どうしようもならない時、ミラクルが起きる(こともある)

「これはもう、どうしようもないな。にっちもさっちも行かなくなってしまったぞ」と思う時に、ふと神様が手を差し伸べてくれる時がある。


先日、子どもたちと朝から公園で過ごした帰り道に、次女が「Seriaに行きたい!」と言い張り、泣き出してしまったことがあった。別に行ってあげればいいのだが、その日の私は二日酔いでふらふらで、頭もガンガンに痛くて、とにかく早く帰りたかった。


泣き出した時は、電動自転車の前に次女、後ろに長女を乗せていたので、美女の鳴き声の大合唱を浴びながら自転車を走らせていた。すると、目の前のガードレールに、あるものがかけてあった。それは、アンパンマンのポシェットだった。


4歳になったばかりの次女は、アンパンマンに目がない。私が「あ、アンパンマンだ!」と言うと、「え?」と泣きやむ。自転車で近づいていくと、彼女はそのポシェットを手に取って、「私は前にアンパンマンのポシェットなくしたから、神様がくれたのかも」と、ぽつりとつぶいやいた。


確かに彼女は、かつてパパとアンパンマンミュージアムに行った時に、似たようなポシェットを買ってもらったことがあった。大事にしていたが、旅行先でなくしてしまい、パパも海外に引越してしまった……。


本当なら母親として「ダメだよ、ここに置いておくんだよ」と言うべきなのだろう。そのようなことを伝えたけれど、彼女はポシェットを手から放そうとしない。「まあ、近所だし、後で返しに来ればいいか」と、持って帰らせてもらった。


自分の罪を弁明するわけではないのだが、同じような話は村上春樹のエッセイでも読んだことがある。彼が経営していたお店が破産寸前だった時に、奥さんと一緒に夜道を散歩していたら、目の前にお金が落ちていた。ちょうどぴったり、必要な金額だったらしい。彼はそれを拝借して、なんとかお店は潰さずに済んだという話だった。


このように神様は「どうしようもならない」と思った時に、何かを用意してくれる。2024年には何を用意してくれたのか。思い出して新年を迎えたい。

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