第17話 幽霊の噂

 騎士団が町を去ってから一週間の時が過ぎた。町は騎士達の歓迎ムードからすっかりいつもの雰囲気へと戻っていき、人々は普段通りの生活へと戻っていった。ある日、ルクスはベッラから偶には外で昼食を食べて来れば良いと言われ、言われるがままカリダの店で昼食を摂る事にした。店に着くと、珍しく客が少ないからかカリダ自身が彼を出迎え、席へと案内した。そうして彼女に勧められるがまま、店の名物クラスの人気となったきのこのパスタを一人前注文して、料理の到着を待っていた。

(それにしても、きのこと山菜がたっぷり入ったあのパスタ、美味しいのは良いんだけどここまで人気に火が着くとは思わなかったなあ。あの時は僕が代理で行っていたけれど、あの後もずっとメニューにあるという事は、材料の調達はやっぱりフロースとケルサさんが担当しているのだろうか。まとまった量を持ってこないと暫くもたないから大変だよなあ)

 その場に姿が無いフロースとケルサに心からの感謝と労いをしつつ、ルクスはぼーっと店の天井を眺めながら待っていた。すると、彼の近くに座っていた三人組の男性客が何か話をしているのが耳に入った。

「なあ。昨日の夜、何か無かったか?」

 その中の男の一人が、真剣な顔で他の二人に訊く。

「どういう意味だよ?」

 他の二人ははてなと疑問を浮かべていた。

「昨日の夜、おかしな事は無かったかって訊いているんだよ」

 要領を得ない二人に対し、男は若干苛立ちながら尋ねる。

「おかしな事って言ってもな。昨日はいつもと変わらない静かな夜だったしなあ」

「そう言うお前はどうなんだよ。何かあったのか?」

 そう訊かれると、男は俯いた。その顔は何か悪い事があったのを暗に示すかのように、青ざめていた。

「実は昨日、見たんだよ」

「見たって何を?」

 男は一拍置くと、覚悟を決めたかのように目を鋭くさせて口を開いた。

「……幽霊だよ」

「ゆ、幽霊?」

「ああ、そうさ」

 男は重い声色で、必死に言葉を紡ぐ。その声は恐怖心からか少し震えていた。よく見ると男は血色が悪いだけでは無く、目元には隈が出来ている。どうやら昨日はよく眠れなかった様だ。

「昨日の夜、家の窓から何か白い塊のような物が宙を舞って町を徘徊しているのを見たんだ。それにひらひらと端の方が揺らめいていた。暗がりでよくは見えなかったが、あんな物は見たことが無い。幽霊というものがあるのだとしたらあんな感じだろう」

「夢だとか見間違いじゃないのか?」

 他の男の質問に、男は首を横に振った。

「俺は確かにこの目で見たんだ。あの時は寝る前だったし、あれから寝てないんだ。夢なんかじゃねえよ」

 他の二人は顔を合わせた。二人共が俄かには信じられないと言いたげな顔をしていた。

「そうは言ってもな、今まで幽霊が出たなんて話は聞かなかったしなあ」

「本当なんだって、信じてくれよ!」

 男が必死に訴えるも、他の二人は首を傾げるばかりだった。その様子を見ていたルクスは、興味深そうに頷いていた。何故なら、彼がこのような話を聞いたのは初めてでは無かったからだ。彼は此処に食事に来る前に、同様の話を他の人から二回も聞いていたのだった。それだけで、彼の中で話の信憑性は高まっていた。

「はい、お待たせ。きのこのパスタよ」

 そこに、カリダが料理を運んできた。

「あ、ちょっと待って」

 カリダが料理をテーブルに置き、去ろうとしたところをルクスが呼び止めた。カリダは声を掛けられるとルクスの方に振り向く。

「何かしら?」

「カリダさんは最近、幽霊について何か聞いていませんか?」

 気になってルクスが問うと、カリダは指を頬に当てて考える素振りを見せた。

「そうねえ。最近はそんな話ばかりが舞い込んでくるわ。常連さん達の間でもその噂で持ち切りよ。夜中に幽霊が出たって。もう少し明るい話をして欲しいのだけれどね」

 カリダはため息混じりに言った。どうやら、ルクスが耳にした以上に幽霊話は出回っている様だ。

「どんな幽霊が出たのか、聞いていませんか?」

 ルクスが訊くと、カリダは少し驚いた様子を見せた。

「あら、ルクス君も幽霊の話に興味があるの?」

「ええ、まあ」

 ルクスは言葉を濁した。

「そうね、私が聞いた話だと、お客さんが見たのはどれも白っぽい幽霊ね。何だかふわふわと宙に浮いていて、揺らめきながら町の中を移動していたらしいわ。後は、身体がぼんやりと光っていた時もあったみたいね」

