フライドチキンから始まるセックス

秋犬

肉と骨

 ミナトが玄関の扉の鍵を開ける。私がこの部屋に来るのは、3回目だ。


 せっかくの遊園地デートの予定が、予報が雨で前日に急に昼からのおうちデートに変更になってしまった。傘を畳むと、雨の滴がだらりと乾いた玄関を濡らす。


「お邪魔しまーす」

「適当に上がって」


 1Kのいかにもな独身男性の部屋。一応多少は綺麗になっているけれど、衣装ケースの端から突っ込んだ靴下がはみ出しているのがおかしい。


「コップ出すから、先座ってて」

「うん」


 私はテレビの前に置いてあるソファに座る。ガラスのローテーブルに、今一緒に買ってきたデパ地下の惣菜やフライドチキンの立派な箱を広げる。ミナトがコップを持ってきて、一緒に買ってきた缶ビールと缶チューハイも袋から出す。最初に缶ビールをコップに注いで、二人でコップを合わせた。


「じゃあ、今日は残念だったということで」

「残念!」


 遊園地に行けなかったのは残念だけど、その分おいしいもの食べながらミナトの部屋で映画を観るというのも「いかにも」なプランで私は嬉しかった。


「何観る? トランスポーター? ベイビードライバー?」

「選択肢が運び屋しかないの?」

「ごめんごめん、ワイルドスピードにする?」

「やっぱり車の話じゃん!」


 やいやい言いながら、結局私たちはミナトの勧めで「ブルース・ブラザーズ」を観ることになった。サングラスの二人組が、孤児院のために奮闘する話だ。


「あ、この曲知ってる」

「この映画の曲、結構メジャーだよな」


 映画をだらだら観ながら、私たちは酒を飲み惣菜をつまむ。グラム売りのグリーンサラダ、ワインコーナーの横にある少しお高いチーズ、中華料理の肉団子と野菜炒め。そして外のファーストフード店で購入した大きなフライドチキンの箱。


 実は、私はフライドチキンがそれほど好きではない。味が嫌いとかそういうわけではなく、骨付き肉を食べるのが苦手なのだ。


「食べない?」


 ミナトが私にフライドチキンを寄越す。油でしっとりとした、茶色い塊。


「ありがとう」


 私はフライドチキンを受け取って、思い切ってかぶりついた。スパイスの味と、鶏肉のしっとりとした食感が喉を滑り降りていく。フライドチキンは、やっぱりおいしい。でも、問題はここからだ。


 私は手の中で、フライドチキンの骨を持て余していた。骨の周りについている透明なぶよぶよは、どこまで食べていいのかわからない。肉を噛みちぎるのはいいけれど、骨をしゃぶるのはどうにも気が乗らない。骨の感触が歯に当たると気持ち悪くて、どうしても骨に着いた肉を食べられない。手羽先を出されても骨に触らずに食べることが難しくて「アンタは食べるの下手ね」とよく怒られていた。


「どうしたの?」


 フライドチキンを持て余していると、ミナトに声をかけられた。ミナトは器用にフライドチキンを食べて、食べ終わった骨を紙ナプキンの上に置いている。彼が嬉しそうに「チキン食おうぜ」と言っていたので、何となく私も嫌いと言い出せずにここまで来てしまった。


「皿、いる?」


 ミナトが立ち上がり、私の食べかけのフライドチキンを置く皿を持ってきてくれる。ミナトにとっては食べかけのフライドチキンに見えると思うけど、私にとってこれ以上食べられないものになっていた。


「悪いね、気が利かなくて」

「ううん、大丈夫」


 半分くらい囓られたフライドチキンを皿に残して、他のものを食べる気持ちになれなかった。


「……食べないの? それ」


 しばらく皿のフライドチキンに手をつけない私に、ミナトが何か気がついたようだった。


「うん、なんか、苦手で」

「苦手?」

「うん……骨囓るの、苦手で」


 ああ、こんなに気まずくなるなら最初に言っておけばよかった。変に遠慮しちゃって後から気まずくなるの、いつものことじゃん。ミナトに面倒くさい女だって思われたかな。


「じゃあ、骨の周りは俺が食ってやるよ。新しいの食べな」


 そう言ってミナトは私の食べかけのフライドチキンを手に取って、皿の上に新しいフライドチキンを置く。


「ええ、でも」

「別に俺、そういうの気にしないし。勿体ないじゃん」


 私の残したフライドチキンの肉を丁寧に歯でこそげ落とすミナトに、私は申し訳なさしかなかった。


「でも、食べかけだし、その」


 私が申し訳なさでどうしたらいいかわからなくなっていると、食べ終わった骨を置いたミナトが急にキスをしてきた。ちょっと油っぽくて、スパイシーなキスだった。


「……いつもこういうことしてるくせに」


 そう言うとミナトは、更に唇を重ねてきた。骨に着いた肉を剥がすように、私の舌はミナトの唇の中で弄ばれる。


「……酔ってる?」


 長い長いキスの後、ようやく出た言葉がそれだった。


「別に」


 そのままソファに私は身体を完全に預ける。酒よりもスパイスよりも、もっともっと刺激的な感覚が私の中を通り過ぎる。ミナトの身体が少し重たいのが、また心地よかった。


 ミナトの身体の下で、私も骨付き肉になったようだった。彼の指が私の鎖骨をなぞり、腹の上の肋骨の上を滑るときに私の口の中で骨が歯に当たる感覚が蘇る。硬いくせにぶよぶよしていて、少し気持ち悪いあの感覚。ミナトはそんなものを食べて大丈夫なんだろうか。私のこと、嫌いになったかな。


「……後で食うか」


 ミナトは私の上から退くと、テーブルに置いた料理にラップをかけてフライドチキンの箱を閉じた。


「いいの?」


 私は、こんな私でいいのか少し不安になった。ただの鶏肉みたいな女で、私は。


「何が?」


 ミナトはあっけらかんと答えた。窓の外で雨はざあざあと降っていて、映画もまだ続いていた。悶々としてしまったのは私だけで、ミナトは何も変わっていない。


「別に」


 私も、変わらなくていい。なんとなく、そう思った。


 テレビの中では、例のサングラスの二人組が警官とカーチェイスを繰り広げていた。結局そういう映画なんじゃない。私はおかしくてたまらなかった。


 私たちは変わらなくていいけれど、ソファからベッドにだけ場所を変えた。


〈了〉




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フライドチキンから始まるセックス 秋犬 @Anoni

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