化石のとれそうな場所で
森本ヴィオラ
私の感性
モラトリアムの期間は、小説・詩・短歌・和歌・音楽・演劇などに親しむ余裕があって、それらすべてが自分の中で輝いている感覚があった。
自分で、短歌・和歌・俳句などの創作もした。俵万智みたいなみずみずしい歌を作りたいと思い、自分なりに作っちゃったりした。当時は希望と孤独、万能感と無力感の両面を噛み締めながら生きていて、詩的な世界とマッチしていた。私は間違いなくロマンチストだった。人生でつまずいたら、助けてくれるのは文学だと信じていた。
就職して約3年。私は本当に人生につまずいた。鬱で本が読めなくなった。助けてくれたのは、薬とカウンセリングだった。
気づいたら、30代になっていた。結婚もして、安定した幸せを手に入れた。物事をよりニュートラルに捉えられるようになった。
その代償として、孤独や万能感や無力感を失った。希望はあるが、若い頃ほど大それたものではない。私は詩的な世界と遠ざかってしまった。
平凡なアラサーに何が書けるのか。自分自身と闘う日々である。
(皆さんは年齢や経験と感性の関係について、どのようにお考えですか?よろしければ教えてください!)
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