聖誕祭のはなし

綾瀬 柊

聖誕祭のはなし

***


「――なんか、なんか思ってたんとチガウ!」


 思わず心の声を出した俺を見て、こずえはチキン片手に目を丸くしてた。

「? やっぱケン〇ッキーのチキンのがよかった? なんとなくコンビニかなって思ったんだけど」

「おいしいよ、おいしいけどそうじゃなくて」

「? 雅樹も辛いのがよかったの? 唐辛子の辛いのは苦手じゃなかったっけ」

しかたないな、ひとくちあげる、無理そうなら食べてあげるから、と持っていた不自然なほど赤いチキンを差し出された。

 嬉しいやら悲しいやら。どちらかというとこずえの気遣いが嬉しいほうが勝っていたので、素直に受け取ってかぶりついた。

 唐辛子の辛味は、やっぱり口がヒリヒリして苦手だ。

「ありがと、辛いね……おいしいけど……」

「普通の方でよかったんじゃん」

いい匂いするからこっち食べたくなるのもわかるけどねー、と言われ、どう伝えたらいいのかわからず、ウン……と、とりあえず頷いた。


 なんにもよくないのである。


 ようやく付き合うことになった、幼馴染との最初のクリスマスであるにもかかわらず、あらゆるコンビニで買ったフライドチキンをふたりで貪っていた。食べ比べである。色気もへったくれもない話であった。

 付き合えば毎日が幸せの連続で浮かれポンチになるかと思いきや、こずえは人前でイチャつく(といっても腕を組んだり恋人繋ぎをする程度)のを、

『人がいるとこでなにすんの、無理! こっ恥ずかしい!』

と真っ赤になって拒み(珍しい反応ではあったのでそれはそれで癒されたが)、かといってどちらかの自宅に行っても、

『親とかいつ帰ってくるんだろって思ったらぜんぜん落ち着かない……』

と述べ、進展を望むのはまぁまぁ無理めであった。


(いくらなんでもあんまりじゃない? 俺らもう大学生なのに)

という気持ちと、

(いや、むしろこの初々しさは今だけかも! 満喫すべき!)

という気持ちが、脳内で頻繁にクロスカウンターをキメていた。

 酔っぱらってたら平気で受け入れてくれるんだけどなー、と内心思う。せっかく付き合っているのだし、できれば彼女がシラフのときに挑みたいものだ。


 こずえとしては、今年の夏になんとなく付き合いだしたという感じなのだろうが、こちらは物心つく前からの初恋をこじらせ続けた末のことなのである。ようやくその人と付き合えた俺と彼女では、温度差があるのもしようのないことであった。

 嬉しくてはしゃいでんの俺だけかー……。こずえはそんなに嬉しくないのかもな……、と思ったらため息しか出ない。

 風船よりも遥か高みに浮きあがっていたというのに、針で突つかれペシャンコにされ、地面に落とされてしまった気分である。


 ため息を飲み込み、あの日、俺は床に大の字になった。

『じゃあどうなの、どこならイチャついていいの、いつならいいの、俺どうしたらいいの、こずえが決めて全面的に従う』

『びっくりするくらいスネるじゃん……』

 逆にこれでスネない人間がいるなら見てみたい。俺は聖人君子には程遠い、煩悩に忠実な男なのである。

『ハグもキスも外国では挨拶じゃん!』

『ここ日本だし。それに挨拶なら誰とでもするんだよね? していいんだ? 雅樹はするんだ?』

『そんなもん挨拶なわけないよね異文化のそういうとこよくわかんない』

 だがしかしどうにかしてスキンシップをはかれないものか……と悩み黙ると、こずえは目をつぶり眉間に皺を寄せ悩み抜いた挙句、

『なんか……、お祝いっぽい日とか……? それならテンションも上がってるだろうしギリギリ挨拶っぽく感じることもあるかも……?』

挨拶のギリギリってなに?? その上なんで疑問形?? と思わなくもなかったが、言質も取れたし留飲を下げた。


 次のお祝いっぽいのっつったら、キリストおめでとうよかったね結局なんの日なの? ことクリスマスだよね! 嬉しすぎていっそ改宗しよかな! とご機嫌で当日を待っていたら、これである。

 いつも通りのことであれ、どちらかの実家で共に過ごすのすら幸せで大歓迎だったが『これお土産ね、一緒に食べよ』と渡されたのが、いろんなコンビニのクリスマスチキンでひっくり返ってしまった。

