千鶴とりゆ先輩

清瀬 六朗

トロンボーンの練習

第1話 赤くなっていくパート譜

 千鶴ちづるの手もとで、パート譜が赤ペンのチェック印とマルと線と文字で埋まっていく。

 漢字で書くと間に合わないので「おくれる」、「ちゅーと半ぱ」、「つよさそろえる」、「上にズレる」などと書いているのだけど、それを書くのも追いつかない。

 どうしてこんなにたくさんダメなところがあるのだろう?

 しかも本番前のこの時期に!

 千鶴がそう思ったのが伝わったのか。

 いや、それが伝わるような神経はもってないだろうけど。

 向かって左側の末山すえやま朝実あさみが、自信なさそうに音を中途半端に残して、吹くのをやめた。

 最初からそこまででいいと言ってある。だからはっきりそこで切ればいいのに。

 吹き終わって、朝実は、上目づかいで千鶴を見上げる。

 隣の倉科くらしな美友みゆうが、その朝実を横目で見た。

 美友も朝実も、一学年下の一年生なのに、千鶴よりずっと大人びた体型をしている。

 ベルを下に下げたトロンボーンを見ると、この子たちの健康そうではち切れそうな太ももが目に入る。

 朝実は生脚だが、美友はこの季節から黒タイツを穿いていた。

 目のやり場に困る。

 トロンボーンの練習教室として使っている普通科二階小会議室には廊下越しに斜めに夕日が射しこんでいる。

 「うん、よくなったね」

 朝実はほっと息をつく。頬の血色も少しよくなったみたいだ。

 そのことばを手もとの赤ペンだらけのパート譜が裏切っているのだが。

 でも、よくなったのはほんとうのことだ。

 ここまでが悪すぎただけ。

 このまま、いまパート譜にチェックした問題点を全部指摘すると、けっきょく朝実はどこを直していいかわからなくなり、どこもまったく直さないまま次の練習にやって来る。

 それで、毎回

「そこ、前に言ったよね?」

の繰り返しになり、それだけで雰囲気が悪くなる。

 夏休み前にそんなことが続いた。

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