第3話③ わるいこと
「ほわー。真っ暗~」
終着地への到着は意外とあっさりだった。
終電までに行けるところまで――そんなふんわりした旅の計画の中で、乗り換えのことを深く考えていなかった僕らは、気が付けば乗り入れのない小さな駅にたどり着いていた。まだ本数はあり引き返すことはできたが「一度通り過ぎた駅へと戻るのは魅力がない」との彼女の主張により、この長旅は終止符を打った。
駅前には観光地らしい建物が並んでいたが、どれも営業を終えていて、暗闇を映した窓が規則正しく並んでいるだけだった。まるで街全体が営業を終了したように、辺りにいるのは僕たちと、同じ電車からの降りた数人だけ。帰る家がある人たちはいそいそと帰路へと向かい、僕たちを気にする様子はない。
二十四時を過ぎた駅は暗闇と静寂に包まれていた。
「とりあえず、皆が歩いて行く方に行ってみよう」
コツコツとローファーを鳴らし僕の前を歩く。
空気が澄んでいるか、静かだからか。足音はやけに響いた。
「ていうか、ここで何するの?」
「未定です!」
振り向かず、手を広げ楽しそうに歩く彼女は、自信満々に不安な言葉を放つ。うすうす分かってはいたけれど、予想通りの事実を目の前に突きつけられて思わず溜息を吐く。
その音に気づいたのか、先を歩く彼女は足を止め、僕の方へと振り返った。
「ドキドキしない?」
まさか楽しくないのかと、驚いた顔で僕を見つめる。
どこに惹かれる要素があるのか、と言葉を濁しながら答える「全部!」と明るい声が響く。
「こんな遅くまで外にいたことある? 私は初めて! しかも、初めての体験が知らない場所で、知らない楓くん! こんなドキドキするシチュエーションなかなかないよ」
他にもノープランなこと、晴れたこと、海の匂いがすること、補導されるかもしれないこと、明日は休みなこと、など彼女のドキドキポイントを両手の指を折りながら挙げていく。どれも小さくくだらないものだ。……と思ったが、一つ引っかかったものがある。
「……補導?」
「されそうじゃない?」
確かに、と考え込む。二人とも学校は違えど制服を着用している。誰もが僕たちを学生だと判断できるだろう。夜中にこんな姿で歩いているなんて、補導の格好の餌食ではないか(しかもこの辺りで見ない制服だと思われたら、よりめんどくさい話になりそうだ)。
「これはスリルをドキドキに変換しようって話で。真面目に考えなくていいと思うよ」
「面倒事に巻き込まれたくないんだけど」
「あーー……、そっか」
捕まったらわるいことどころじゃなくなるもんね、と納得したようなことを呟く。そして数秒考えた素振りを後に、ひらめた! という顔をしながら
「その時が来たら逃げよう!」
ガッツポーズで全然解決策になっていない口走る。
「問題が大きくなってる気がするんだけど」
「大丈夫、足速いから。楓くんのこと引っ張って逃げ切るよ」
「何も大丈夫じゃなくない……?」
不安は募るがここまで来てしまったら仕方がない。一番大事にならない手段を考えよう(彼女に任せるとろくな案が出てこないのは分かった)。
外に学生がうろついているのであれば、人目に付かないところに身を置けば良い。ならば――
「泊まるところを探そう」
「楓くんが意見を……! 楽しくなってきた?」
また能天気なことを聞く。そうは言ってないだろう。
僕の提案を受け入れた彼女は、当てもなく街灯の多い方へと歩き出した。調べればすぐに済むことなのに、僕たちはスマホの電源を切ったまま、なんとなくそれをオンにするのがためらわれた。
風に乗って、潮のような匂いが運ばれてくる。どうやら海が近い地域らしい。電車の窓から見えたのが、真っ黒な景色ばかりだったのも、今になって納得がいった。
* * *
まず目をつけたのはネットカフェだった。理由は単純。お世辞にも綺麗とは言い難い――けれど廃墟化したビルよりはマシなくらい――雑居ビルの入り口に掲げられた料金表の値段が、格別に安かったからだ。深夜パックなら、一人千円で泊まれるという。
早速店内の入り口を潜ると受付には、片足に重心をかけたまま、気だるげにスマホをいじる店員が立っていた。自動ドアの開閉音を合図に張りのない声で「らっしぇー」と呟いてから、顔を上げずに目線だけ僕たちへと向ける。
「高校――」
「姉弟揃って鍵忘れちゃって。親も帰ってこない日なんで、どっか泊まるところを探していて」