 大学の帰りにあるコンビニに順番に寄って、店ごとにふたつずつ買ってきたのだという。

 いつも通りと言えば、まさにその通り。いつも通り過ぎるくらいの幼馴染の姿であった。


 悔しいことに、チキンはとてもおいしかった。皮がパリパリで香ばしい。

「……あのさー、こずえはさ」

「? なに?」

 普通のチキンを食べなおしてもなお、口の中には唐辛子の残滓があるような気がした。水を流し込んだ。

「今もそうだけどずっと普通っていうか、そのままっていうか」

黙って続きを聞こうとしていたので、慌てて、そこがいいとこだと思ってるんだけど、と前置きした。

「俺がこずえのこと好きなのわかっても、あんまりビックリしてなかったよね」

「? だって聞いてたし」

と言われ、誰に!? と口から飛び出て行った。

 瞳を瞬かせた。

「雅樹が言ったんじゃん。予知で見たって。覚えてないの?」

幼稚園のとき、ゾウさんすべり台の下のトンネルのとこで、まで言われて顔を覆った。手からフライドチキンの香ばしい匂いがした。


 ほんの小さな子どもの頃、俺には予知の力があった。

 数十年先まで見通せるというなかなか強めの能力で、事故るはずだったご近所さんに別の道を行くように言って助けたり、病気で亡くなる予定だった人に検査を勧めて生かしたりしてご近所でまぁまぁ話題になり、そのうちお国に呼ばれて検査をたくさん受けさせられたりした。

 検査の結果、安定して見られるのは数十年先までということだったが、あの頃の俺は調子がいいと、人が死ぬまでの一生が見えた。

 まぁその力もたったの数年で消え去り、いまは先のことどころかなんにも見えないし、なんなら記憶力もイマイチな一般人として楽しく生活しているのだが。


 まさかこずえが俺の言ってた予知を覚えてるとは……。はっず。

「……俺、なんて言ってた?」

「『こずちゃんは、まーくんとケッコンするんだよ』って」

「! ちゃんと恥ずかしいやつ!!」

また顔を覆うしかなかった。

「小さいころの話だし可愛くていいじゃん」

「俺以外が言ったことなら俺もそう思うよ!」

なんでそんな昔のこと覚えてんの……?? が口からまろび出ていった。

 愚問である。こずえは俺と違って記憶力がいいのだ。

 しかしこんな恥ずかしいことがあるだろうか。自分でもいま顔に血流が押し寄せているのがわかる。思わず手で仰いだが、仰いだところでこの熱が引く気はしなかった。


「だから、まぁそのうち付き合ってそのうち雅樹と結婚するのかなって、最初の頃は思ってたんだけど」

「、ちょっと待って。最初の頃はってなに? 他に誰かいたの? 不倫! 不倫ダメ絶対!!」

結婚もしてない上に付き合ってもなかったのに不倫って何、と呆れた顔をされた。

 由々しき事態だった。子どもの頃からずっと一緒にいたのに、他に男の影があれば俺が見逃すわけがないのにどこの誰が。

「別に誰とも付き合ってなかったけど。誰かさんとずっと一緒につるんでたし、知らない人には雅樹と付き合ってると思われてたし」

「それはよかった」

「別にいいことではなくない?」

いいや、めっちゃいいこと、と述べつ、わかってはいても俺は胸をなでおろした。


「ずっと仲はよかったけど好きも嫌いも言われないし、友だちの状態でいるのも私には居心地よかったから、そのままでいるのもいいのかなって思ってた。

 雅樹は雅樹で『先の予知ほど変わっていくし、未来は変わっていくものだ』って言ってたし」

私と結婚する予知は外しにいってるのかなと思って、と言われ、あんなに流れていた血が一気に引いた。

 頭がクラクラした。こんなにフライドチキンを貪っているのに、貧血みたいになった。

「、そんなわけなくない!? え、そんなわけなくない!?」

「? なんで2回言うの」

「いやだって、ありえなさすぎて2回出ちゃった、そんなわけなくない!?」

3回目も出てる、と、いつも通り過ぎるほどの調子のこずえに、俺は頭を抱えた。


 あぁでもそうだ、こずえが知るわけないのだ。

 幼児の俺にそこまでの説明力と語彙力があったとはとても思えない。予知の中の俺がどれほど幸福だったか。

 こずえと共に過ごす日々をどれだけ愛し、一緒に年を取っていけることをどれだけ幸せに思っていたか。恐ろしい予知ばかりみていた俺にとって、たまに見るこずえとのなにげない日々が、どれほど癒されるものだったか。

