第2話 薪割りをする青年
ここ、アングストゥム王国は農業の発展とともに国民によって支えられてきた慎ましやかな国である。かつてはある一つの大国だったが、およそ三十年前に内戦によって独立したという一面もあり、その当時に富を築き上げていた貴族の一部は経済的に破綻し、後に姿を消した者も少なくない。そのため、国内にはもう使われていない古城や屋敷が点在しているのである。以前は国民から、国がそれらを管理するべきだという声が上がっていたが、維持費や人件費などコスト的な問題が重なり、現在は放置されている。
ベッラとルクスが入り込んだ屋敷も、貴族が手放したものの一つだった。あれから屋敷の中を見て回った二人は、ある違和感に気付く。少なく見積もっても十数年は使われていないのにも関わらず、各部屋が綺麗なのだ。不思議に思ったルクスが後で町人に確認をした所、定期的に屋敷を訪れては掃除をして帰る殊勝な者がいるとのことだった。ルクスはそれが分かると早速、勝手に屋敷に上がり込んだ事を謝りに行った。すると怒られるどころか、使ってくれる人がいて有難いとむしろ感謝されてしまった。始めは困惑したものの勝手に使って他の誰に文句を言われるという訳でもないので、二人は気ままに屋敷を使わせてもらう事にした。そして、それから約三ヶ月の月日が経った頃だった。
「ねぇ、暖炉に使う薪が足りなくなったの。貴方、作ってきてくれるかしら?」
唐突にベッラがそんな事を言った。
「え、何で僕が?」
「貴方ね、こんなに寒い中で火に当たらずにいたら風邪を引いてしまうと思わない?」
ベッラは何を当たり前の事を言っているのか、と言わんばかりにため息混じりに言った。ここは国内でも北西に位置する場所で、周りは高い山で囲まれているため、季節によって寒暖差が激しくなる。熱しやすく冷めやすい、鉄のような立地だと住民達に言われるくらいだ。それに加え、二人が暮らす屋敷は山奥にある。町の方と比べて気温の変化を直に受けやすいため、ベッラが過敏に寒さに反応するのは当然の事だった。
「だから、どうして僕がって聞いているんだよ」
「貴方はまた息が出来て嬉しくは無いの?」
ベッラは再びトゲのある言い回しで返した。
「……わかったよ、やるよ」
「それでいいのよ」
ルクスの方が折れることになった。彼はベッラを一瞥すると、屋敷から外に出た。ルクスはその手に剣と斧を携え、屋敷の裏側の方へと歩いて行く。
事実として、一度死んだ人間が再び動く事なんて普通ならあり得ない奇跡だ。それが願ってもいない幸福だという事は、ルクスには分かっていた。ゆえに、ベッラには大きな借りがあるという事も。しかし、
「何か釈然としないんだよなあ」
ルクスは首を傾げる。息を吹き返した翌日から皿洗いやら食料の買い出しやら、果ては洗濯まで、ベッラはルクスに身の回りの世話を任せていた。それは
本来であれば、自分の事を生き返らせてくれた人は神にも近い存在に見えるだろう。その人のためであれば進んで何かをしてあげたいという、ある種の信仰に近い感情を抱く者もいるかもしれない。ただそれは、その恩人が人格も素晴らしい聖人君子である場合に限る話である。
「あれは聖女なんかじゃない。魔女だ」
ルクスはそんな悪態を吐きながらも、かの恩人の為に歩を進める。そうして着いた所には、冬の寒さにも負けない力強さを感じさせる緑色の針葉樹が何本も生えていた。それらをまるで寄せ付けないかのようにして、その一帯の中心には切り株が一つと、それを囲む形で砂利が敷き詰められたスペースがあった。そこは、かつて屋敷で暮らしていた住民が薪割りをするために用意したとしか考えられない場所だった。傍らには、あらゆる太さの薪がいくつも積まれている石の台があった。それを見たルクスはため息を吐きながらも、先人たちに倣って自分の役目を果たすことにした。
