第8話 ケルサの招待
少女が畑に恵みの雨を降らせてから二週間が過ぎた。それから彼女はしばしば畑に通い、その時と同じように雨を降らせた。そのお陰でケルサの畑の作物は成長していき、収穫する目途が付いていた。その日も、少女と青年は畑に顔を出していた。
「こんにちは。調子はどうかしら?」
少女が農作業をしていたケルサに話し掛けると、ケルサは嬉しそうに彼女の方を向いた。
「おう、ベッラか。お前さんのお陰で順調さ。ありがとよ」
「礼には及ばないわ。私は力仕事がからっきしだから、これくらいの事しか出来ないもの」
「滅多な事を言うんじゃねえよ。お前さんはあんなに凄い魔術を使えるんだ。それは胸を張って良い事だと思うぜ。俺が言うんだから間違いねえよ」
「そう、それはどうも」
少女は照れくさそうに下を向いた。
「そうだお前さん達。今日の夜、俺の家に来てくれねえか?」
「はい?」
突然の事に、少女と青年は目を点にした。
「ケルサさん、それはどういう?」
「まあ、今日来てみれば分かるよ」
一方、当の招いた側はケタケタと微笑みながら農作業を続けた。
「ここだよな、ケルサさんの家は」
ルクスはベッラを連れてケルサの家にやって来た。とは言っても、最初から乗り気だった訳では無く、特にベッラに関しては屋敷を出る直前まで、行きたくないと駄々をこねていたのだった。
ケルサの家は、町の中でも人通りが少ない裏路地のような場所にあった。ルクスは最初にカリダの店のような外観を想像していたが、それは見当違いだった。外壁と入口のドアは木の板を張り合わせて出来ているため規則的な木目があり、柱に当たる部分はレンガで出来ていた。それは断熱という機能性のみならずデザイン性も兼ね備えている様だった。カリダの店に比べて華やかさは無いものの、その外観は温もりを感じさせていた。
「まあ、ここまで来たのなら仕方が無いわね。私も覚悟を決めるわ」
「一体何をされると思っているんだよ」
ルクスはため息を吐く。そういう彼自身も、ケルサがどういう目的で自分達を招待したのか見当がついていなかった。
「じゃあ入るよ」
「い、いつでも良いわよ」
落ち着いているルクスに対して、ベッラは明らかに緊張し過ぎていた。彼女は意識していなかっただろうが、ルクスの服の袖をぎゅっと掴んでいたのがその証拠だ。ルクスはそれを気にも留めず、ドアを三回ノックする。
「はいー」
すると、中から野太い男の声が答えた。それは紛れもなくケルサの声だった。ドアが開かれ、件の大男が家の中から顔を出す。
「おう来たか二人共!さあほら入れ入れ」
ケルサは二人の姿を見ると、心底嬉しそうに手招く。その手に誘われて二人が中に入ると玄関から直結の、木で囲われた暖かみのある一部屋が彼らを迎えた。二人は、住んでいる屋敷以外の家に入る事は滅多に無いため部屋の中をつい見回してしまう。
「こんばんはルクス君、ベッラちゃん」
「二人共、いらっしゃーい」
と、台所らしき所からカリダとフロースが何やら食器をその手に持ちながら部屋に入って来た。よく見ると、部屋の中央にある木目調の大きな丸テーブルには、所狭しとあらゆる料理が並べられている。親子は運んできた料理をそこに加える。
「さあ座った座った」
ケルサはルクスとベッラの背中を軽く押して、椅子に案内する。二人は言われるままに席に座る。
「あの、ケルサさん。これは一体……?」
状況が全く掴めず、ルクスは疑問を口にする。それに対し、ケルサは腕組みをする。
「なあに、この間の礼だよ。今日は家内と娘にこれでもかってくらいの御馳走を用意してもらった。たんと食ってくれよ」
そう言うと、ケルサは高らかに笑った。豪快な笑い声が家中に響き渡る。
「そんな、悪いですよ。ベッラはともかく、僕なんて結局何も出来なかったんですから」
「あら、そんな事は無いでしょう?」
席を立とうとするルクスを、カリダは彼の後ろに回り込んで肩を下げて再び座らせる。
「雨の代わりに水を撒いた時にルクス君は十分よくやってくれているってこの人もいつも言っていたのよ。その前は熊に襲われそうになったフロースを守ってくれたじゃない。ルクス君はまたそんな事は無いって言うかもしれないけれど、貴方は頑張っているのよ。だからこそ、私達はお礼をしたいの」
