除夜の間食~仙境王還記後日譚~

江東うゆう

第1話 除夜の間食

 今年最後の日の晩を、「じよ」という。

 この日、我が帝国では家族も使用人も眠らず、飲み食いし、踊り、歌っていることが多い。人の集まった家の中は暖かく、人々の顔も和んでいる。

 まして、父が高官にある我がおう家では、料理も多く、酒もそろっている。

 帝国の首都であるは、運河のほとりにある町である。

 毎朝、各地から船で品物が届けられてくるため、南方にしかな食べ物も手に入りやすい。私の友人であるちゆうこうの家は華都でも一番大きな商店だった。だから、私は年の暮れになると、よく、その家に交渉に行かされた。

 私も友人の家の方がくつろげたから、それはそれでよかった。

 

 私は、庭石に腰掛け、手元にあった竹をなたで割った。

 からん、と切った竹が土の上に落ちる。

 我が国では新春に竹を火にくべ、はぜさせる風習がある。

 その音を楽しむためだ。

 さきほど、私は使用人に頼んで、竹を用意する役を譲ってもらった。

 外に出たかったからだった。

 

 数本の竹を切ると、私はたき火に手をかざす。

 この頃は、日が暮れると凍るように寒い。

 絹の着物を通して、直接、背中に寒風が当たっているように感じる。

 一方で、たき火に当たっている体の正面は、顔を背けたくなるほど温かかった。

 私は背中の方も暖めてやろうと、座り直す。

 土に触れていたそでが、ざらりと音を立てた。

 汚れただろうか、と少しだけ気になった。

 けれど、私は確かめもせず、ただ、袖をぱたぱたとはたく。

 三人の兄が順番に着て、私のところに回ってきた着物は、すでに色が抜けて灰色っぽくなっている。着物の下にはいたも同じだ。

 どうせ新年を迎える前に着替えるのだし、多少汚れても構わないだろう。


 私は星空を見上げ、肺一杯に冷たい空気を吸った。

 年が明ければ、十七歳になる。

 大人と言われれば大人だが、まだ、自立もしていなければ、官職にもありついていない。

 そんな自分を冷静に見たくなるときがある。

 自分はどれほどのものか、と。

 自分に期待しながらも、現実の厳しさを目の当たりにするはめになりそうで怖い。

 そんな怖さには、冷たい空気と孤独が似合う。


 吐く息が白く曇る。

 もう一度深呼吸をしようとしたとき、宴会をしている堂の方から、人が出てくるのが見えた。

 こちらに近づいてくる。

 私は立ち上がって、目をこらした。


りくよう


 私の名を呼んだのは、一番上の兄だった。

 何年も官僚としてそつなくこなしているだけあって、感情のわからない、しかし優しい笑みをたたえている。


「どうなさいました。兄上」

「中に入らないのか」

「ええ、竹を割っておこうと思って」

「そのようなことはていてきに任せればよかろう」

「彼も他の仕事で忙しいのです。私がやります」


 実は、家族といない方が、今の私には気楽だった。

 今年の春から夏にかけて、私は家族や友人に多大な迷惑をかけた。

 友人や妹は私を出迎えてくれたし、家に帰ってきた私を父も兄も許すと言ってくれた。

 元のように暮らそう、と父も兄も言った。

 けれども、私自身に「元のよう」に戻れないところがあった。

 自分で自分を受け止めるための時間が、私は欲しかった。

 以来、私は少し、家族と距離を置いている。


 兄は、笑みを崩さぬまま、ふう、と息を吐いた。


「確かに程適はちゆうぼうで忙しそうにしていたがな」