事情を詮索されると察したのだろう。店員の言葉にかぶせるように、彼女がとっさの嘘を口にする。決して家出や不純異性交遊ではないから、お店に迷惑は掛けないと示しているつもりらしい。
「あ、十八歳です。十八歳未満がダメなんですよね?」
「あー、やっぱり高校生ですよね。うちの店は高校生NGなんすよね。十八歳でも無理っすね~」
「お家に入れないんですけどー……」
「無理っすね~」
そこから二、三言、彼女は泊めさせてもらおうと粘るが、何を言っても「規則なんで」の一点張りで受付をしてもらうことはできず、彼女が屈したのを察すると店員は「あざしたー」と追い出すように声を掛けた。
「私服を買っておくべきだった~~!」
「成人してないって言ってなかったっけ?」
「うん。高二」
「嘘はだめでしょ」
「だめか。だめだよね〜」
いくつかのビジネスホテルを見つけたがどこもチェックインは終わっているようで、入口の自動ドアは開くものの照明は暗く落とされ、カウンターには受付終了の札が置かれていた。
待合室には短い毛のソファーが並んでいたが、宿泊客でもない僕たちが居座るのはさすがに気が引けて、そっとその場を離れた。
「…………」
ビジネスホテル街を過ぎ、だんだんと観光地としての施設が少なくなっていく。電灯の光だけで照らされた道を歩いていると、後に眩しいエリアに到達した。他の宿泊施設と比べて装飾やライトが華やかな建物。恐らく、宿泊目的ではない宿泊施設だろう。
人目がないという点においてはここも条件を満たしている。もし彼女が問題ないと言うのであれば、ここにでも……という気持ちで視線を横に移動させるが
「…………」
彼女は無言で×マークを作った。
やましい気持ちはなかったはずなのに、ここはどうかと提案した自分が、ちょっと恥ずかしかった。
「行かないよ」
「当たり前」
* * *
結局、泊まる場所は見つからず、人目がなさそうな場所で野宿することになった。とはいえ、眠るわけではなく、朝が来るまで座って過ごそうという話になっただけだ。
宿泊施設を通り過ぎたあと、潮の匂いがする方角へ歩いていくと、ひときわ闇の濃い場所に出る。ざぶん、ざぶんと心地よい音が響いていたことから、そこが海だと察した。
砂浜の手前にある護岸階段の中段に腰を下ろし、宛てのない宿探しは、そこで幕を下ろした。
「風気持ち~。夏で良かったね」
「うん。夏は凍死しないから寝ても大丈夫じゃない?」
僕の提案に首を振る。
「寝ないよ。楓くん、弱そうだし」
僕の前で無防備に寝るのが嫌なのではなく、自分の身に危険があったときに僕では対処ができないと思われているから寝ないようだ。
「だって私と同じくらいの腕の細さじゃん」
と袖から出る腕を僕の隣に並べ、比べるように見せつける。流石にそんなに細くない。筋肉はないかもしれないけど。
「大丈夫、気まずくないよ。言ったんじゃん、私は一生喋れるから」
そして一緒にいるのが気まずいから寝て欲しいという僕の目論見も見破られていた。
電車で何時間も一方的に話をしていたのに、まだ喋れるというのだろうか。これくらいのコミュニケーション能力があれば、毎日が楽しくて仕方なさそうだ。
「あー、メイク落とさないと」
思い立ったかのように、僕の膝の上に置いた彼女のリュックから手のひらサイズのポーチを取り出す。どうして膝に乗っているかというと地面に置きたくないから、らしい。重いから自分では持ちたくないと言われ強引に乗せられた。言うほど重くはない。
ポーチから取り出した鏡を見ながら、ウェットティッシュみたいなシートで優しく顔を拭き取る。自然に見えていたが拭き取ったシートには肌色と薄ピンクの人工的な色味がついていた。
「そんな見ないでよ。恥ずかしい」
「……ごめん」
メイクをしている人は見かけても落としている人を見ることなんてないため、ぼーっと彼女の姿を見てしまっていた。現れた素顔は何となくだけど、さっきよりも幼い感じがした。
「乾燥するー。保湿スプレー持ってくれば良かった。潮風顔面直撃だし肌荒れの予感……」
精一杯の抵抗のつもりなのか、両頬を守るように手で包み込んでいる。しかし、そんな守りは意味をなさないくらいに前方からは風が吹き付け、髪の毛やセーラー服の襟をなびかせる。風に乗って、昼間にも嗅いだあの桃の香りがふわりと鼻をかすめた。
「今何時だろう」