 そして現実のこずえと過ごす時間は、それに負けないほど楽しく幸せであった。

 それらはすでに俺にとって常識レベルのことであったが、予知で見た人生なんてこずえには知るよしもないのだ。


「――ええと、あのね、こずえ。言い訳というか説明というか、」

うん、と素直に頷き、チキンを齧っていた。

 せめて食べる手を止めて、と今回ばかりは言えぬ俺。改めて思うが、予知での知識も何もない状態で、こずえはなぜ俺と付き合おうと思ってくれたのか。

「まず大前提なんだけど、俺の初恋はこずえなんだよね。初も何も他にはないんだけどさ。結婚式のときのこずえがほんとに綺麗でかわいくて、俺はその予知で、……なんかめちゃくちゃ恥ずかしくなってきたから端折っていい?」

「仕方あるまい……」

「リアクションそれであってる?」

思わず述べると、「や、そんな真面目に説明してくれるとは思わなかったから」とやや赤くなって目を伏せた。


 今でも思い出す、というか俺は不定期にあの頃に見ていた予知を反芻していた。

 ウェディングドレスを着た未来のこずえの笑顔は、この世で一番可愛かった。信頼しきった瞳と、人生で一番幸せな日だという笑みで俺を見た。

 あの幸福感を、どう説明したらいいのか今でも俺にはわからない。

 ただひとつ言えるのは、そのとき幼い俺は将来の伴侶に一目惚れした、ということだった。ドラマでよく見る『幸せにします!』という言葉は、なにもお決まりの慣例的な文句ではなく、本当に心から思うことなのだと知った。

 だがそこまで説明するのは憚られた。俺にだって、胸に留めておきたいことのひとつやふたつあるのである。


「とりあえずね、俺はその予知を外そうとしたことは誓って一度もないの。

 ただなんていうか、条件を崩しちゃったから、付き合うきっかけが消えてどうしたら付き合えるのかわかんなくなっちゃって、ここまでズルズルと……。それで誤解させたってのはめちゃくちゃ反省してる」

「? 条件崩したってなに?」

「そんなこと言ったっけ」

いま言ったよ、なんなの、と首を傾げられ、俺は頑なに「言い間違えただけ」と首を振った。


 こずえの父親が病気で亡くなるはずだったのを、捻じ曲げたのだ。

 傷心のこずえを支え、結果的に俺と付き合い結婚に至るという内容だったのだが、あの予知の彼女の姿を現実でまで見るなんて耐えられなかった。

 心の準備をする間もなく唐突に亡くなった父親の骨壺を抱え、俯きがちに丸まった小さな背に、そこからしばらく力なく落ちたままだった細い肩に、いつまでも腫れの引かない、泣き疲れてなお真っ赤になった目元に。


 俺は幸福の絶頂にいるこずえと、絶望の淵に立つこずえを見てしまったのだ。


 予知を変えようと動くと、当然未来は変わってゆく。

 だが考えるまでもなかった。

 未来が変わり結婚するどころか、ずっと一緒にいる未来まで変わってしまったとしても。他の誰かに取られてしまったとしても。

 こずえが泣くよりずっといい。

 

 ……と思っていたのに、実際問題なかなかつらい話であった。

 成長すればするほど、隣にいるこずえが結婚式で見た彼女に似ていくのだから。

 俺が見た、あの日のこずえに。初恋の人の姿に、だ。

 未来は変わった。そして俺にはもう予知ができない。告白しても付き合えるかはわからないし、他に好きなやつがいるかもしれない。

 そうやって二の足を踏んでいる間に、他の男が幼馴染にフラフラとちょっかいをかけに行くのを、彼氏でもないのに抑制するのは無理があった。高校までは近所の友人らがいたのでどうとでもなったが、大学は学部も違うし友人関係も変わったので、『幼馴染だから』も通用しようがなかったのである。


「……言いたくないなら無理に訊かないけど。でも正直、なんで雅樹に好かれてるのかよくわかんない。友だちとしてしか一緒に過ごしてなかったし。ていうか、予知で見た私ってちゃんと雅樹のこと好きだったの?」

訝しげな顔をされたが、それには自信があった。

「ちゃんと愛されてましたー。じゃないと、フラれるかもとか怯えてここまでヒヨったりしなかったし。こずえは俺が死んだあとだって、遺骨を食卓に置いてくれて、話しかけてくれたりとかして、」