「厨房で? 程適がですか?」

「さっき、おまえはあいつが他の仕事で忙しいと言っていなかったか?」


 私が言葉につまると、兄は、ふ、と吹き出した。


「陸洋、おまえは、本当に詰めが甘いな」

「……すみません。自分でもわかっております」

「謝るな。かわいい弟だと言っているのだ。ほら、寒いだろうからにくまんを持ってきた。『さんろく』の近くの店のものだ」


「山麓」と聞いて、私はよくわからないうめき声を上げる。

「山麓」はかん登用試験用の塾だ。春に学長が亡くなってしばらく、「山麓」は閉められていた。だが、学長に縁のあった先生達が再開させた。

 もちろん、それまでの「山麓」ではない。

 学長の持っていた自由さも、優しさも、臨機応変さもない。

 それでも、受験のための塾としては、成立していた。

 私は今も「山麓」に通っている。


「程適があそこの肉包が一番美味いと言っていた。ほら、取れ」

「兄上が買いに行かれたのですか? わざわざ」

「買いに行かなければ手に入れられないだろう。さあ、取れ」

「……ありがとうございます」


 お礼を言ってはみたが、申し訳ない気持ちの方が強かった。

 受け取った肉包をかじってみる。

 いつもの、友人たちと買い食いしている肉包だ。

 立ち去る兄の背を見つめながら、友人の顔を思い浮かべる。


 肉包を食べ終わると、友人に会いたくなった。

 そんなとき、背後に気配があった。


「欧陸洋」


 聞き慣れた声がした。


ようえん、よく来たな」


 浮かび上がる笑みを隠せぬまま、私は振り返る。

 暗がりに、色白の友人の顔が浮かび上がって見えた。

 目の前にあるたき火の色が映じたのか、友人の瞳が金色を帯びていた。

 着物は、ふだん塾で見かけるものと違った。

 いつもは無地のものを着ているが、今は商人風の着物で、えりったしゆうがある。

 何か作業をしていたのか、袖にはからげた跡がついていた。

 そして、白い包みを抱えていた。


「こんな時間まで、出かけていたのか?」

「いや、仲興の店を手伝っていた」

「手伝い? 家で何かあったのか?」

「違う。楊家は相変わらずの大金持ちだ。俺が稼ぎたかっただけだよ。小遣いがもらえたから、肉包を買ってきたんだ。『山麓』の近くの店のだぞ」


 楊淵季が包を開くと、ほわりと湯気が出た。

 のぞき込むと、肉包が四つあるのがわかった。


「食うぞ」


 楊淵季は、さっきまで私が座っていた庭石に腰掛けると、さっそく肉包にかじりついた。

 大きな口を開けて食べるものだから、瞬く間に肉包がなくなった。

 上品なつくりの顔が、台無しではある。


「どうした。おまえの分もある。食え」


 私は先ほど同じものを食べたのだ、とも言えず、楊淵季の隣に腰掛ける。

 楊淵季が相変わらずの冷涼な表情で、私に肉包を差し出した。


「ありがとう」


 礼を言って、一口かじる。

 中はまだ、かなり熱かった。

 ふと、私は、兄の肉包が冷めていたのを思い出す。

「山麓」からここまでは、近いとはいえない距離だ。

 私は楊淵季を見た。

 まさか、冷めないうちに渡そうと、走ってきたのだろうか。

 様子を探って見るが、息切れもしていないし、汗もかいていない。

 かといって、彼がちょっと走ったくらいで、そんなふうにならないことは、よく知っている。すらりとした体躯に似合わず、体力があるのだ。


 温かい肉包は、すんなり腹におさまった。

 楊淵季はすでに、二つ目を平らげている。

 

