第2話 三つまで、できれば一つ

 それで、ソロトランペット次席の藤井ふじい佳菜かなと雑談しているときにその愚痴を言うと、佳菜は

「一回の指摘は多くて三つまでに決まってるじゃん! 人間、一度にそんなに覚えきれるもんじゃないから」

と言って笑った。

 この藤井佳菜というトランペット次席は、この三月まで超ふまじめ部員だった。

 そもそも部活に来なかった。

 退部は時間の問題だと千鶴は思っていたのだが、それすら問題にならなかったらしい。

 なぜなら、トランペットパートでは「退部しても退部しなくても藤井佳菜が部活に来ないのは変わりないから、どっちでもいい」という扱いだったから、らしい。

 しかも、部費は払っていたので、さらに退部させる理由がない。

 ところが、この超怠け者部員が、四月になって二年生になったとたんに、変わった。

 自分では、この春、甲子園まで野球を見に行って、応援のトランペットのすごさに感動したからだ、と言っている。

 野球より、応援に感動したと言っている。

 ほんとうにそれが動機かは知らないが、四月からは、まじめに練習に来て、まじめにトランペットを吹く部員になった。

 しかもたぶんもともと基礎はできていたのだろう。上達も速かった。

 それで、二年生で、いきなりソロトランペットの次席だ。

 つまり、トランペット全体で、二番めという席次。

 フライングバーズは、いちおう「英国式ブラスバンド」にならった編成になっている。木管楽器やホルンがないかわりに、通常の管弦楽にはない「ホーンセクション」というパートがあり、トランペットパートも人数が多い。

 そのトランペットパートは、目立つ旋律を担当するソロトランペット部門と、伴奏を担当する伴奏トランペット部門に分かれている。席次順ではソロトランペットのほうが上だ。

 ソロトランペット部門と言っても、そのパートに入れば必ずソロが取れるわけではない。第三奏者、第四奏者となると、なかなかソロは取れない。

 しかし藤井佳菜はソロ部門の次席だ。ソロを取る機会もあるだろうし、首席がソロを吹くときにそのカウンターメロディーを吹いたり、オブリガートとよばれる装飾的な伴奏をつけたりする。

 藤井佳菜が二年生にしてそのソロトランペットの次席に決まったのには、トランペットの技術以外にもいろんな理由がある。

 それは知っているのだが、それでも、やっぱり、それだけの実力があったから決まった席次だ。

 もとさぼり部員、いまは実力派の次席。

 そういう子の意見は、聞くべきだろうと千鶴ちづるは思った。

 藤井佳菜は、「欠点の指摘は一回に三つまで」の話をしたあと、笑ってから

「できれば一回一つ」

とつけ加えた。

 その教えを守って、千鶴は、それ以来、毎回の直しを「三つまで、できれば一回一つ」におさえている。

 今日の「一回一つ」はどれだろう?

 「ただ、ここさ」

 千鶴はその赤字だらけのパート譜を末山すえやま朝実あさみのほうに向けた。

 朝実はその机のほうにちょっとだけ身を乗り出す。

 長いトロンボーンを持ったままなのでそんなに大きく動けないのだが、そもそもあんまり注目する気がないのはまるわかりだ。

 めげずに、指摘を続ける。

 「曲全体から言うと、息継ぎ、こっちなんだよね。トロンボーンのパートだけ見てると、いま朝実ちゃんの切ったところで息継ぎしたくなるのはわかるけどさ。でも、曲としてはこっちが切れ目だし、ここで息継ぎしちゃうと、次のフレーズの終わりのほうが苦しくなるよ。教室で吹いてるあいだはいいけど、実際にマーチングしながら吹くと最後で息が上がる」

 同じ赤ペンで書くとわからなくなるので、ピンクの蛍光ペンで正しい場所を丸く囲み、いま朝実が息継ぎしたところから矢印を書く。

 「はい」

 楽譜を見ていた朝実がまた上目づかいで千鶴を見る。

 ほかにも指摘したいところがあるのだけど、指摘する気が失せた。

 もう直す機会もないだろう。

 赤ペンではチェックを入れてある。指摘も書いてあるのだが、朝実に意味がわかるかどうか。

 いや、それどころか、どうせ最初から見ないに違いない。

 あまり仕上がっているとは言えない状態だけど、本番までこれで行くしかない。

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