第3話② わるいこと

 最初に乗った電車が終点へと到着すると、蛍は僕の腕をひっぱり降車する。このまま乗って元の場所へと戻るという選択は許されないようだ。

 冷房が効いた車内から生温い外気へと触れる。絶え間なく喋り続ける異質な女と過ごし続けた環境のせいか、普段は不快に思うこの温度も変な安心感があった。

 終着駅は天井が透明なガラスの近代的な作りであったが、歩いて数分くらいの距離にはぽつぽつと山や小さい森が見える。時間軸がごちゃ混ぜになったようなこの地域は特段感動するような景色ではなかったが、通学圏外からの解放感からかこんな僕でも優しい刺激に少し心が踊った。

 ホームを歩いては一番近くにあった階段を上り、次なるホームへと移動しようとコンコースへと出る。この先どこへ行くか本当に無計画のようで、行先の看板を見ては頭を悩ませているようだった。

 看板とにらめっこをしている人の隣へと並ぶと彼女は僕に意見を求めるように目配せをする。別に行きたい場所なんてないから頭上の電光掲示板の中で一番到着が早い路線を選んだ。


「乗り気じゃん」

「待ちたくなかっただけ」


 ここまで来たら彼女の奇行に乗るしかないのだ。

 目的の電車に乗り遅れないようにいつもよりも速足で目的のホームへと向かった。

 最後の段差を降りきったところで電車が滑り込み、電車が停止するまでの間に可能な限り端の乗車位置まで移動し、乗車した。午後五時の電車は帰宅ラッシュが始まるかと思いきやぽつぽつと空席があり、彼女は僕の腕を引っ張りながら強制的に隣り合って着席した。

 向かいの窓越しに、反対ホームへ到着した電車が見えた。車内はぎゅうぎゅうに人が詰まり、混雑の様子がよく分かる。それを見て、自分の選択が正しかったと確信する。直感とはいえ、この車両を選んだ自分を存分に褒めたたえたい。

 そんな向かい側の様子なんて気にせず、隣に座る人は常識的範囲内で呑気な声を上げる。

 

「いよいよ冒険ぽくなってきましたなぁ」

「この歳で冒険って」

「成人してないんだから子供っぽくてもいいでしょ」


 その話の流れで、子供の頃に冒険をしたことはあるかと尋ねられたが、あるわけはなくこの話題は終了した(ちなみに彼女もないらしい)。

 しかし会話は終わることなく、次の話題へと移行する。


「楓くんは誕生日いつ?」

「……なんで」

「相性占いでもしようかなって」

「嫌だよ」


 まぁそこを何とか、と食い下がるが「スマホの電源切ってるんだった……」と気付き、個人情報の取得は諦めた。


「でも接点ない二人が出会えたんだし、きっと相性抜群だよね」


 その代わり独自の視点から判定を下しているが。


「やっぱり誕生日は知りたい。お祝いしたい」

「もう会うことないよ。必要なし」

「分かんないよ。一緒に過ごしたのが楽しくって楓くんが私に会いたい会いたい会いたーーいってなるかもしれないじゃん」

「絶対にない」

「未来は分かりませんので」

「確定してる。だって僕は――」


 ぐー

 絶妙なタイミングで隣から低い音が響く。


「まだ大丈夫」


 お腹を手でさすりながら、僕が聞きたかった質問の回答が来る。しかし回答は不明瞭だ。


「まだ大丈夫って何?」

「空腹は六分目くらい。まだ食べるには早い」


 空腹が一番の調味料だって言うでしょ、と力説している途中にもお腹は「ぐー」と音を立てて自己主張をする。


「また鳴ってるけど……」

「うう……まだ、まだ!」


 それから一時間彼女の腹鳴と共に終わりの見えない会話を聞き続け、複数の路線が乗り入れる駅で下車をした。最後に降りる駅の1回だけで切符の精算をしたいという宮崎蛍の謎のこだわりにより、構内で食事を済ませる必要がある。となると必然的にジャンクション駅で降りるのが最善の選択であった。


 帰宅時間のため相変わらず人は多いが、逆に平日であるためか構内の飲食店は人入りが落ち着いていた。

 彼女はどこにしようと得意の優柔不断を発揮した後、制服の学生でも入りやすそうな木目調インテリアのカフェへと入店した。待たされることなく席へ案内され、向かい合って正方形のテーブルへと着席する。

 メニューは1つしかなかったため、互いに見えるように横向きに置いた。何を食べるかと飲食店に来たらするありきたりな会話を乗り越え、僕はカレードリア、彼女はパイシチューを注文した。

 注文後に届けられたカラトリーにあったおしぼりで手を拭いてるときですら、彼女の口は止まらない。

 

「ねぇ。デザートは何が良いと思う? 当店限定ティラミスもいいよね。限定って惹かれるよね」

「食べ終わってから考えればいいじゃん」

「食べる前に考えるデザートが良いの。食べ終わったらお腹いっぱいで考えられないもん」

「結局は食べないってこと? なら考える必要ないんじゃ」

「今日は食べられるかもしれないじゃん。ワクワクするなら今からしておいた方がお得じゃない?」


 もし食べられなかったらそのワクワクが反転するんじゃないか、と考えが過ったが声に出すタイミングで食事が運ばれてきた。

 目の前では小さい皿の上に乗っけられたパイにスプーンを突っ込み、サクッと小気味いい音を鳴らす。中に入っていた茶色いビーフシチューを纏ったパイは食欲を誘うように白い湯気を立ち昇らせたまま腹ペコ女の口の中へと入っていく。


