第2話 朝の通学と大学の風景

月曜日の朝。霧島悠は鳴り響くアラームの音で目を覚ました。枕元のスマホを手に取り、画面を見ると時刻は7時30分。いつもより少しだけ早く起きたことに、軽い達成感を覚える。


「よし、今日は早めに出発しよう」


布団から抜け出すと、窓を開けて朝の空気を吸い込む。冬の冷たい風が顔に触れ、眠気を完全に吹き飛ばしてくれる。通学路にある商店街が静かに目を覚まし始めているのが見えると、自然と気分が良くなった。


キッチンで簡単な朝食を作りながら、悠は今日の予定を頭の中で整理する。


「1限目は民法の講義、2限目は憲法……昼休みの後はゼミがあるな」


法学部に所属する悠のスケジュールは、講義と課題に追われる日々だ。特に3年生になると専門科目が増え、勉強の量も難易度も格段に上がった。だが、それを苦痛に感じたことはない。むしろ、法律という体系的な知識に触れるたび、次第に面白さを感じるようになっていた。


朝食を終え、鞄にノートパソコンと参考書を詰めると、悠は自宅を出発した。



最寄り駅までは徒歩10分ほど。歩き慣れた道を進む間、悠は透視能力を使わないように意識していた。壁の向こうや人のポケットの中身が見えるのは確かに便利だが、日常の中でそれを使いすぎると、生活の味わいが薄れてしまう気がするからだ。


駅に着くと、通勤・通学のラッシュ時間と重なり、ホームは人で溢れていた。悠は周囲を見渡して混んでいない位置を探し、さりげなく列に並ぶ。


「……また、今日もぎゅうぎゅうだな」


電車が到着し、乗り込むと、案の定身動きが取りづらいほどの混雑だった。肩が他人とぶつかるたびに、軽く頭を下げる。慣れた光景だが、気を抜くと苛立ちそうになるのがこの時間帯だ。


車内で悠は、無意識に透視を使いそうになる自分を抑えた。ぎっしりと詰まった乗客の様子や、バッグの中身が透けて見えそうになるが、それを遮断する術を彼は心得ている。


「人の内側を勝手に見るのは、やっぱりルール違反だよな」


そう自分に言い聞かせながら、悠は電車の揺れに身を任せた。



大学の最寄り駅で電車を降りると、悠は人混みを抜け、少し歩いた先の広場で一息ついた。ここから大学の正門までは10分ほどの道のりだが、その途中に見える風景が悠のお気に入りだった。


大きな銀杏並木が続く道は、季節ごとに違う表情を見せる。冬の今は枝だけが残っているが、それでも澄んだ青空に映える姿は美しい。悠はポケットからイヤホンを取り出し、好きな音楽を流しながら歩き始めた。


大学の正門をくぐると、学生たちが談笑したり、急ぎ足で講義に向かったりする姿が目に入る。悠の通う大学は、キャンパスが広くて開放感があり、法学部の建物まではさらに数分歩かなければならない。


「おーい、悠!」


聞き覚えのある声に振り返ると、同じ法律学科の友人、篠原隼人が手を振って近づいてきた。彼は悠より少し背が高く、いつも活気に満ちた表情をしている。


「おはよう。今日は早いな、隼人」


「たまにはな。つーか、1限目の民法、予習した?」


「一応やったけど、途中で力尽きた。先生、いつも急に当ててくるから気が抜けないよな」


「そうそう。俺もやばいかも……ま、何とかなるだろ!」


隼人は軽い調子で肩をすくめる。彼のこうした楽観的な性格が、悠にとって良い刺激になっていた。



法学部の建物に着くと、講義が始まるまで少し時間があった。悠と隼人はエントランスにあるベンチに腰を下ろし、コーヒーを片手に話をしていた。


「ところでさ、悠。最近なんか悩みとかないの?」


「いきなりどうした?」


「いや、たまにお前、ぼーっとしてるからさ。ほら、俺たちもう3年だろ? 進路のこととか、そろそろ考えないとヤバいじゃん?」


隼人の言葉に、悠は少し考え込んだ。確かに進路のことは頭の片隅にあった。法律学科に進んだ理由は「体系的な思考を学びたい」という漠然としたものだったが、具体的な将来像はまだ描けていない。


「まあ、まだ時間はあるけどな。俺は司法試験は無理だから、企業法務とか狙おうかなーって思ってる」


「そうか……俺も、そろそろ考えないとな」


隼人が将来の話をしている間、悠はふと「透視能力」という自分の特異な力について思いを巡らせていた。この力を活かせる仕事はあるのだろうか? そもそも、それを使って仕事をすることが倫理的に許されるのだろうか?


そんなことを考えていると、隼人が不思議そうに首をかしげた。


「おい、悠。聞いてるか?」


「あ、ああ、聞いてる。ごめん、ちょっと考え事してた」


「真面目だな、お前は。まあ、講義が始まる前にコーヒーでも飲んで落ち着けよ」


隼人が差し出してきた缶コーヒーを受け取り、悠は静かに一口飲んだ。ほのかな苦味と甘さが、朝の空気に心地よく溶け込んでいく。



講義開始のチャイムが近づき、悠と隼人は教室へと向かった。大学の廊下はすでに学生たちで賑わい始めている。教室に入ると、席に着いた悠はノートを開き、講義が始まるのを待つ。


民法の講義は今日も難解で、先生の話に集中するだけで精一杯だった。それでも、法律が持つ理論的な美しさに魅了される瞬間があるのが、悠にとっての楽しみだった。

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