いちょうが燃えた日の話

天丘 歩太郎

一話完結

――もう七年も前の、晩秋のことだ、

「ねえひー君! 

 来て! 

 やばい! 

 いちょうが燃えてるよ!」

 と、当時婚姻関係にあった女、・・・・・・仮に名前を凍子としておこう・・・・・・、凍子の嬉しそうな(と、少なくとも当時私の耳には聞こえた)叫び声が玄関の辺りから聞こえてきた。昼過ぎのことだったが、私は二階の寝室で、ベッドに横になって天井を見るともなく見ていた。

 それは木目も何もない白色の、無機質な天井だったが、他にすることがないので、天井でも眺めるよりなかった。リビングで、凍子と二人になるのが億劫だったので、寝たふりをしていたのだ。寝たふりをしているということを、凍子も分かっていた。既に婚姻関係は明らかな末期状態にあった。

 凍子も私も、もともとが熱狂できないたちで、たとえばお祭り、スポーツ観戦、音楽ライブ、ギャンブル、何をしてもとにかく、冷めていた。まわりがどんなに盛り上がっても、盛り上がれば盛り上がるほど反比例するように私達は冷めていった。熱狂できない。花火で、たまやもかぎやも叫べない。その熱狂のできなさという点で私達は静かに意気投合し、熱狂のないまま世間一般に言う恋愛期間を過ごし、至って冷静な合意の上に結婚をし、そして今、何の熱狂も、代わりに悲嘆も、ないままに、別れの時期を迎えつつあった。まだ「離婚」という言葉こそ発せられたことはなかったが、互いの冷静な頭の中でその二文字はすくすくと育っており、かつそのことを互いに認識しあっており、あとはもうどちらの口からその言葉が出るかという所だった。子どものいないうちに、という枕詞を添えて一方が切り出せば、子どもがいなくてよかったねと他方が応えて、潤滑に、円満に、話は進んだだろう。だから。そんな凍子が、

「ねえひー君! 来て! やばい! いちょうが燃えてるんだけど!」

 と、文節ごとにエクスクラメーションが付くようなテンションで叫んでいるのは非常に希なことだったし、凍子が私のことを「ひー君」と呼ぶことも珍し過ぎることだった。そもそもここ一、二年は互いの名前を呼ぶことすらなくなっていたのだ。ひー君! ああそうか、そういえば俺、ひー君だったな、と今更、謎に、どきっとしたのを覚えている。

 それに「いちょうが燃えてる」などという詩的な言い回しは、どう考えても凍子の口から出る筈もないものだった。最近はもう、いずれ別れることが暗黙の前提になっていて、そうであれば今更互いに未練の元を作るのも馬鹿らしく、敢えてそっけない態度を互いに取っていたという事情もある。

 「ひー君! 来て! やばい! いちょうが燃えてるんだけど!」 

 いやいやいやいや急にどうした、と私は笑いそうになるのをこらえながら、

「なにぃ?」

 とベッドの上に身を起こして叫んだ。

「いちょうが燃えてるんだって! 来てって!」

 こんなに率直に、来て欲しいと人から乞われることは何年ぶりだったろう? 私は顔がにやけそうになるのをどうしようもなく、必死に真顔を取り繕いながら階段を降りて行き、階段の途中で、玄関の先にいる凍子に、

「なんだよ」

 とわざとめんどくさそうに言った。

「燃えてる!」

 と応える凍子の顔が、全身が、ちらちら黄色に輝いているのだ。

 輝くなんていうことが如何にも凍子らしくなく、輝きながら真剣に、燃えてる、などと相変わらず詩的なことを言っているのがおかしく、私はとうとう吹き出してしまった。吹き出してしまってから、ああ、紅葉とかじゃなく、文字通り燃えてるってことか、それでその炎を反映して凍子、ちらちら輝いてるように見えるのか、と思い至り、思い至った上でなお、凍子が輝いている様、真剣な顔に炎の光を受けて何だか見たこともないような、情熱的な表情のようにも見え、いよいよ完全に笑ってしまいながら玄関に向かい、すると、本当に、隣家のいちょうの木が、燃え上がっているのだ。幹の中程から、おおらかに広がった枝まで、全体的に、つまり結構本格的に、燃えている。私は裸足のまま、凍子の横まで歩いて行き、

「火事じゃん」

 と、言った。

 と、ここに来て、凍子も、【本来熱狂しない筈の自己】というもの、それから【もうすぐ離婚をするのだからそっけない態度を取る】という暗黙の了解を思い出したか、

「そ、火事」

 急につんとした顔つきになって、声も低く抑え、呟くように言った。そのつんとするために敢えて細められたような目の中に、それでも黄色の炎が映り込んで、なんだかちぐはぐなことになっている。火事だぞ、熱狂しないとか、離婚するからとか、それどころじゃないよね、それに、つんとした顔、できてないよ、炎、映り込んじゃってるよ、と思う私の方もそれどころじゃない筈、でもそうか、そりゃぁそうか、我々はどんな時も熱狂をしなかった。

 隣家のいちょうが燃え上がって、何なら火の手は隣家の壁と屋根にもうつりかけている。末期の、熱狂しない夫婦は、離婚を言い出すタイミングを計りながら、静かに火を眺めている。けれども。さすがに。

「火事・・・・・・か」

「火事・・・・・・ね」

「火事、火事、火事ですよ」

「火事ですよ。出て来て下さーい! 逃げて下さい! 火事ですよ!」

「火事だ! 火事だ!」

「火事ですよ! 火事! 火事!」

「110番じゃないや119番するね」

「うん」

 私は隣家の玄関に回り込んで、ドンドンドン、ドアを叩き、呼び鈴も鳴らしながら火事ですよ、斉藤さん、火事! 火事! と必死のように叫びながら、ちらっと凍子の方を見れば、やはり必死のように、携帯で通報している。

 

 幸い、いちょうが燃えただけで火は消し止められた。誰も死ななかった。たき火の、不始末。その日の夜に斉藤さんが来て、謝罪とお礼を言って帰った後で、私達は離婚するということで合意した。

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いちょうが燃えた日の話 天丘 歩太郎 @amaokasyouin

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