ロマンス・ネクロマンス

暁月オズ

第1話 目覚める青年

 ある夜、青年が目覚めるとそこには知らない天井があった。いや、天井だけではない。青年が身体を預けていたベッドから部屋の壁まで、何から何までが青年が見たことの無いものだった。

 青年は身体を起こして部屋全体を見回す。その部屋は壁一面が薄いピンク色の壁紙が貼られており、窓から差し込む月明りの恩恵もあって明かりを付けてなくてもやや明るかった。ベッドは羽毛が詰まっているのかふんわりとしていて、それを囲んでいる半透明の白色のカーテンはほこりが少し付いているものの小綺麗さを感じさせる。それらはまるで何処かの大金持ちが子どものために用意したかのような、瀟洒しょうしゃな造りだった。

 続けて青年が部屋のあちこちに視線を向けると、一枚の鏡が目に留まった。それは全身を見られるくらい大きな姿鏡で、そこに月明りによって青年の姿が映し出されていた。首筋まで伸びた茶色の髪と兎のような赤い瞳、そして男性らしさのある太い眉毛は、逞しさまでは行かなくとも凛々しさと力強さを印象付けていた。

「ここは……?」

 青年が当然の疑問を口にすると、彼が目を覚ましたタイミングを見計らったかのようにドアが内側に開いた。

「良かった。気が付いたのね」

 中に入って来たのは、一人の少女だった。長く伸びた黒髪や透き通った緑色の瞳、さらに少し幼さが残っている整った顔立ちは何処となく人形のような印象を抱かせる。加えて、彼女が着ていた黒を基調とした華やかなドレスがそれを際立たせていた。当然の如く、その少女も青年には見覚えが無かったが、彼は少女を見た瞬間、何か胸に取っ掛かりのようなものを感じた。

「えっと、ここは何処?それに、君は?」

 そう言った時、少女は一瞬目を見開き、俯いた。

「……なるほど、そう来たのね」

「え?」

 少女の呟きに、青年は再び疑問が浮かんだ。少女の言葉も、自分が何故ここに居るのかも、何もかもが分からなかった。少女は一拍置くと、青年の方を向き直した。

「貴方、自分の名前は言えるかしら?」

「え、えっと……」

 青年はしどろもどろになった。別に少女が初歩的な質問を投げかけてきて呆れた訳では無い。まして、自己紹介が恥ずかしくなったという訳でも無い。もっと単純な理由だった。

「なるほど。貴方、記憶を失くしているのね」

 言われて青年ははっとした。確かに自分の名前も、年齢も、これまで何をして生きてきたのかも思い出せなかった。

「ぼ、僕。僕は、あぁ……」

 青年は途端に漠然とした不安に駆られ、身を震わせた。あまりの恐怖に、青年は頭を両の手で押さえつける。

「落ち着きなさい、ルクス。貴方はこんなことに心を囚われている場合じゃないわ」

「ルクス?」

「そう。それが貴方の名前よ」

「ルクス……」

 青年はその名を反芻はんすうした。今の自分が自分に関する事で唯一知っている事。それは早くも彼の心の拠り所となり、若干の安心感がやってきた。心にほんの少しの余裕が生まれたルクスは、ふと感じた疑問を少女に投げかける事にした。

「君は、僕の事を知っているの?」

「えぇ。よく知っているわ」

 ノータイムで返事をされた事に驚いたが、ルクスは再び問う。

「君は一体?」

「私はベッラ。貴方と同じ十六歳。貴方とは、ちょっとした知り合いよ」

 含みのある言い方にルクスは引っ掛かったが、止まっていても仕方がないと思い、そのまま話を進めることにした。

「何だか立派な部屋だけど、ここは君の部屋なの?」

「いいえ、私の部屋ではないわ。もっと言えば、ここは私の家ではないわ」

「どういう事?」

 話が見えてこないルクスは再度目の前の少女に尋ねる。

「ここは町から離れた山奥のお屋敷でね。ちょっと訳があってここを借りているの。とは言っても、もう使われていないみたいだから勝手に使っているだけなのだけれど」

「という事は、元々僕もここには住んでいなかったんだね?」

「ええそうよ。貴方は私がここに連れて来たの」

「……」

 ルクスは一旦、頭の中で情報を整理する。ここはもう使われていない屋敷で、ベッラと名乗ったこの少女が何かしらの理由で自分を連れて来た。加えて、勝手に屋敷に上がり込んでいる。そして、何故か自分は記憶を失っている。そこから導き出される結論は……。

「君が、僕に何かしたの?」

「……はぁ」

 至って真剣に問いかけたルクスに対して、ベッラはため息を吐いた。

「まぁ、そういう考えになるのは分かっていたのだけれど。いざ真っ向から言われると悲しみを通り越して呆れさえするのね」

「え、えーと?」

 思わぬ反応に、ルクスは目を丸くした。

「よく分からないけど、その様子じゃあ違うんだね?」

「当たり前じゃない。貴方ね、そもそも私が危害を加えたのだとしたら、暢気にこうやっておしゃべりなんてしないと思わないかしら?もし私が貴方に恨みがあったとして、そんな暇があったら、寝ている間に殺せばいいだけの話じゃない」

