第2話 犯行当日
「僕が殺したっていうんですか」
刑事は何も言わない。
「あの日、父さんは二階の自室にいたんですよ」
「ええ。遺体はそこで発見され、焼けた扉には内側に鍵が差し込まれていた」
「その時、僕は地下室に閉じ込められていました。どうやって鍵の閉まった二階の部屋に火をつけることが出来るんですか」
「あなたが一番よくわかっているのではないですか」
全て燃えたのに、証拠があるわけない。
僕は火事を起こした日の事を思い出していた。
「初めまして。君は赤鼻のトナカイが好きなのかい」
この質問に答えなければ、今の僕は笑って過ごしていたのかな。
起きなければ。あいつの拳が飛んでくる。
いつも機嫌が悪いが、今日はすこぶる機嫌が悪い日だ。
怒らせて計画が狂ったら一大事。
足跡を立てずに素早く階段を降り、二階のドアに耳を近づける。
中からイビキが漏れ聞こえている。一階キッチンの床にある扉を開けた。
ハシゴのように急な階段を降りると、地下室の中央にある大きな薪ストーブの蓋を開けた。
すぐに閉まるので片手で抑えながら、薪を中に入れ、火をつけて蓋を閉める。
食料を手に入れた炎が、嬉しそうに踊り肥え太っていく。
煙は地下から屋根を貫く煙突を通り、熱は煙突に繋がったパイプを通ってこの家全体を温める。
ストーブに火をつけた僕は、震える身体を宥めながら白い息を吐いた。
キッチンに戻ると、早速朝食を作る。
温かくなってあいつが起きてくる前に、完成させなければならない。
テーブルに六人前はある食事を並べると、階段の方で足音。
酒瓶片手にあいつは席に座る。
「おはようございます。父さん」
「大声で喋るな」
僕の声に頭を抱えている。
前日から飲んでいるのに、酒瓶を傾ける事は欠かさない。
千鳥足で玄関に近づくと、この家唯一の鍵を取り出す。
鍵穴に差し込むのに何度も失敗しながら、ロックを解除した。
三人前はある朝食を平らげると、タイミングを見計らったように話しかけられた。
「おい。後はお前が食べておけ」
あいつは一口食べただけで、ずっと酒を飲んでいる。
「はい。いただきます」
「あと今日の分のクッキーと牛乳も残すんじゃねえぞ」
言い残して階段を登っていく。
ドアが閉まった音を聞いて立ち上がると、あいつの残した料理を手早く捨てた。
外に出ると、小屋にいるトナカイ達の世話をはじめる。
朝ごはんを用意して小屋の扉を開くと、八頭のトナカイが大人しく出てきて餌を食べ始める。
体を撫でると、痛々しい傷跡が嫌にも目に入った。
「今日でお前達も自由だからな」
トナカイ達は朝食を平らげると、各々森の中へ散っていく。
それを見送り、薪になる枝を集める。
切り株の上に乗せ、斧を使って手頃な大きさに切り分けた。
山のように溜まってきたので、地下室に運び薪の保管場所に運び入れる。
あいつが外を見ていないのを見計らい、薪割りの途中でトナカイ小屋の隣へ。
中にはあいつが自作した鉄のソリが仕舞われている。
僕が手入れしたソリの傍らを通り過ぎ、作業台に向かった。
工具箱からドライバーを取り出してポケットに。
二本ある錆に塗れたガス溶接用の酸素ボンベのうち一本と、ホースを手に取ると、密かに地下室に運び入れた。
事前に持ってきたガムテープと一緒に、薪を使って隠しておく。
何事もなかったように薪割りを終え、冷蔵庫を開く。
決められた量のクッキーと牛乳をコップについだ。
捨てようとしたら、手が震え出す。
朝食は捨てられたのに、ゴミ箱に持って行こうとすると、あいつの顔が浮かび上がる。
「それを食わなきゃ、一人前になれないんだぞ」
クッキーを一気に口に放り込み、牛乳で流し込むと、家の周りの森を走る。
「いいか。オレの跡を継ぐという事は、文字通り人間離れした体力が必要なんだ」
そう言っていたあいつの腹は今、風船のように突き出している。
立ち止まり、近くの木で身体を支えると、お腹から登ってくるものが喉に到達する。
手で口を抑えたが何の意味もなさず、指の隙間から足元に落ちて汚いシミが広がった。
開けても閉まろうとする蓋を手で押さえながら、ストーブ内の燃え滓を掃除して、自室に戻った。
本来なら寝る時間だが、これからの計画の事で頭が冴え渡っていた。