「ほら、これも食べろ」


 最後の一つが、私の目の前に差し出される。


「淵季はもういいのか」

「仲興のところで食事が出たんだ」

「食事のあとで、肉包を二つも食べたのか?」

「なに、肉包は別腹だ」


 私はまだ食事をとっていなかったが、三つも肉包を食べるのはさすがに多すぎる気がした。とはいえ、淵季がわざわざ買ってきたというものを、受け取らないわけにはいかない。


「……ありがとう」


 礼を言って受け取り、手に持ったまま、しばらく眺める。


「どうした、陸洋」

「いや。ああ、そういえば、このところ、おまえはよく仲興のところで働いているのを見かけるが」

「……ああ」


 楊淵季は私から視線をそらし、目を細めた。


「働けば、気がまぎれるからな」


 どこか遠くを見るような視線だった。

 実をいえば、春から夏にかけて、家族に迷惑をかけたのは、私だけではなかった。楊淵季もしばらく行方不明になっていたから、家族や友人を心配させ、手をわずらわせていた。

 そして、行方不明になっている間の私たちは、肉体的にも精神的にも追い詰められていた。

 私たちは、華都に帰ってきてから、あの冒険の話をすることがなかった。

 私は、わざと思い出さないようにして、忘れようとしてきた。

 忘れることで、あのとき味わった思いを心の奥底に沈めようとしてきた。

 態度から、楊淵季もまだ解消しきれずにいるのだろうということはわかっていた。

 私よりもたいへんな目にっているから、よけい、すんなりと消化というわけにはいかないに違いない。

 私は、手に持っていた肉包を食べた。

 もっちりとした皮は噛むほど甘く、豚肉の餡は香味野菜と共に調理されていて、脂が多いわりにさっぱりしている。


 だが、食べ過ぎた。

 腹に石が入ったように、重い。


 そもそも、食べやすいとはいえ、「山麓」前の店といえは肉包が大きいことで知られている。学生に人気なのもそのためだ。

 それを、一度に三つも食べるなど、私は馬鹿なのだろうか。


「どうした、陸洋? 腹なんかさすって」

「いや、淵季は満腹だったりはしないのか。食後なんだし」

「肉包なら、あと三つはいける」


 楊淵季に食べさせておくのだった。

 私はそう、後悔する。

 どうやら、楊淵季は体全体が私の数倍は性能良くできているようだ。


「それで、淵季は家の方はどうなんだ? 準備は」

「使用人が全部やってくれるよ。正直、俺はやることがないんだ。手伝おうとすると、おまえは勉強してろって言われるしな。おまえこそ、なんで竹なんか切っている」

「いや、程適が忙しそうだったから」

「ああ、程適か」


 楊淵季はまた、遠くを見つめる。

 程適は元々「山麓」で雇われていた少年だった。

 彼もまた、事件に巻き込まれ、私と共に仙人国を目指した。

 そして、私たちが仙人国にいる間、程適は仙人国のそばで待っていたのだ。

 仙人国から降りた私たちは、すっかり疲れ果てていた。

 そんな私たちを励まし、助けたのも程適だった。


「新入りの使用人がこき使われるのは、よくある話だからな。欧家みたいな立派なところでも、同じか」

「いや、そういうわけではないんだ。私が仕事を譲ってくれと頼んで」


 げんそうに、楊淵季がこちらを見た。

 私は視線をそらし、ひざを抱える。


「おまえと同じ理由だよ。竹でも切っていれば家族から離れられるし、気も紛れる」


 馬鹿にされるかと思ったが、楊淵季は、はは、と笑っただけだった。


「なるほど、じゃあ、陸洋の竹を一つ試してみるか」


 楊淵季がそう言って、近くにあった竹をたき火に放り込む。

 私は慌てて袖で顔を覆った。


 ほどなく、竹の弾ける大きな音がした。


「やめろよ、淵季。まだ正月じゃないんだぞ」

「試しただけじゃないか。なぜ、そんなに驚いているんだ?」

「音が大きいからだろう」

「さては、おまえ怖がりだな」

「余所では黙っていてくれ。頼む」

「そうだな、『山麓』の連中に知られたら、あの優等生の陸洋が怖がりだって、ずっと言われそうだよな」

「おまえ、おもしろがっているだろう。怖いって思うときに、どれだけ私が情けない気持ちでいるか」