「……そう言えばそうだね。ごめん」

 至極当然のことながらも若干のトゲのある言葉に対し、ルクスは目の前の少女を疑ってしまった事を反省すると同時に、しょんぼりと俯いた。

「なるほど、じゃあ君は僕をどうにかしようとは思っていないんだね?」

 念のため、ルクスは確認を取る。

「えぇ、そうよ」

 ベッラは腕を組み、怒りを態度で示す。

「そうか、でも良かったよ。一先ひとまずは安心だ」

 安堵したルクスは、ベッドに大の字で寝転がる。

「安心したら何だかまた眠たくなってきちゃった。だけどとりあえず、明日も生きていけるよ」

「あら、残念だけどそれは無理よ」

 何気なく言った一言が否定され、ルクスは眉を顰(ひそ)める。

「どうして?」

 次にベッラから告げられた一言は、ルクスには許容できないものだった。




「だって貴方、もう死んでいるもの」




「僕が、死んでいるだって?」

 ベッラの言葉に、ルクスは鼻で笑った。全くタチの悪い冗談だ、と思った。再び上体を起こし、両手を広げる。

「馬鹿な事を言うなよ、君。僕を見てごらんよ。こうやって動いているじゃないか。息をしているじゃないか」

「じゃあ、自分の胸に手を当ててみたらどうかしら」

「……何だって?」

 言われた事をそのまま受け取り、ルクスは自身の胸に右手を押し当てる。すると、本来であれば感じられるはずの心臓の鼓動が、少しも感じられないのだ。

「そんな、嘘だ。こんなの、きっと夢だ」

「私も夢なら良いのにと思ったわ。それなら目覚めが悪くて済むだけだもの」

 現実を受け止めきれないルクスとは対照的に、ベッラは飽くまでも冷静に話を進める。

「残念ながら貴方は一度死んでいて、今は動く死体。そして記憶を失くしている。これは紛れもない現実よ」

「嘘だ嘘だ、嘘だっ!!」

 ルクスはどうしようもない虚無感と、何処に向けたらいいのか分からない怒りが沸き上がり、思わず叫んだ。

「どうして、僕が」

 泣きそうになり、天井を仰いで必死に堪えるルクスは、そこでふとある事に気付いた。

「ちょっと待って。僕が一度死んだのなら、今こうやって動いているのはどうしてなの?」

「……」

 ルクスの問いにベッラは何かを躊躇っているのか、少しの間沈黙した。やがて覚悟を決めたような表情で言葉を紡いだ。

「それは、私が魔術で蘇らせたからよ」

「魔術?」

 その単語を耳にした時、ルクスの中には違和感にも近い感覚が生まれた。聞き覚えがあるようで、頭にもやがかかったようにすっきりと胸に落ちない。そんな感覚だった。

「どうやら、それも記憶から抜け落ちているようね」

 一方、ベッラは何かを納得したような雰囲気でフッと息を吐いた。

「この世には、魔術というものが存在するのよ。おとぎ話に出てくる魔法に近いのだけれど、歴史的には呪術に性質が似ているかしら。何もない所から炎や水を生み出したり、物を空中に浮かせたり、怪我をした所を治したり、人形を本物の人のように動かしたりする事も出来るわ」

 そう言いながらベッラは壁際の棚の上に置いてあるくまのぬいぐるみに向けて左手を翳す。すると、彼女が指の一本も触れていないのにも関わらずぬいぐるみが宙に浮かんだのである。彼女が手を降ろすと、ぬいぐるみも元あった場所へと落ちていった。

「魔術は一見すると便利で人にとって有益なものだと思うかもしれないけれど、中には人から忌み嫌われているものも存在するわ。黒魔術と分類されているものね。その一つが、亡くなった人にもう一度魂を吹き込むというものなの」

「それを、君が僕に施したんだね?」

 ルクスの問いに、ベッラはゆっくりと首を縦に振った。

「そっか」

 ルクスは再び、天井を仰ぎ見る。部屋の天井は一人用に造られたにはやや高く、その高さが、まだこれが夢の中の出来事なのではないかと思わせる。ルクスは一旦両目を閉じて、再びこれまでの話の内容と自分の感情を整理する。暫くしてベッラの方へと顔を向け少女と視線を交わすと、今度は落ち着いた様子を見せる。

「君が僕を蘇らせてくれたのは分かったよ。こういう時にはお礼を言えばいいのかな。分からないけど、ありがとう。でも、それはどうしてなんだい?」

 その問いは、ベッラの心を強く締め付けた。彼女にも、彼女なりの事情と理由があるのだった。まだ彼女の事を知らない、いや、忘却の彼方へと置き去りにしてしまったルクスはそれを知る由も無かった。ベッラは顔を横に向け、彼から視線を逸らした。

「それは……貴方の死には、少なくとも私が関わってしまったからよ」

「え、それってどういう……?」

「今の私が教えられる事はこれが全てよ。もういいでしょう。まだ夜も遅いし、寝ましょう」

 そう言って会話を無理矢理終わらせたベッラは踵を返し、ドアの方へと歩を進める。その瞬間、彼女の顔には僅かながら涙が頬を伝った跡が見えた。ルクスはそれを見逃さなかった。

「おやすみなさい」

 ベッラは部屋から出ると、ドアを閉じた。後には、真夜中特有の静けさだけが残った。

「……」

 ルクスは、去り際にベッラが言った事をもう一度頭の中に浮かべていた。先程、彼女は自分を殺していないと言っていた。だが、自分の死には関わっていると言う。それは一体どういうことなのだろうか。頭の中で懸命に考えるが、動いていないはずなのに疲れの方が勝ってしまう。

「今度こそもう寝よう。明日になったら考えよう。それに、あの子もまた何か教えてくれるだろう」

 そうして、彼はまた深い眠りに就いたのだった。

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