第四章 - 女神 -
「シュト」
女性の気配が消えてから、その直後。
茂みの中から、飛び出すようにしてタイカが現れた。
横たわるサイを一瞥しながらも、シュトに駆け寄る。
「大丈夫かい」
「うん、平気」
シュトは意識して強く返事をした。疲労感が酷い。意志を強く保たねば、へたり込みそうだった。
タイカが、ほっとしたように息をつく。
次いで膝をつき、サイを看る。首筋に指を当て口元に耳を近づける。
「鼻血以外に外傷はないようだけど」
「多分、サイも大丈夫」
脳に後遺症が残るようなことはないはずだ。エリキ・ドニアと名乗ったあの女性は、そこまで無体なことをしないだろう。そんな風に思ったところで、シュトは自身がエリキ・ドニアを信頼していることを不思議に思った。
タイカがサイを背負った。
「村へ戻ろう」
タイカが言い、シュトも頷いた。
道中、タイカがあの場所へ単身やって来た理由を尋ねた。
「恐ろしいほどに強い気配を感じたんだ。それで心配になって、皆をザナドゥに任せて私が先行した」
溜息をつきながら、タイカが言った。暗くて見えないが、息遣いや足取りの重さから、疲労の濃さを感じた。
申し訳ないと思いつつ、そこまで必死に戻って来てくれたことにシュトは喜びを感じてしまう。
「それで、何があったんだい。気配は消えてしまっていたけど」
「森で、不思議な女の人と遭った」
シュトは、エリキ・ドニアと名乗る女性のことを話した。
「エリキ・ドニア……」
「タイカ、聞いたことあるの?」
タイカの戸惑う様子に、シュトが尋ねる。
「いや、記憶にはある気がするんだ。珍しい韻だし。でもどこで知ったか」
言葉を止める。沈思しているようだ。サイを背負っていなければ指を顎に当てて考え込んでいたかもしれない。
珍しい、とシュトは思った。推論したりするならともかく、何かを思い出すよう為に考え込むなど、タイカは滅多にしない。
「私だって、すぐに思い出せないこと位あるよ」
じっと見つめてくるシュトに、タイカが苦笑した。
「例えば、役立てる用途が思いつかないような知識は覚える気にあまりならなくて。読んだり聞いたりしても、文字や話が頭に入らないというか」
そこまで言い、タイカがはっと顔を上げた。
「何か思い出した?」
シュトの問いに、タイカは首肯すると言葉を続けた。
「シュトは先生から、先生の祖先をあの湖の島へ導いたという女神の話は聞いたかい?」
シュトは頷いた。タイカが先生と言う老壮の男、カヌ・トゥが住まう湖上の遺跡。カヌ・トゥの祖先は滅びた王国の王族であったという。学究の徒であったその王族を、遺跡に導いたのが王国の守護女神だったと伝説にあるそうだ。
カヌ・トゥ自身は、その伝説の信憑性を疑っていたが。
「その女神の名前が、エリキ・ドニアなんだ」
「女神」
確かに、あの女性には神と言われたら信じてしまいそうな存在感があった。
ふと、シュトは疑問に思った。ヤムトも含めた三人での北方の旅。あの旅の先々で巨大な石造の遺跡を幾つも見つけた。中には、今の技術ではとても建てられない規模の遺跡もあったと思う。
そんな高い技術を持った王国がどうして滅びてしまったのだろうか。
「記録には残っていないんだよ。先生の祖先が離脱した頃はまだ王国が健在で、滅びたのはそれから何世代も後のことらしいからね」
シュトの疑問にタイカが答えた。
「伝説は色々あるよ。古代にはふたつあった月のひとつが王国の中枢に落ちたとか。疫病が蔓延したとか。内乱だとか。それに」
タイカが言葉を切る。何か悩むように眉を寄せていた。
「タイカ?」
「ああ、ごめん。他にはね。女神が王国を支配する王侯貴族の腐敗ぶりに怒り、彼らに呪いを掛けたという伝説もあるんだ」
「どんな呪い?」
「獣に変える呪い」
シュトの背筋が、少し冷えた。何故だ、とシュト自身が疑問に思った。何か、記憶に引っかかりを覚えた。
タイカも同じなのか。だから眉を寄せているのだろうか。
「狼の姿に変わった王族貴族は、まず支配していた民衆に襲い掛かったけど、返り討ちになった。森へ逃げ他の獣を食らおうとした。だけど狼の爪と牙を持っていても、その性根は惰弱で臆病。獣の野生と抵抗を恐れ、結局大森林の奥へと逃げ隠れてしまったという。そして、支配層を失った王国は崩壊した」
大森林の奥。野生の
シュトの中で、ある記憶が蘇った。
「タイカ、覚えていない?」
「何がだい?」
「《鉄の道》で出会った獣人たち」
大森林の北西。《鉄の道》と呼ばれる特異な領域の手前。
「そうか、それか。私は結びつかなった」
タイカも思い至ったらしい。同じような違和感を感じ、その正体が判明したせいか眉が晴れていた。
「参ったな。最も有り得そうにない、
タイカが首を振る。
「その宙を舞う魚を連れた女性が真に女神だとしたら、だけどね」
「それは。そうね」
シュトはエリキ・ドニアを直接目にしている。女神か、それに準ずる強大な存在であることは十分に感じ取った。しかし彼女に直接遭っていないタイカが疑うのは仕方ないことだ。
それに、例え女神ではないにしろ。
彼女の瞳の中に見た、深い哀しみの光は決して忘れることが出来ないだろう。
シュトは、そう思った。
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