カリダはそう言いながら、ルクスを宥めるかのように彼の頭をそっと撫でる。
「あなたもよ、ベッラ」
いつの間にかベッラの背後に回っていたフロースが、彼女の耳元で囁く。ベッラはビクッと肩を震わせた。
「あなたが魔術を使えるって知った時、最初はただただ凄いと思ったわ。けれど、その後思ったの。あなたがそれを人に言わないのは、何かを抱えているからなんじゃないかって。あなたが人を避けるのはそういう事なのかなって」
フロースはベッラの艶のある髪を撫でながら続ける。
「でも安心して。あなたは一人じゃない。すぐ傍にはいつもルクス君が居て、今は私達も居るわ。お母さんは、町の人達は家族だって言うけれど、前の私はそれがいまいちよく分からなかった。だけど、この前の一件で分かった気がするの。誰もが出来る事と出来ない事があって、人と人はそれを補い合って、助け合って生きていく。そういう事なんだって。だから、あなたも何か困った事があったら気軽に私達に言って欲しい。あなたは恥ずかしがり屋だから進んで言わないかもしれないけれど、その傍には拠り所があるって覚えていて欲しいの」
「……そう」
フロースの言葉に、ベッラは端的に答えた。それは答えになっていなかったのかもしれない。しかし、それは彼女に出来る最大限の勇気だった。彼女はルクスと同じく、頬を赤くした。
「さあ、皆で食べましょう」
カリダが手を叩くと、それを合図に皆が自分の椅子に着席した。そうして食卓を囲むと、雑談をしながらそれぞれ思い思いの料理を手に取る。
ルクスは、個別の椀に入ったスープを口にした。次に、山盛りになった揚げ物を幾つか菜箸で取り、その手前にあったサラダにも手を付けた。食卓に並べられた料理には共通して、ケルサの畑で採れた野菜やフロースが山から採って来た山菜やきのこが使われていた。どの料理も、主にカリダが作っているのもあり、店で出していてもおかしくないくらいに美味だった。この様なものは普段家で食べられない、とルクスが思っていると、隣に座っていたベッラと目が合った。どうやら、彼女も彼と同じような事を思っている様だった。二人は互いに自然と口元を緩ませていた。
と、そこで青年に異変が起きた。以前にもあったように、生前の自分の記憶が呼び起こされたのだ。ただし、今回においては眩暈などの前兆が無かった。
そこは、誰かの家だった。恐らく、目の前に居る親子と思われる女性と少女の物だろう。少女の方は、顔は見えなかったものの以前にも見た少女であろう事が青年には見て取れた。彼女の背丈を見るに、それはまだ彼らが十歳にも満たないくらいの記憶の様だった。
『ほら、ルクスも早く食べなさい。冷めちゃうわよ』
長いテーブルを挟んで彼の目の前に座る少女は、表情が見えずとも少年に対して笑顔を向けているのが伝わってきた。少女は立ち上がろうとしたところを、大人の女性に止められる。
『そう言う○○○も、私の手伝いはいいからルクス君と食べていなさいな』
彼女の母親らしきその女性は、少女の肩を触りながら、手に持っていた皿をテーブルに乗せる。それには、トマトソースと和えられたショートパスタが乗せてあった。そこで彼は気が付いた。その女性は妙に痩せ細っていて、元々雪のような白い肌はより不健康な白さを増していたという事を。
『わあ、これ私の大好物じゃない!お母さんありがとう!』
『喜んでもらえて何よりだわ。ほら、ルクス君も遠慮しないで沢山食べてね』
そう言いながら、少女の母親は少年に対して優しく微笑んだ。儚さと温もりが入り混じるその表情に、少年には何処か見覚えがあるような気がした。
そこで青年ははっと我に返った。
「あらベッラちゃん、どうしたの?」
と、カリダが言った。その言葉で一同がベッラの方を見る。よく見ると、彼女はその目に涙を浮かべていた。
「あら、ごめんなさい。私……」
ベッラは指で目をなぞる様にして涙を拭いながら、少し掠れた声で言葉を紡ぐ。
「私、こういうのは久し振りで……。どうしていたら良いか分からないの」