「すまない。怖いことがない俺にはわからんな」


 そうだろうな、おまえは、と言おうとして、私は引っかかりを感じる。

 淵季は、こちらも見ないで、ただくつくつ笑っていた。

 その横顔を見つめながら、何が引っかかったのか思い出そうとする。

 でも、思い出せそうで、思い出せない。


 そのとき、どこかから足音がした。

 さっきの竹のはぜる音を聞かれてしまったのだろうか。

 耳を澄ますと、小さく呼ぶ声が聞こえた。


「旦那あ」


 私は声のする方に目をこらす。

 暗闇の中に、程適の姿が見えた。

 手に、蒸し物を作るときのかごを持っている。


「あれ、楊の旦那?」


 程適は楊淵季を認めると、きょとんとして立ち止まった。


「暇だったんでな。程適は、忙しくしていると陸洋に聞いたんだが」

「ああ、これでさあ」


 程適は蒸し器の蓋を開けた。

 そこに茶碗が四つあって、うす黄色い菓子で満たされている。


「豆乳が手に入らなかったんで、牛乳を使いやした。あと、卵と砂糖は旦那が教えてくれたとおりで」


 これは、仙人国で一時期、私が毎日のように作っていた菓子だ。

 卵と砂糖、豆乳を混ぜたものをざるでして、蒸したもの。


「作り方を、教えてたっけ」

「ええ、華都に戻る船の中で。仙人国でおいしいものは何かって聞いたときに、教えていただきやしたが。ほら、茶碗を取ってくだせえ」


 辺りには、菓子の甘い香りが漂っていた。

 ふだんならおいしく思えるのだろうが、今は、腹が重い分、気が進まない。


「へえ、見た目はよくできているな」


 楊淵季が横から手を伸ばし、茶碗を取った。

 程適がふところからさじを出す。


「ほら、食べてみろよ。陸洋」


 淵季が一匙すくって、私の口に押し込んだ。

 避けようとしたが、彼の手が一瞬早かった。

 私は菓子を飲み下す。

 ふわりと、口の中に甘さが残っていた。


「甘い」


 私はつぶやいた。

 楊淵季が、はっとしたように身を引き、何かを言いかけた。

 だが、すぐに困ったような笑顔になる。

 そんな顔をするのを見たのは、初めてだった。


「そうだろう」


 彼はもう一匙すくうと、私の口元に差し出した。

 私は、抵抗せず、それを口に入れた。


 私は、さっき何に引っかかったのか、思い出していた。

 仙人国で、淵季がこの菓子を食べたとき、いつものような生意気さも、皮肉っぽさもなかった。

 そんなことはおくびにも出さなかったが、あのとき、多分、楊淵季は怖かったのだろう。

 そして、私もとても、怖かったのだ。


「旦那? ……泣いてるんで?」


 私は答えず、袖で目をぬぐった。


「そういうことは、聞いてやるものではないよ、程適」


 楊淵季が私に茶碗を差し出した。


「でも……かったんじゃあ」

「違う。きっと、おいしくてたまらないんだろ」

「そうですかねえ」

「見ろ。欧家の坊ちゃんらしく、上品に食べてるじゃないか。食べ続けているっていうのはい証拠だ。さて、あと三つあるな。程適はいくつ食べる?」

「茶碗が大きいのしかなかったんで、一つで十分でさあ。残りは旦那方が分ければ」

「陸洋は満腹だ。よければ俺が二つもらうが」

「ええ、楊の旦那は、食事はまだなんで?」

「仲興のところで食べてきたし、さっき肉包を二つ食べた」

「えっ。そんなに食べて腹の具合は」

「肉包ならあと三つはいける。菓子ならいくらでも入る」


 程適があとずさった。

 たき火に照らされているのに、心なしか青ざめているように見える。


 楊淵季は程適に構わず、茶碗を取ると菓子を食べ始めた。

 相変わらずの早食いで、上品とはほど遠い。

 早食いだが、実に美味そうに食べる。

 食べているときの淵季は気が緩んでいて、屈託がない。

 そんな淵季を見ていると、私も安心できた。


「怖さに冷たい空気と孤独は似合わないな」

 

 私は茶碗に向かって、そっとつぶやく。

 淵季がこちらを見た。

 彼と、目が合った。


 私たちは同時にうなずき、そして、気まずそうにった。


〈おわり〉

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