第6話
六限が終わるとすぐに、俺のスマホが震えた。見ると、神宮寺先輩からラインが届いていた。
『裏門に集合』
…非常にシンプルで分かりやすいな。ちょっと怖いけど。
手短に荷物をまとめると、すぐに俺は教室を出た。その際、教卓の前にいた逢坂さんと目が合った。逢坂さんは「あっ」と声を上げ、何か言葉を発そうとしたように見えた。だけど俺は一瞬立ち止まっただけで、黙ってその場を後にした。
…なんか今の俺、マジで印象悪かったな。避けてるみたいに思われたらどうしよう。いやまあ、実際避けてるんだけど。昨日の話を聞いてから、逢坂さんにどう顔向けすればいいか分からなくなった。ただでさえ彼女との会話は緊張するのに、あんな事情を知った今、平静に話せる自信なんてあるはずがない。
「やっぱ根性ねぇな…」
自分にむかって呟く。だけどなぜだろう、そういう弱い自分を嫌いになり切れない思いもあった。…俺、自己肯定感たけぇな。
一人、放課後の廊下を歩く。窓越しに響くセミの声がうるさい。これから先、俺はどうなるのか。そんなことを考えていると、背後から、突然、人の気配がした。俺は、躊躇せずに思い切り振り向いた。
「わっ!」
声があがった。俺のものではない。
「星ノ原さん?」
たった今、驚きを発した少女―同じクラスの星ノ
「ごご、ごめん。ビックリしたよね…」
焦ったように、両の瞳を左右に動かす星ノ原さん。いや、あなたしか驚いてないですよ。
俺が言葉を返そうとすると、星ノ原さんが、肩から下ろしたスクールバッグに手をかけた。
「あの、あ、相沢くん。これ…」
「ん?」
遠慮がちな仕草で彼女が取り出したのは、やけに見覚えのある、グレーの水筒だった。数秒間それを見つめた後、あることに気づいた俺は、「あっ」と短く叫んだ。
「俺の水筒じゃん!」
「うん。相沢くん、机に置いたまま帰っちゃったから…」
差し出された水筒をありがたく受け取って、俺は、星ノ原さんの顔を見た。
「わざわざありがとう…。マジで助かったわ」
些細なことに見えて、水筒忘れは結構ダルい。いざ勉強しようとシャーペンをカチカチしたら、芯が切れて出てこなかった時と同じレベル。だから俺は、本気で星ノ原さんに感謝した。
「い、いや。別にこれくらい…」
星ノ原さんは、顔を赤くして、ぼそっと呟いた。これで会話としては終了だが、それは若干そっけない気がした。だから俺は、他に何か話すために、適当な話題を思い浮かべようとした。その時だった。
「でも…相沢くんの役に立ててよかった」
そう穏やかに言って、星ノ原さんは目を細めた。日の光に照らされた彼女の顔が、一瞬、慈愛に満ちた女神に見えた。
「えっと…星ノ原さんって、何か部活入ってたっけ?」
平静な心を取り戻すように、俺は頭に浮かんだ話題を振った。
「ううん、なにも。…相沢くんは、文芸部なんだよね?」
星ノ原さんが尋ねる。俺は少し驚いた。おそらくクラス内で、俺が文芸部に所属していることを知る人間はほぼいない。豪と、その他男友達の数人だ。影の薄い陰キャとして扱われている俺が、何の部活をやっているかなんて、誰も興味ないだろうからな。
だから、今まで全く喋ったことのない星ノ原さんが、俺が文芸部員であることを知っていたのは意外だった。
「そうだよ。まあ、部員は俺しかいないんだけどね」
「え⁉」
星ノ原さんが、口元を手で抑えた。相当驚いたらしい。
「今年の春までは、何人か先輩がいたんだけど…。みんな卒業して、それから新入部員も一人も来なかったからさ」
部の変遷を軽く説明して、俺は肩をすくめた。すると星ノ原さんが、上目遣いで尋ねてきた。
「ひ、一人でなにしてるの…?」
俺は軽いデジャブを覚えた。昼休憩に、杵村さんにも似た質問をされたからだろう。
昨日までの俺なら、適当に誤魔化したと思う。だけど、今日の俺は違った。
「小説を書いてるよ」
「しょ、小説…⁉なんか、すごいね…」
俺の答えに、星ノ原さんは素直に驚いたようだった。なんか、さっきから驚かせてばっかりだな、俺。
「私、けっこう本は好きだよ。書いたりは、しないけど…」
「マジ?いいじゃん、何読むの?」
俺が聞くと、星ノ原さんは、ためらいの色を見せた。だけどそれは一瞬で、星ノ原さんは意を決したように、唇を動かした。
「シェイクスピアとか…?」
思った数倍シブかった。
「へえ…古典文学には疎いから、よくわからないけど、面白いのか?」
「面白いよ。あ、でも、バッドエンドが苦手な人にはお勧めしないかな」
「そうなのか。でもたしかに、『シェイクスピアの四大悲劇』とか聞いたことあるな」
俺はネットで齧った知識で答えた。すると星ノ原さんの顔が、一気に明るくなった。
「そうそう!『ハムレット』、『リア王』、『マクベス』、『オセロ』の四つなんだけど、私は特に、愛憎入り混じった『ハムレット』が好きで…」
身を乗り出すような勢いに驚く俺。すると星ノ原さんが、はっと我にかえった。
「ご、ごめん…。なんか変なスイッチが…」
「はは。俺もそういう時あるから、わかるよ」
そう言って俺が笑うと、星ノ原さんは顔を赤らめながらも、「えへへ」と微笑んだ。その不器用な笑みを目にして、なんだか俺は胸が温かくなった。
「あっ!」
と、そこで俺は重大な用事を思い出した。
「どうしたの、相沢くん…?」
「悪い!俺もう行かなきゃ!星ノ原さん、また明日!」
「ま、また明日…?」
困惑を顔に滲ませた星ノ原さんを置いて、俺は放課後の廊下を駆け抜けた。やっべえ、神宮寺先輩を待たせてること、忘れてた…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます