それがオール電化の家だったら停電していてもおかしくないだろう。


「探さなきゃ」


 俺は考えることを止めて部屋を出た。耳を澄ます。雨音と雷鳴の中で微かにパリパリという音がした。何の音かは分からないけれど、そっちに何かの気配がある。廊下のろうそくは付けられていないから石の壁に手をついて手探りで進む。途中、手がぬめるような感触。暗がりで見えないし音もしないけれど、鉄が錆びたような臭いも鼻を衝く。古そうな屋敷だし、この辺りで雨漏りをしているのかもしれない。足を滑らせないように慎重に歩を進める。


 木の感触に変わる。そっと押すと動く。ドアだ。


「ツキさん?」


 窓から差す仄かな光。それだけでは何かが置いてあることくらいしか分からなくて手探りで進む。三歩目に足先が何かにぶつかって足を止めた。柔らかくて重たい感触。


 ドォォン


 再び雷光と雷鳴が聞えて部屋の中が一瞬だけ青く光る。足元に転がっていたものが見えて俺は吐きそうになった。


「に、にんげん……」


 雷の青さだけじゃない、血の気の引いた人間。触れてみればすっかり冷たくなっていて、俺は手が震えた。


 ドォォン


 俺の周りの赤黒い点。その全ての正体が分かると頭がクラクラとする。


「久志。大人しくしていれば良かったのに。心配して来てくれたのかな?」


 背後から聞こえた声。俺は振り向けない。


「怖がらないで。リラックス。リラックス」


 深呼吸をしてどうにか気持ちを落ち着けようとするけれど血液のムッとした臭いにさらに吐きそうになる。


「あーあ。だめか」


 首筋に痛みが走って意識が朦朧とする。カーペットが近づいて、暗くなった。


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