彼女の隣で、ルクスはその様子をじっと見つめていた。思い返せば、彼の知る彼女は孤独であった。常に人と関わる事は無く、自分から人が居る場所には決して行かない。そんな彼女は、これまでどのような心境で過ごしてきたのだろうか。彼が出掛けている間、仕事に出ている間に何をしていたのだろう?何を思っていただろう?それは彼が知る由も無かった。一人で居る事に慣れていたのなら、きっとこんな風に泣くなんて事は無いはずだ。あるいは、生前の彼であれば何か知っていたのだろうか。今の彼がそんな事を考えても仕方のない事なのかもしれないが、彼はそれを思わずにはいられなかった。
そんな彼の代わりに、カリダがベッラの傍に行き、頭を撫でる。
「そっか。今までずっと、大変な思いをしてきたのでしょうね。でも大丈夫よ。寂しくなったら、いつでも来て良いのよ」
恐らくフロースは母親に似たのだろう、とベッラは思った。優しくて温かい、自然と心を預けてしまいたくなるその包容力に、彼女は身を委ねたくなる。気が付くと、彼女はカリダの胸にもたれ掛かっていた。カリダはそんな彼女の頭を再びそっと撫でた。それはまるで本物の親子のようなやり取りだった。
「あ、ねえ外を見て」
フロースが言うと、ルクスは窓の外へと視線を向ける。見ると、いつの間にか空には雲が敷き詰められ、雪が降っていた。それらは窓に当たると、部屋の温度ですぐ水滴に変わっていった。
その後、時にしみじみとし、時に談笑しながら進んだ食事会は本格的に雪が降る前に終わりを迎えた。
「じゃあ二人共、気を付けて帰れよ」
ケルサがドアを開け、ルクスとベッラは外に出る。外に出ると、冬の寒々とした空気が肌を刺激した。
「はい、ありがとうございます」
「またいつでもいらっしゃい」
カリダが二人に向けて言うと、ベッラは照れくさそうに俯きつつもゆっくりと頷いた。ルクスがやれやれと息を吐く。
「あ、そうだ忘れちゃいけねえ!」
と、ケルサは何か思い出した様で家の中に入ると、片手に何かを持って戻って来た。
「ほれ、これを持って行きな」
ケルサは、持っていた物をルクスの掌に乗せる。それは、革の袋だった。
「何ですか、これ?」
「それはな、この間のお礼だ」
何かと思い袋の中を覗くと、中には銀貨が入っていた。
「皆でかき集めたんだ。ざっと三十枚はあるかな」
「さ、さんじゅっ!?」
ルクスは見た事も無い金額を言われ、動揺した。
「そんな、悪いですよ。ご馳走になった上にこんな量の銀貨を貰うだなんて……」
「いいや、黙って受け取ってくれ。それを含めて俺達の礼なんだ」
「でも……」
申し訳なさそうにするルクスに対し、ケルサは例え返されても応じない事を誇示するかのように腕組みをした。
「ルクス、お前はこれっぽっちも思っちゃいねえだろうがな、お前らはそれくらい立派な事をしたんだ。胸を張って貰っておけばいいんだよ。それに、これは大人としての筋なんだ。俺の役目を果たさせてくれよ」
「……分かりました。ありがとうございます」
ルクスは一度、深々と頭を下げた。
「それでは」
ケルサ一家に見送られ、二人は歩き始める。町中の家々の明かりがあるとはいえ、帰り道は彼らの十数メートル先が見えないくらいに暗かった。
「カリダさんとフロースが作ってくれた料理、美味しかったね」
暫く歩くと、青年が沈黙を破った。
「ええ、とても。流石はお店を持っているだけの事はあるわね」
「……いや、きっとそれだけじゃないと思うんだ」
青年は少女の方を見る。一方、それと同時に少女も彼の方を見ていた。二人は目が合ったのが少し気まずくなり、互いに視線を外した。
「ほら、やっぱり皆で食べた方が美味しく感じるんだよ、きっと」
「……そうね。いつもは屋敷に二人だけだから、今日はなんだか特別な感じだったわ」
珍しく、少女は素直な気持ちを吐露する。
「まあでも、少し騒がしかったかしら。騒がしいのは苦手だわ」
そう言う少女だったが、その顔は何処か嬉しそうだった。
「君みたいな子は賑やかなくらいが丁度いいんだよ」
「失礼ね。まるで普段の私が根暗な性格みたいな言い草じゃない」
「あれ、違ったの?」