「駅を出てたのは二十四時過ぎで、それからいろいろと歩き回ったからもう二時くらいになってるんじゃない」
「……そっか。もうちょっとで今日が終わっちゃうね」
「日付は変わったばっかりだと思うけど」
僕のつまらない返答に対して彼女は「そういうことじゃない!」と頬を膨らませて怒った。周りに街頭はないがハッキリと彼女がどんな顔をしているかが分かる。月の光の強さを始めて知った。街の灯りに慣れて育った僕にとって新鮮な気持ちだった。
「朝が来たら解放してくれる?」
電車に乗っていたときとは違い、今は行動を制限されているわけではない。スマホも財布も手元にある。帰ろうと思えば、いつでも帰れる状態だ。
それなのに――どうしてか、彼女の許しを得なければ帰ってはいけない気がしていた。
「寂しいこと聞くなぁ」
「はい」とも「いいえ」でもない回答で誤魔化される。
「楽しかった日は終わって欲しくないとか思わないの?」
「……別に楽しいとは思ってない」
「えー? 私と一緒にいたんだよ? 可愛い女の子と二人でお出かけ。デートじゃん! ずっと話が弾んでたし、楽しい要素しかないと思うんだが!」
「だる」
「……もっと否定してよ。言ってる私が恥ずかしい」
そう言い彼女は体育座りした腕の中へと顔を埋め「別に本気で自分のこと可愛いとか思ってないから」と聞いてもいないのに発言を訂正している。彼女も一日外出して喋り倒していたので疲れが出ているのだろうか。電車の中で見せていた自信はなくなっていた。別に容姿をそこまで否定しなくても良いと思いながら、口に出したらまた面倒な話になりそうだと考え言葉をぐっと飲み込んだ。
ここで1つの話題が終わったようで、僕らの間にはざぶんざぶんと荒々しくも優しい波の音だけが流れる。
「私は楽しいんだ。今」
自己嫌悪が終わったのか蛍は顔を上げ、新たな話題を口にした。
「今日ね、創立記念日でお休みだったの」
「だからあの時間に外にいたんだ」
「そう。サボるなんて出来ないよ」
僕と違って? ……わるいことをしようと言うわりには真面目なやつだ。
「お休みだって分かっているのに学校行ったの」
だから制服と、腕を前に伸ばし制服を着ていることを見せつける。
「自分に嘘をついて、知らないふりをして」
「…………?」
「今日が来るまでみんな楽しそうにしてたんだ。創立記念日にどこ行く? とか、何時にここで待ち合わせしよう、とか」
「君、友達多そうだよね」
「うん、いるよ。いっぱい」
しかし続けて「でもね」とゆっくり、彼女らしくない諦めの色をした声が落ちる。
「私は誰とも約束できなかった。……もちろん、自分から誘えばいいのは分かってるよ。でも一年に1回しかない特別な平日休みを私にちょうだいって言うのも気が引けて」
そう躊躇しているうちに周りの人たちの予定は埋まり、彼女の予定だけ空っぽになっていった。
「それでね。お休みだって気づかなかったから、予定を立てれなかったんだって自分に言い訳をするために学校行っちゃった」
昨日の孤独感は消えないけど、今日を前向きに過ごせるように。理由を作った。
「私ね、誰かに嫌われるのが怖いの」
「…………え?」
「私から離れていって周りから誰もいなくなるのが怖い。だからね、誰からも好かれるようにいい子になったの」
好かれるためにやったことを指を折りながら述べていく。
「人を否定しない。相手の好みに合わせる。よく笑う。気が利く、優しい。私の想像するいい人……嫌われない人を考えて、そういう風に振舞ってた。自分でいうのもなんだけど、上手くできていたと思う。実際、蛍ちゃんは優しいよね~って言われたりもするし」
でも、と再び曇った声を上げる。
「誰の特別にもなれなかった。誰も私を好きになってくれなかった」
「何でなのかな。全然分かんない」と全然気にした素振りのないように、また彼女は自身に嘘を吐いて笑う。
「嫌われたくないから、誰からも好かれるような理想の人のなった。実際に嫌われることはなかったけど、誰からも特別好かれる人にもなれなかった。
残ったのはぎゅうぎゅうに作られた自分だけで、毎日楽しいか楽しくないか分からない生活を送ってた」
「…………」
「だからね。今日はすっごく楽しいんだ。
楓くんが一緒にいてくれたお陰だよ。途中でいなくならないでくれてありがとう」
また彼女は笑う。これは本心からの感情なのだろうか。根付いた癖が出てきてしまっていないだろうか。
