誕生日プレゼント

maco

第1話:プレゼントに、驚かされた誕生日

 ベランダに、黒い一頭の“子牛”がいる。

 

 ン~モォ~。

 

 井口昇いぐちのぼるはしばらくの間、驚愕で口を開けたままだった。その黒い子牛が、こちらを見つめ返している。牛の首周りに、縄のロープが巻かれ、フェンスに縛り付けてあった。


「おはよう、昇、早いね」


 昇の母親、井口妙子いぐちたえこが、眠い目をこすりつつ、あくびしながら歩いてきた。ベランダの窓を開けて、外の空気を入れる。


「母さん、何、悠長なことを言っているんだよ」昇は言った。「ベランダで、小さな黒い牛が、縄に繋がれて立っているんだよ。何故、こんなことをしようと、思い立ったのさ⁉」


「今日は、昇の十四歳の誕生日よ」妙子は言った。「プレゼントは、この黒毛和牛なのよ」


 そこへ、昇の父親、井口世利いぐちせとしが、眠そうに頭を掻きつつ登場してきた。


「おはよう、昇、朝からテンション高いな」世利は言った。「出発の準備が済んだら、焼き肉店へ行くぞ。知り合いの農場から譲り受けてきたこの黒毛和牛を、一流のシェフに調理してもらって食べよう」


「昇、今日の昼食は、焼き肉のフルコースよ!」


「やったぁー、ありがとうって、そんな素直に喜べるわけがないよ、父さん、母さん!」


 頬が紅潮し出した一人息子は、世利の両肩を手で掴むと、前後へ揺すり始める。


「こら、昇、父さんの身体を、離しなさい!」


「少し前まで生きていた、新鮮な牛肉が食べられるなんて、夢のようだと思わないか? 滅多にない機会だぞ」世利は言った。「それに、この黒毛和牛は、常陸牛ひたちぎゅうと言って、食用牛の中でも高級品……」


「だからって、僕は、生きた子牛を焼き肉店に連れて行って、その肉を調理して食べさせられても、嬉しくなんかないよ⁉」


 やむなく、世利が、昇の煩わしい手を、振り払う。


「ともかく、朝昼兼用で、常陸牛の味を堪能しよう」世利は言った。「これから、焼き肉店へ、この子牛を連れて行くぞ」


「それまで、昇は、この黒毛和牛に名前を付けて、待っていなさい」妙子は言った。「後で、出発の支度が出来たら呼ぶわ」


「この子牛に名前なんか付けたら、愛着が湧いてきて、余計に食べられなくなるんじゃないか?」


「いいから、昇は余計なことを考えるな」世利は言った。「今日は、昇の大切な誕生日だ。お前には、この常陸牛へ名前を付ける権利がある」


「ちなみに、その子牛は、メスよ」妙子は言った。「よく似合う名前を思いついてね」


 世利は、出発の準備を始めながら、妙子にたずねた。


「せっかくの嬉しい機会のはずなのに、何故、昇は喜んでくれないんだ……」


「あの子牛が食用肉になってしまうところが想像できて、可哀そうなんでしょう?」


「妙子、日頃から俺たちが食べている焼き肉と、何も変わらないぞ」世利は言った。「わざわざこの日のために、あの子牛をマンションまで、連れてきたんだ。けれど、肝心の昇が、この話に乗ってくれなきゃ、俺たちが苦労した甲斐がないじゃないか」


「確かに、もっと昇は、素直に喜べばいいのにね」妙子は言った。「いずれ、私たちの気持ちは、分かってもらえるでしょう」


 一方、ベランダに取り残された昇は、黒毛和牛と視線を合わせる。


「子牛のつぶらな瞳が、可愛いな」昇は言った。「メスの牛に着ける名前は、なんだろうか……そうだ、牛子ぎゅうこって名付けよう」


 この子牛に名前を付けることで、愛着が湧いてきた。


「よろしく、牛子」


 ン~モォ~ゥ。


 牛子と名付けられた黒毛和牛が、昇と視線を合わせてそう唸った。 

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