「さて、始めますか」
意気込むついでに呟いたルクスは右手に斧を持ち、石の台から薪を一本取っては切り株の上に立て、構えた斧を振り下ろす。すると薪は二つに割れ、それぞれ左右に倒れた。ルクスはそれらを左手で持ち、断面を見る。
「……やっぱり、イマイチだな」
薪の断面は一直線に切れているが、斜めになっていて歪な印象を抱かせていた。ルクスはこの三ヶ月の間に斧を手にする機会があったものの、上手く扱えずにいた。
「試しに、こっちでやってみるか」
と、ルクスが手に取ったのは、一本の剣だった。彼は再び薪を取り切り株の上に立てると、両の手で持った剣を上げ、勢いよく振り下ろした。今度こそ、スパアアアンと気持ちの良い音と共に薪は真っ二つに割れた。割れた薪を手に取り、断面を確認すると、ルクスは満足げな表情を浮かべた。
「やっぱりこっちの方が使いやすいな」
本調子になったルクスは、それから立て続けに薪を割り続けた。八本程割った時、元々太さがあったためかまだ暖炉で使うには至らないと感じてさらに二つに割り、ついでに長さを調節することにもした。
「剣だとこういうこともできるから良いよな」
全ての薪を手頃な大きさにした後、ルクスは一仕事を終えた達成感を感じ、額の汗を拭った。
「もしかしたら、僕にはこれが向いているのかもしれないな」
ルクスは
「……!」
ルクスは唐突に眩暈に襲われた。視界が歪み、まともに立っていられなくなり、剣を地面に突き刺し、杖代わりにして身体を支える。同時に、ルクスの頭の中で何かがフラッシュバックした。
ルクスの脳裏に映し出されたのは、森の中で藁と縄で作られた人形のようなものが立っている光景だった。
『はあっ!』
掛け声と共に、藁人形に向かって剣を振り
『精が出るな、ルクス』
声がした方向に振り向くと、そこには妙に瘦せこけた男が腕組みをして立っていた。
『あ、父さん。うん、父さんに少しでも近づくためにがんばらないとね』
『はは、もう私は騎士を引退したんだぞ。そんな男に近づくも何もないだろう』
苦笑する父(?)に対して、ルクスは首を横に振る。視界が揺れる。
『そんな事ないよ。父さんは立派な騎士だったんでしょ?僕も誰かを守れる騎士になりたいんだ』
ルクスは剣をその場に放り、父親の元へと駆けて行く。まだ幼いのか、彼の視線は父親の腰の位置で止まった。
『そうか、だが無理はするなよ。あの子も心配していたぞ』
『○○○か、でも、あの子は魔術を使えるんだよ。僕は魔術を使えないけど、あの子にも負けないくらい強くなるんだ!』
何故か、肝心な所が聞き取れない。何かに邪魔されているかのように、そこだけ音が濁っている。
『そうか、ルクスは○○○ちゃんの事が好きなんだな』
『ち、違う。そんなんじゃないよ!』
そこで、眩暈が治り、視界が鮮明になった。
「今のは……?」
幼少期のルクスと、父親との会話。つまりは、彼の生前の記憶。それが断片的ではあるが急に呼び起こされたのだ。
「僕は、前から剣を扱っていたんだ……」
ルクスは右手に剣を持ち、感慨深げに見つめる。
「僕は、騎士になりたかったんだな」
かつての夢を知り、ルクスは目を瞑る。再びの生を受けた身である以上、かつての夢をもう一度胸に抱きたいと思う反面、既に死者となっているのが大きな障害になってしまっている。青年は夢に憧れ、焦がれる。
「それにしても、『あの子』って誰なんだろう。僕は、その子の事が好きだったのかな?」
ルクスは名前も思い出せない『あの子』に思いを馳せ、空を仰ぐ。その日は曇り空だったが、雲間から確かに、真っ直ぐな光が地上に向かって差していた。
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