……と僕が心配をしたところで彼女の本心は分からないし、変えられることはできない。
もしできることがあるとするならば、彼女に対して素直な感想を伝えるだけだろう。
「…………そっちの方がいい」
「え?」と小さい声で聞き返す。
「君のことは知らない。どういう人生を送って、何に悩んでるかなんて僕には関係ない。僕に関心があるのは、僕の人生の中に踏み込んできた君だけだ。
距離感がおかしいのに、変に空気は読めて。人を不快にしないように言葉を選んで。だけど、計画性のない計画に僕を巻き込んで。矛盾した感情、一貫性のない行動ばかりで振り回されてるはずなのに、……一緒にいるのは苦じゃなかった」
「…………」
「"今"、ここにいる君は嫌いじゃない」
過去の出来事が積み重なって今の彼女を作り上げている。それは彼女が間違いながらも、迷いながらも、自分のやり方を探しながら生きてきた結果だ。
だから――
「蛍はそのままがいいよ」
ハッキリとした口調で伝える。これは蛍に聞いてもらわないといけない言葉だと思ったから。
「はぁーーっ」と大袈裟に息を吐き、両手で顔を覆う。「ずるい」とか「もう」とか良く分からない声を上げた。
いくつか声を上げ、満足したのか大人しくなった。
そして再び膝に置かれた腕を枕にするような体勢へと戻り僕を見て、
「楓くんはわるい人だ」
ぽつりと呟いた。
もう太陽が昇るのだろう。
いつのまにか僕らを照らしていた月は消え、目の前の海はキラキラと輝きを浮かべる。
不在であるのに自身を主張するように太陽の光は海を、雲を照らす。青とオレンジが混ざり合い、空と海の境目が分からなくなった。
朝日が昇り、蛍との時間が終わる。そんなことは分かりきっていることだった。
だけど初めて見る幻想的な景色に、もう一度夜が来ることを夢想してしまう。
もう少し蛍との時間を重ねたかった。
朝焼けに照らされる蛍の顔はとても、綺麗だったから。
「もうちょっと一緒にいよう」
蛍の提案に静かに頷く。
さっきまで止まることのなかった口はぴたりと止まり、風と波と呼吸の音だけの静寂が訪れる。
肩さえ触れない距離は縮まることはない。
会話もなく、潮風に撫でられながら同じ景色を見るこの時間は心地が良かった。
もし、恋の始まりがあるとしたらきっとこの日が始まりだ。
振り返らないと分からない機微であっただろう。だけどこの日、確かに揺れ動いたのだった。
* * *
また夜が来るなんてことはな朝日は昇る。太陽の出現と共に、全く誰もいなかった周囲の道にもぽつりぽつりと人が現れるようになった。この町で暮らす人たちの一日の始まりを感じた。
人々の一日が始まったということは電車も動き始めただろう。最初は無理やり連れて来られた小旅行であったが、悪くない時間ではあった。何も解決はしていないが、晴れやか……いや曇りくらいの気分にはなっている。
「あのぉ…………楓くんはバイトとかしていますかね」
駅の券売機に着いたところで蛍は自身の財布を3回確認した後、やけに申し訳なさそうな顔をして口を開いた。
「誠に恐縮では、あるんですけどぉ……。帰りの交通費は、楓くんが出してくれませんか……」
「え……?」
「十分に持ってきたつもりだったんだよ? でも思ったよりして。しかも二人分じゃん? ……これは困っちゃったよねぇ?」
聞くに彼女はアプリからのチャージの設定をしていないらしく本当に帰る手段がない。
「行きは私が出したじゃん。帰りくらいは、どう?」
「出したって。僕は蛍に連れて来られてたんだけど」
「楓くんの言い分は分かります。何も間違ってない! だけど、楓くんの協力がないと帰れないんです!」
「…………」
「借りるだけだから。ちゃんと返すから!」
この通りです、と顔の前に手を合わせ懇願される。電車が動き出した時間帯とは言え人はいる。すれ違う人たちは女の子に謝られている僕の姿を見ては怪訝そうな顔を浮かべていた。
どの方向から考えても「分かった」という以外の道はなく彼女の要望を受け入れた。
「下ろして来る」
「ありがとう。楓くんは神様だ……!」
「その代わり、帰りは最短ルートで帰るから」
「らじゃ!」
帰りの電車の中で蛍と次の約束を交わし、僕の命はもう少し延びることになってしまった。
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