くびすじ―あるいは太陽を見てはいけない理由

あらひねこ

第1話

くびすじ



最初は些細な違和感だった。

頸動脈からリンパ管の後ろ辺りに固いものが触れた感触があったのだ。反射的に首筋に手を当てたが、するとすぐに感触は消えた。



次の日、違和感は疑問へと変わった。通勤途中の駅のエスカレーターで昨日と同じ感触があったからだ。スーツやワイシャツのヘタりか着崩れ、考えたくはないが太ったからかもしれない。

触るとすぐに首筋の違和感は消えたので、結局その日も特に気にはならなかった。



次に私が感じたのは、確信と好奇心だった。3日連続で違和感が起きるなど何か原因があるに違いない。

あえて首筋の違和感をあえて放置してみることにした。そうすることで違和感の原因が分かるかもしれないと思ったからだ。


私は昔から首筋が敏感だ。友人の手が少し触れただけでも我慢できずに肩を窄めてしまう。違和感を放置するのには忍耐を要した。

だがその分収穫はあった。最初はドライバーのような固いもので引っ掻かれていたような気がしていたが、集中してみたことでより感触の解像度が上がったのだ。


それには人工的な鋭さはなく、有機的な柔らかさが微かにあった。ひっかきも傷つけるのが目的というよりは、壊れやすいものに触れているような穏やかさもある。


『すこし尖った孫の手で撫でる感じ』といえば伝わるだろうか。


エスカレーターを登り切るとすっと引っ掻きは止まり、何事も無かったかのように日常が始まった。振り返っても見たが、私以外にエスカレーターを使っている人はいなかった。



次の日、私は奇妙な感覚に襲われた。まるで天啓が降りたかのように、首筋を引っ掻くものが爪だとわかったのだ。


長さは3センチ、綺麗に整えられ鮮やかな紅殻の顔料が塗られている。撫でる感じがあったのは力を入れずに爪で首筋を掻いたからだ。


ただ私の首はワイシャツとスーツの襟で覆われて爪の入る余地などない気がするのだが。



次の日も奇妙な感覚は続いた。爪が普通の人より少し長いものだと気づいたのだ。爪のついている指も私のものよりずっと長く細い。太陽を直視してはいけない。本当は指で触りたいのだけど、爪が食い込んでしまうかもしれないと気をやってているような感じだ。


指先から手、腕の様子まで直感が私の右脳に囁きかける。すらっとした美しく白い手だ。手の付け根から少しのところに袖口がある。正絹で織られた長く白い打掛は白無垢を連想させる。


内側からは赤吹の紅が覗き、彼女の肌の白さを一層際立てている。厚着ながらも確かな存在感のある胸、鎖骨。首筋もすらっと細長く、唇も爪と同じように真っ赤な紅を塗られている。鼻筋もはっきりとして、右側の頬の上には涙ぼくろもある。そして目の色は―――


ぶつっと右脳のイメージが途切れ、私はエスカレーターの出口に足を取られた。すぐに先ほどの感覚を反芻しようとしたが、太陽の眩しさに気を取られ夢でも見てたかのように先ほどの感覚は消えてしまった。



次の日、私は勇気をふり絞って掻かれている途中に振り返ってみることにした。彼女に興味が湧いたというのもあるが、単純に太陽を直視すると失明する畏れがある何が原因か確定していない状態を解消したかった。


振り返ってみると他の乗客を見下ろす形になった。冷静に考えると登りのエスカレーターで後ろの人が首筋を触るのは相当の努力がいるだろう。後ろの人が引っかいているという考えは辻褄が合わない。


なにより振り返ってもまだ首筋を掻く感覚が続いているのだ。つまり掻かれているのは後ろからではない。つまり。


ばっと上を見上げると、再びぶつっと右脳が揺れる感覚がした。

私は再びエスカレーターの出口で転びかけた。



次の日、エスカレーターの途中でふと気になることがあった。太陽を目にしたからといって実際に失明することはあるのだろうか。私も何度か太陽を見上げたことはあるが、では失明したかというとそんなことはない。視力も良好で生活にも苦なことはない。


なにより、太陽のことを考えると太陽は聖なる象徴として扱われるがそれは典型的な誤解だ太陽は巨大な核融合炉であり太陽を信仰するのは非科学的だ人間にとっては有害な光線を多数放射している首筋がチリチリ痛み出すのが気になる。


エスカレータを降りて空を見上げた。


手と、目が合った。



太陽信仰は古くより存在する。ヘーリオス、アポローンにラー。日本では天照大神や日の鳥、倶利伽羅峠くりからとおげ嵐巫女あらしみこや不離之枇榔禍あたりが有名だろう。それらの信仰対象は常に太陽のような球形をしているのではなく、むしろ手前に立っている人や動物の形をしている。これはどの太陽信仰にも共通する矛盾だ。


しかし彼らが崇めるのが太陽ではなくその手前にある存在だと考えるとつじつまが合う。そもそも彼らは太陽を見ていないのだ。


同意するかのように首筋を引っかく爪に力が入る。



太陽を見てはいけないのは、そこに太陽光の紫外線は発がん性を有している何者かがいるからではないだろうかもう気づいているんじゃないか?。違和感は覚えなかったか?失明するリスクを常に抱えているはずなのに太陽への対応は極めて杜撰だ。せいぜい黒色のグラスでフィルターするか帽子の影を作るぐらいだ。


なぜか?


なぜあの女性は目がなかったのか?


なぜ私は空にある手と目があったのか?


答えはシンプルだ。


私はあれに選ばれた。



神が人を選ぶとき、その理由はどの宗教でも決まっている。


崇め


伝え


広めよ


そうして私は今この体験を無作為に流出させることでその目的を全うしている。


神の存在証明が自明となるように。

眼球よりも美しいものがあるとわかるように。


モニターの前にいる貴君も右目の下瞼に意識を集中させ時計回りに視線を移動して、屋外なら上を向くといい。


屋内にいるなら窓から顔をのぞかせるのもいい。どのような形でも問題はない。こちらが気づくことよりも、認知されることが肝要だ。


空を見上げよう。


目を




















※注意

太陽を直接見ると目を傷めたり失明する恐れがあります。

専用の道具を用いずに太陽を直接見ようとするのはおやめください。

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くびすじ―あるいは太陽を見てはいけない理由 あらひねこ @VelbetCat

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