俺が死んだ後も変わらず愛してくれたのだから。


「は……?」

相槌が止まったことに気づき、見やると目を真ん丸にしていた。

「……雅樹、死ぬの?」

「? うん、昔の俺の予知だとこずえより先に死ぬよ。でも普通に長生きしたし、死ぬのはおじいちゃんになってからだけどね。……? こずえ?」

完全にフリーズしてしまった。意外な姿だった。

 徐々に俯いていき、そのうち机の一点を見つめたままになってしまった。

「え、なに……? こずえ……?」

「……。私より先に死ぬとか無理なんだけど」

「あ、でも別に早死にするわけでもないし、もともと男の方が平均寿命短いじゃん、最終的にはみんな死ぬんだし」

言えばいうほど険しい顔になっていった。

「死ぬ死ぬ言うのやめて」

「、へ。あ、ごめん」

そんなに嫌がると思わなかった。


「……私より先に死んじゃダメだし、私より後に死ぬのもダメだから」

「『関白宣言』じゃん」

黙って頷いておけばいいものを、びっくりするほど冷たい目で見られ背筋が冷えた。

「いま真面目に話してるんだけど」

「完全に俺が悪いですごめん」

そりゃ俺がこんな調子じゃ彼氏彼女っぽくって言われたても無理だよね、と改めて思った。


「それで、なんで死ぬの? 病気? 事故?」

「病気だったよ。でも結構生きたし、そこはもう寿命みたいなもんだと思う」

「、寿命と病気じゃ全然違うんだけど!」

「……。そだね……」

……病気だったら何年も苦しいかもしれないし、と言うなりこずえは黙り込み、やや冷めてきたクリスマスチキンを頬張る作業に戻った。やけくそ気味な食べ方を盗み見つつ、ちょっと反省した。

 予知では、老人となった俺が死んだときもこずえは泣いていた。彼女は周りの人間をものすごく大切にする人なのだ。

 よりによって、なんで今日こんな話をしてしまったのだろうと、いまさら悔やんだ。ずいぶん先のことだし、自分としては『でもいつかみんな死ぬし』くらいの感覚で話してしまったのだ。


 クリスマスに乗じてイチャつこうと思ってたのに、もうさっぱりである。もしかしたら、そんな雑念がキリストの逆鱗にでも触れたのかもしれなかった。

「こずえ」

「……なに」

 キリストがキレ散らかして十字架で殴りかかってきても(ごめんね俺が仏教徒で)としか思わないが、落ち込むこずえを見るのは理由がなんであれ無理だった。本当に無理だった。

 幼稚園で『こずちゃんより先に泣くまーくん』と名を馳せただけあった。たぶんこずえに関してだけ、共感力がバグっているのだと思う。あらゆる障害を取り除きたい一心で、彼女の未来を覗きすぎてしまったのだ。


「俺、予知の俺より野菜食べてるし散歩もめっちゃしてるから、いくらか寿命延びてると思うんだよね」

きゅ、と口を結び、半ばにらむような目をしてこちらを見た。

 子どもの頃から見てきた姿だった。言いたいことはあるが、うまく言葉にできないときに我慢しているときのしぐさだった。

 なつかし~~かわい~~と言いかけて我慢する。『真面目に話してるんだけど』が2回でたら、その日はもう口をきいてくれなくなることをよく知っていた。

「こずえ、ハグをしませんか」

「、なんで丁寧語?? ていうかどういう流れ??」

「実は長生きするためなんだよね。ハグには幸せホルモンを出すとか出さないとかって話があるかもしれなくて、寿命を延ばすには親しい人とハグをする必要があったりなかったりするし、理屈はぜんぜんわかんないけどストレスを減らすとかなんとかって」

どう対応したらいいのかわからない、という顔をしていた。

「というわけでハグを! こうね! いっちょドンとやってみたらどうかと俺は! 長生きのために! やましい気持ちは全然ちょっとしかなくて!」

「あるんじゃん」

こんな無理くりハグを強請られることあるんだ……と戸惑った顔で突っ込みつつ、こずえは目を泳がせた。

 ――ちょっとこじつけすぎたかなー。


「……ギネス載るくらい生きるなら」

「! 無茶ぶりすごいけど努力するっ!」

大喜びで腕を広げると、能天気な喜びようが気に障ったのか胸に強烈なタックルをかまされた。


fin.

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聖誕祭のはなし 綾瀬 柊 @ihcikuYoK

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