青年がきょとんとした表情で訊くと、少女はムスッと頬を膨らませる。
「せめてお
「淑女と言うには、少しツンツンし過ぎな気がするな」
「何ですって?」
「おお、怖い怖い。淑女はそんな顔で人を睨みつけないでしょ」
そんないつもと変わらない会話を続ける二人は、気が付けば屋敷まであと半分くらいの地点まで歩いていた。
「ねえ、私の事が信じられない?」
「え?」
少女が投げかけた唐突な言葉に、青年は困惑した。
「貴方、私が処刑されるとばかり思っていたでしょう?つまり、私がそんな事をしていると思うのかしら?」
「いやいや、それは……」
青年は普段と同じように軽く流そうとしたが、少女の顔を見てそれを改める。彼を真っ直ぐに見つめるその視線とキリっとした表情は、真剣そのものだった。
「……そんな事は無いよ。君が僕の事を蘇らせてくれたのだって、悪意があってした事じゃない事くらい分かってる。前に君は僕の死に関りがあると言っただろう?でも、それは何か訳があるんじゃないかって思うんだ」
少女に対して、青年は神妙な面持ちで見つめ返す。少女が思わず下を向くと、青年は両手で彼女の手をそっと握った。
「大丈夫。君が悪い奴だなんてこれっぽっちも思っちゃいないさ。ただ、心配なんだ。黒魔術師というだけで腫れ物みたいに扱われるなんて、僕ならきっと耐えられない。君は僕が知らないだけで、きっと辛い思いを散々してきたんだろう。黒魔術師が嫌われているこの世界は、君にはどうにも生き辛過ぎる。だから、僕は君の力になりたいんだ」
「そう……」
少女は、青年の手をじっと見つめる。彼の手はひんやりとしていたが、彼女は不思議と温もりを感じていた。
「ううん、僕だけじゃない。今日のカリダさんやフロースだって、そう思っているはずだ。今日のあの言葉は、きっと裏表の無い、純粋な優しさだよ」
「でも私、自分の事を曝け出すなんて……」
少女は視線を更に下に向ける。
「大丈夫」
すると、青年はその手をぎゅっとした。
「確かに君は、全然素直じゃない。時には人に高慢な態度で接するし、トゲのある言葉を放つし、可愛げのない事だって稀じゃない」
「あ、貴方ね!」
「だけど」
青年は立ち止まり、今度こそ、少女の目をじっと見つめる。
「それで良いんだ。そういう所も踏まえて、君の素の自分なんだから。今は少し恥ずかしいかもしれないけれど、今日みたいに少しずつ君の内面を、本当の自分を見せていけば良いんだよ」
少女は俯き、その場に立ち尽くした。その顔は青年には見えなかったため、どんな表情を浮かべているのかは分からなかった。
「まあ、偉そうに言う僕も、本当の自分なんて分からないんだけれどね」
青年は苦笑し、頭を掻きながら言った。その直後、少女は青年の服の袖をぎゅっと掴み、口を開く。
「……るんでしょ」
「え?」
「そこには、貴方も居るんでしょうね?」
顔を上げた少女は今にも零れ落ちそうな量の涙をその目に湛えながら、静かに笑みを浮かべていた。
「もちろん、僕はずっとここに居るよ」
それに対し、青年もはにかんで答えた。
二人はそうして、手を繋ぎながら夜の山道を登っていく。町中と異なり山の方の空はもう雪が止んでいて、雲間から月の明かりが差し込んで、二人の歩く道を照らしていたのだった。
その晩、少女は夢を見た。それは彼女が幼い頃に生きていた母親や、彼女と親しくしていた友人と楽しく一つの食卓を囲んでいるという内容だった。しかし、夢の途中で二人が急に姿を消してしまい、視界が暗闇に包まれた。そこで目を覚ました少女は、ベッドから跳び起きた。気が付くと、彼女は嫌な汗を掻いていた。額に滲む汗を手で拭うと、少女は寝室から廊下に出た。そして、一緒に暮らす青年の元へと歩いて行った。
「……」
青年はベッドの代わりにソファで横になり、ぐっすりと眠っていた。寝息の音が少女の耳元にまで届いていた。少女は青年の寝顔を覗き込むと、安心したかのように息を吐いた。
「貴方は、もう居なくなったりしないわよね」
静寂の中、少女はそう呟くように言うと、自室の方へと戻って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます