笑顔が消えた日
七乃はふと
第1話 事情聴取
「ホップ大学の研究チームが、人の脳と機械を繋ぐ実験に成功しました。自らを被験体としたことに衝撃が走っています」
僕は声に意識を集中させる。
「……人類の寿命は飛躍的に伸ばせるとの事です。CMの後は、秋田で起きた煙突荘の火災が世間に与えた影響を、心理カウンセラーの……」
興味のない話題になったので聴覚の手綱を手放す。
声は砂嵐のような雑音になり、やがて完全に聞こえなくなった。
明けることのない暗闇のなか、近くでカチンという金属音の後に深いため息が聞こえた。
「誰か、いるんですか」
「起きてましたか。気づきませんでした」
「ええと、あなたは」
「自分は秋田県警の
鹿住と名乗った男の人は「見えないか」と呟いた。どうやら警察手帳を出したらしい。
「警察の人でしたか。前回来た人達とは違う声ですね」
「ええ。前任者は別件の担当になりまして。自分が引き継いだというわけです」
「ご苦労様です」
「早速ですが、火災当日の事を確認したいんですが」
「もう一度、ですか」
とっくに前の刑事達に話してあるのに。
「渡された資料と食い違いがあると困るので」
「分かりました」
「あの日、家にいたのは、亡くなられたあなたの養父、
こちらの返事を待つように言葉が途切れる。
「僕、
「全焼してしまった家についてお尋ねします。五階建てで鹿月さんの部屋は二階で合ってますか」
僕は「はい」と答える。
「あなたの部屋は五階、ふ〜ん」
「五階にあるのが気になるんですか」
「いえ、見取り図によると、二階から五階まで同じ構造じゃないですか。なんで三階と四階は空いているのかな、と」
「三階は別れた奥さんの部屋です」
「えっ」
「四階と五階は、子供部屋として用意したらしいのですが」
言い淀むと、刑事さんがその後を引き継いでくれた。
「ああ、鹿月さんは子供が作れない病を患っていましたね」
「それで奥さんと別れたそうです」
「離婚された後に、あなたは迎えられた」
「はい。だから奥さんの事は分かりません。写真なども処分してしまったのか、家で見た事はありませんでした」
「という事は、毎日疲れるんじゃないですか」
「僕がですか」
「ええ。一階のリビングに行くのも、自分の部屋に戻るのも、煙突を囲むような階段で登り降り。自分だったら家出しちゃいますよ」
養子として迎えられた頃を思い出す。
「確かに最初は大変でした。でも身体を鍛えるためと思えば、苦にはなりませんでした。むしろ、羽が生えたように身体が軽い毎日を送っていました」
嘘だけど。
「やはり毎日の運動が効果的なんですね。一年に一度とはいえ、全国に配達するお仕事ですものね。おっと、すみません脱線してしまいました」
「もしかして、刑事さん運動不足なんですか」
「昔は先輩について大声出してましたけど、今は後輩に走り回ってもらってますよ」
どこでも同じなんだな。
「話を戻して。戸締りもあなたの役目でしたか?」
「いえ。鍵は父さんが持っているので、施錠するのは僕ではないです」
「玄関から五階の部屋まで、お一人で?」
「はい。肌身離さず持っていました」
「人任せにせず、自分で閉めていた。防犯意識が高かったんですね」
「人里離れた森の中だから、泥棒なんて来ませんけど」
「いやいや。あなた達は日本で一番住所が知られているんです。用心は大切ですよ。だからあの日も報道ヘリが来た。通報したのも同乗していた女性キャスターからでした」
「その人に感謝しないといけませんね」
「通報を聞かせてもらったのですが「真っ暗な森の中で火柱が上がった」とすっごい金切り声。とと、また話が逸れてしまった」
刑事さんは「次に聞くのは」と独り言を漏らす。
「これだ。八頭のトナカイの世話はどちらが」
「僕です。といっても一日のほとんどは森で気ままに過ごしていますから。小屋に帰ってきた時に汚れを落としたり、不意に出て行かないように扉をしっかり閉めるくらいですね」
「飼っているトナカイは手がかからないと。小屋といえば、隣に例のソリが置かれているんですね。以前のインタビューで鹿月さんが自作したと言っていましたね」
「溶接の資格を持っているので、自分の体格に合わせたサイズにしたらしいです」
「子供達の夢を壊さないようにしていた。素晴らしい方です。二本の酸素ボンベが置かれてますけど、今も溶接で何か作ったりしているんですか?」
「僕が来てから一度も触ってないと思います」
「……火災当日の話を伺っても宜しいですか」
「……いいですよ」
「辛いのは重々承知しています。しかし世間に与えた衝撃を鑑みると、嘘偽りのない真相を報告しなければなりません。特に来訪神協会から矢の催促が凄くて」
「協力は惜しみません」
カチンと音がして長い溜め息が聞こえてきた。
「火災が起きる前、自室で寝ていたあなたに対して、鹿月さんは暴力を振るった。そうですね」
「僕の撮った動画がフェイク動画とでも」
「いいえ。あなたの手に張り付いていた携帯から復元した動画に、加工の後は認められませんでした」
「父さんは、イライラしてストレスが溜まると、トナカイ達や僕に当たっていたんです」
「動画では酒瓶を持って喫煙もしていたようですが、こちらも日常的に」
「はい」
「トナカイには無数の傷跡が見受けられました。火災当日も」
「はい。トナカイの悲痛な鳴き声で目が覚めて、その後、僕の部屋にやってきたんです」
「動画を撮った後、あなたは地下室に連れて行かれた」
「撮っていたのがバレてしまって、携帯を寄越せと殴られました。何とか死守したのですが、地下室に放り込まれたんです」
「その後に火事が起こった。消防ではタバコの不始末が原因と見ています」
「お酒も飲んで慌てて仕事の準備をしていたんじゃないですか」
「酩酊していて、火の手が大きくなるまで気づかなかった可能性はありますね」
「刑事さん。何もおかしなところはなさそうですけど」
「地下室」
「は、はい」
急に話題が変わってついていけない。
「あそこには、薪が置かれていた形跡があります」
「地下にあるストーブに使う為です」
「薪ストーブに火をつけるのは、あなたの役目ですか」
「火事が起きた時はストーブに火をつけてはいませんよ」
「安心してください。ストーブ内に薪の痕跡が無かったことは証明されています。でも」
刑事さんは勿体ぶるように言葉を区切った。
「寒くないのですか」
僕は刑事さんの言葉尻が震えているに気づく。
「だって五階立ての家ですよ。地下のストーブ一つで暖を取れるとはとても思えません。想像したら震えが止まりませんよ」
「安心してください。ストーブの熱がパイプを通して部屋全体に行き渡るようになっています。セントラルヒーディングというんですよ」
刑事さんは何も言わない。微かに「くっくっ」と笑いを堪えているようだ。
「刑事さん。どうしたんですか
「やっぱり。犯人はあなたですね」
僕の身体が硬直する。
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