朱雪

第1話

 昔の人はきっと驚いただろう。

 そこに在る全ての人や物が、正確に平面としか思えない鏡に映し出されているのだから。まるで鏡を隔てた向こうにも同じ世界が広がっているのではないかと錯覚してしまうくらいには、信じていたかもしれない。

 科学が進歩した現代で鏡の向こうの世界とか真面目に話すのは幼子くらいだ。

「あぁっ? 鏡の向こうに広がる世界だと?」

 呆れ半分苛立ち半分といった声で返したのはこのサークルの『博士』もとい、宇津凍 晃太(うつしみ こうた)先輩だ。

 年代物の椅子に座った先輩は、かけていた眼鏡を外して目頭を押さえる。

「あのな〜、加賀見お前いくつだ?」

 かけ直した眼鏡の奥で、疑惑の念を含んだ目がこちらを睨んでくる。

「やだな、先月誕生日祝ってくれたじゃないっすか」

 しかし慣れてしまった僕は怖さを感じない。それどころか、こんな話を無視しないで聞いてくれた事が嬉しい。

「ああ、だが言わせたのはそっちだろ? 俺は童話サークルに入った覚えはない」

 先輩はぴしゃりと言い切ったが、これもこちらの予定通り。

 僕は隠し持っていた手鏡を先輩の目の前に突き付けてゆっくりと語り出す。

「でも誰も鏡の向こうの世界に行ったことないっすよね? それで否定とか、納得できないっす」

「……ッ、あぁー、喧しい! だったらお前は行った事あんのかよ!」

 怒りを露わにした先輩だが、頬に冷や汗が流れているのは見逃さない。

(脅かし過ぎたか……ま、いっか)

 先輩の目の前にある僕の手鏡と、同じく後ろの壁にかけておいた鏡がちょうど先輩の体を挟んで合わせ鏡となった。

「ありますよ。っつか、今からご案内します」

「はぁあ? 寝言に付き合」

「寝言じゃ、無いっすから」

 間髪入れずに言い返した僕に先輩が怯んだ瞬間、扉を開いた。

 直後には、部室から僕たちの姿が跡形もなく消えた。


「……とか何とか、いきなり連れて来られた時にはどうしようかと思ったがな」

 酒場で文句を言う博士、もとい先輩。この人、酒強くなかったもんな〜

「百聞は一見にしかず、って言うでしょ」

 先輩の前に座った僕は、ナッツを口に放り込む。

「それで俺にどうして欲しくて連れてきた?」

 結構日にちが過ぎた後にされた質問だったから、少し拍子抜けしてしまった。

「まずこの鏡の世界では元居た世界の一部が逆に作用します。性別、知能、味覚、得意や苦手なんかも含まれます」

「……お前の場合は性別だったと?」

「あ、これは元々っす。僕、こっち生まれなんで」

「……は?」

 先輩はフリーズしてしまった。

「おかしいっすよね〜、鏡の世界なんだからこんな事になる筈無いっす! なので、博士と呼ばれる先輩に来てもらった、と」

 僕の説明を果たして先輩が聞いているのか分からない。もしかして、知能が逆に作用したとか。それは困る!

「先輩、いいや、博士! 知能下がるならせめてこの世界を元に戻してからにして下さいっす!」

「そんな身勝手な頼み方があるかぁ!」

「ブハッ!」

 逆になったことで先輩の腕力が増したようです。

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朱雪 @sawaki_yuka

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