「ぅんまぁ~~!!」


 そして彼女は猫の鳴き声のような声を上げた。


「楓くんも食べる?」

「いや、いい。そんなに美味しいなら君だけで楽しんで」

「えー……。すっごく美味しいのに」


 口を尖らせて不満を零す。僕なんかがもらっても彼女の幸福を減らすだけだ。あと異性が口を付けた食べ物を食べることに抵抗もある。

 彼女の入る隙が無いようにテンポよく食べる手を動かすと何かに気づいたように彼女は「あ」と声を零す。


「左利き?」

「……ん、まぁ」


 僕にとって当たり前のことを指摘され、適当に返事を返す。


「へー。かっこいい、頭良さそう」

「…………」


 目を輝かせながら二連発の褒め言葉を投げかけられるがスルーした。ただ利き手が逆というだけで変に驚くやつがいる。彼女もそういうタイプの部類のようだ。


「楓くんって頭良い?」

「……普通」


 普通って何? とケラケラ笑う。右手に持ったスプーンで掬ったビーフシチューは、今か今かと食べられるのを待っているが、口は止まる気配がない。その時が来るのは遠そうだ。


「私ねー、結構良いんだよ」


 眉を下げ、口角を上げる。秘密の悪事を打ち明けるようなそんな表情だった。


「なんたって学年九十七位」

「…………」

「百位以内! 二桁だよ? 十一位の人と同じ桁数!」

「十一位から九十九位まで同率だと思ってる?」

「いやいやいや。さすがにそこまで図々しくないよ」


 彼女は胸を張って反応しづらい順位を発表した後、ずっと待機させていたビーフシチューを口へと入れた。

 学校の偏差値も生徒数も分からないから、どれくらい凄いのか計り知れないが、校内百位以内であるから頭が良いという発想からそこまで本気で勉学に取り組んでいるわけではないことを察した。


「三百人中の九十七位! すごくない?」

「うん、すごいんじゃない」


 しかし彼女が満足しているなら僕が口を出す必要はない。求められる感想に同調をする。


「だよねー。楓くんの学校は? 順位ってあった?」

「あったは……あったけど」

「けど?」

「普通だから」

「そっか、普通か」


 もう普通とは、と触れることはない。恐らく僕が躱すような態度を貫いているからだろう。自由気ままに話しているようで、意外と彼女は僕のことを見ている。だからこうして触れられたくないものを察すると、深入りをしないように話題を終わらせる。

 そしてやっぱり右利き用のハサミは使いにくいの? なんて本当にどうでも良い会話は移り変わる。さっきよりも会話のペースがゆっくりとなり、食事に集中できるようになった。会話ばかりしていたため、冷房にさらされた食事はすっかり冷えていた。

 カチャカチャとカラトリーが皿に当たる音と彼女の初夏のような声を数分響かせたところでお互いに完食した。

 結局、彼女の腹は満たされたようでデザートは注文できなかったが、セットでついてきた食後のキャラメルマキアートを飲み満足そうな顔をしていた。


「楓くんは高校生なのにブラックコーヒーなんて、ませませのませですね」

「……気に入ったの、それ」

「うん!」


 口の端に僅かに泡をつけながら目を細めて笑う。くだらない言い回しで楽しくなれるなんて幸せなやつだ。

 本人の名誉のために泡が付いていることを伝えると、慌てて丸く畳まれたおしぼりを開いて口元を拭った。すぐに拭き取れ指先で最終確認を終えると、おしぼりを長方形に折り、端からクルクルと丸めていく。

 元の形に戻し終わるが彼女は俯いたまま顔を上げない。重い話をし始めるかのように、小さく肩を下げ、そのまま口を開く。


「あのさ。さっきはごめん。私が自慢しちゃったみたいで」


 順位のことだろうか。全く自慢にも不快にも感じていなかったことで謝られる。

 話題の地雷を踏んだと思ったら強制終了をし、違う話題へと移行するだけで謝られたのは今回が初めてだった。そんなに気にする内容だっただろうか。僕は全然気にも留めていないのだが。


「でもさ何位だとしても、ちゃんと頑張ってると思う。それは誇った方がいいよ」

「…………」

「楓くんは楓くんなりに頑張ってると思うから。普通なことないと思う」

「…………」


 ビリビリに破られた紙が記憶が脳裏をかすめた。

 怒号に嘲笑。結果を出さなければ努力はしたことにならないと費やした時間さえもを否定された瞬間。


「な、なんか上からな言い方になっちゃった。そういう風に言いたかったわけじゃないんだけど」


 あの時に欲しかった言葉が彼女から発され、不覚にも気が緩んでしまった。だからだ。宮崎蛍の言葉に応えるように、封じ込めていた数字を口にした。


「……四位」

「え……?」

「順位……。桁数は一位と同じ」


 さっきのバカな理屈に乗ってみる。我ながらバカらしい。

 そんな僕の言葉に目の前に座る彼女は、フォームミルクの上にかけられたキャラメルソースと同じ色をした大きな瞳はより大きく見開かれている。


「大天才じゃん……!」


 自分より順位が高いじゃないかと拗ねることはなく、純粋に驚き、蛍は自分のことのように喜ぶ。

 悪い気はしなかった。

 

 一生喋れるというのは虚言ではなく事実で、最初の電車に乗ってから終着地に着く何時間もの間、宮崎蛍は口を動かすのをやめなかった。人と会話をせずに過ごしてきた僕にとって三年分の会話をした気がする。

 会話はどれもくだらないものばかりで、ほとんどは明日には忘れているだろう。そう、これだけ会話をしたのに不快にならない話運びだった。彼女はやっぱりすごく空気が読める人だ。

 

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