扉の前で足音が止まる。
来た。
僕は枕元に隠した携帯の位置を確かめて寝たふりをする。
扉が開き、床を踏み抜くような足音が近づいてきた。
いぶりがっこと焼酎とタバコの臭いが混ざったものが、鼻に吹きかけられた。
喉がタバコの煙で刺激され、むせる寸前で堪える。
いつものように、二本の指が鼻に伸びてきた。
そのまま思いっきり挟まれて潰される。
顔から取れそうな激痛を表情に出さず、ベッドのシーツを強く握って耐えた。
「真っ赤なお鼻の」
あいつが歌っている。
「トナカイさんは、いつもみんなの笑い者」
自分の音痴がよほど面白かったのか、笑いながら僕の鼻に一際強く力を込めた。
鼻の穴が裂けるような痛みが去り、呼吸が楽になる。
馬乗りになっていたあいつは酒瓶を煽っているのか、喉を鳴らしながら遠ざかっていく。
ドアが閉まる音が聞こえてから十秒数えて目を開けた。
あいつはいない。
咳き込みながら鼻を確かめる。
触らなくても熱を持ち、鼻呼吸するだけで、痺れるように痛かった。
目尻の涙を拭き取り、枕元に隠してあった携帯を取り出す。
画面を確かめると、あいつが僕の鼻をつまむ一部始終が映っている。
証拠は撮れた。
部屋を抜け出し、静かにかつ素早く薄暗い階段を降りる。
二階のドアの隙間から明かりが漏れている。
ドアに耳をつけると、あいつの鼻歌が聞こえてきた。
仕事の用意をしているようだ。
すぐさま一階に降り、キッチンの床にある扉を開けて飛び込んだ。
地下室に隠していた酸素ボンベを取り出すと、ストーブの前に持っていく。
ドライバーで蝶番のネジを外し、蓋を取り外す。事前に牧の燃え滓を掃除しておいた中に入り、ボンベに繋いだホースを上部に煙突と繋がった穴へ。
そこに先端を差し込むとガムテープで煙突の内側に貼り付けて固定。
ボンベの栓を開けると、取り付けられたメーターの針が動き出し、みるみるゼロに近づいていく。
針を凝視したまま僕は歌う。
「真っ赤なお鼻の、トナカイさんは」
緊張からか喉が乾くが歌うのをやめられない。
「暗い夜道はピカピカの、お前の鼻が役に立つのさ」
酸素を送り込みながら、僕は違和感を感じた。
何か忘れている気がする。
「いつも泣いてたトナカイさんは、今宵こそはと喜びました」
違和感を拭えないまま、針はゼロになっていた。
気のせいだろうと蓋を戻し、ボンベを回収。
酸素たっぷりのストーブの蓋を閉めた。
あとは元の場所に戻すだけ。
外に出ようとしたところで、後頭部を殴られたような衝撃を覚える。
鍵がない。
玄関を開けるには、内側外側共に鍵を差し込まなければならないのに。
その鍵は各階の扉と共通で一つしかない。
持ち主はあいつ。
何処にあるかは分かっている。二階の扉だ。
失くさないように、内側に差し込まれているに違いない。
これではボンベを外に置けない。
どうする。
窓から出ることも考えたが、寒さ対策ではめ殺しされている。出入りするには割るしかない。
扉から出るしかないがどうやって鍵を開ける。
手元にあるのは空のボンベとテープとドライバー。
鍵穴のついた傷だらけのドアノブを、穴が開くほど見つめて、ふと閃いた。
ボンベもドライバーも元に戻せた。
アクシデントに見舞われたせいで、十二月なのに汗をかいていたことに気づく。
手で拭い、作業小屋を後にすると、はっきりと羽音が大きくなっている。
音のする方を見ると、夜空に光が点滅していた。
毎年来る報道のヘリだ。
カメラに撮られる前に戻ると、玄関の鍵をかけてから、ブレーカーを落とし、地下室に飛び込んだ。
膝を抱えて待っていると、上の方で破裂音と勢いよく何かがぶつかった音が聞こえた。
成功したみたいだ。
あとはヘリが通報して、駆けつける救助を待っていれば……。
カタンと金属が震える音がした。
見ると、音の出所から橙色が漏れ出し闇を侵食していく。
見ているうちに蓋の震えが止まらなくなり、遂に吹き飛んだ。
慌てて頭を抱えた僕の視界に映ったのは、地下室を瞬く間に占拠するオレンジ色の炎。
煙で咳き込み、息が出来なくなった僕に向かって炎が迫る。
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