「ぼんやりと光っていた、ですか」

 カリダの証言を、ルクスはメモを取りながら聞いていた。

「私が聞いているのはこれくらいかしら」

「分かりました、ありがとうございます」

「どういたしまして。冷めない内に食べてね」

 カリダはルクスに一度微笑むと、キッチンの方へと戻って行った。

「幽霊、か……」

 ルクスは考えようとしたが、折角の料理を冷ます訳にもいかないので一旦忘れて食事を摂る事を優先した。




 騎士団がいた頃に起きた盗難事件を調べる過程で聞き込みをしていた名残で、ルクスは人から話を聞くのに抵抗が無くなっていた。そのため、今回の幽霊騒動についても町の人々から幾つか証言を得ていた。しかし、カリダから教えられた事以上の事は出てこなかった。町のあちこちを歩いて回り、酷く疲れたので彼は屋敷に帰る事にした。屋敷に戻ると、同居人の少女が彼の顔を見るなりため息を吐いた。

「貴方はどうやらまた何か厄介事に首を突っ込もうとしているみたいね」

「僕ってそんなに顔に出やすいかな?」

 首を傾げるルクスに、ベッラは答えない代わりにクスクスと笑みを溢した。

「それで、今回はどんな事があったのかしら?」

 含みのある笑みを浮かべながら、ベッラは尋ねる。

「実は、最近夜の町中に幽霊が出没しているみたいなんだ」

「ふーん、幽霊ね」

 ベッラは素っ気ない態度で相槌を打った。

「あれ、何だか妙に冷めた反応じゃないか」

 ルクスは思わず口にした。

「ええ、まあ。一応訊いておくけれど、どんな幽霊が出たと言うのかしら?」

 ベッラはソファに横になり、自分の指の爪を見つめながら訊く。それだけでルクスが持ってきた話題にはさして興味が無いように思えた。ルクスはその態度に思う所はあったが、一々指摘してもキリがないので放っておいて話を進める事にした。

「目撃されたのは白っぽいふわふわした幽霊で、宙をふわりと浮かんでいる様なんだ。それを見た人達の話によると、身体の中心が光っている様にも見えたそうだよ。最初は何かの見間違いかなと思っていたんだけれど、そういう話ばかりが出回っているからあながち嘘という訳では無いと思う」

「そう。ところでそれを見た人達は、普通の人達なのかしら?」

 少女の質問に、青年は少し考えた。

「え、うーん。僕らの様に魔術師でも死人でもないという点からすれば、至って普通の人達ではあるかな」

 少女は退屈そうにため息を吐いた。

「そう、それならすぐに解決できそうね」

「え、そうなのかい!?」

「ええ。だって、今回に限って言えば幽霊の仕業では無いと思うから」

「どうしてそう思うの?」

「普通の人間には、そもそも幽霊の姿は見えないもの」

「え、そうなの?」

 ルクスが目を丸くした。

「でも、こうやって沢山の人がそれを見ているんだよ。幽霊じゃなかったとしたら、それは一体……?」

「それも今夜になれば分かるわ」

 ベッラは不敵な笑みを浮かべながら、テーブルの上に置いてあったティーカップを手に取り、口元に運んだ。

「今夜?」

「幽霊らしき物はここ数日の間ずっと夜間に出没しているのでしょう?それなら、今日も現れると考えるのが自然じゃない?」

「そうか。じゃあ町の人達に今夜は警戒するように伝えないと」

「やめておいた方がいいわ」

 と、急いで出て行こうとするルクスをベッラは呼び止めた。

「どうしてさ?」

「貴方はどうして幽霊もどきが現れるようになったと思う?」

「え、それは……」

 少女の問いに、ルクスは少し考えた。

「人を驚かせたいから?」

「だとしたらわざわざ夜中に現れる必要が無いでしょう。きっと、その幽霊にも何かしらの事情があるのよ。そうする理由が。そうしなければならなかった理由がね」

「理由、か……」

「ええ、だから今夜、私達の目で確かめましょう」

「え」

 ルクスは少女の言葉に少し驚きを見せた。

「君も今夜付き合ってくれるのかい?」

「ええ。私にも思う所があるのよ」

「そうか、分かったよ。よろしくね」

 少女は青年の言葉に微笑みで返すと、テーブルに置いてあったティーカップに手を伸ばし、口元に運んだ。

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