第2話

少しでも気を抜くと、つい悔しさが込み上げて来そうになるのを、「耐えがたきを耐え……」などと呻いて自分を鼓舞しつつ宥めつつ慈悲深い表情の練習をしてみたりしながら、とりあえず去年は比較的楽しくB沼出張所にたどり着くことができたのである。が、今年もまたそのB沼出張所へ行けという。去年はたまたまイベントが発生したから良かったものの、今年もそううまく何か起こってくれるとは思えない。面倒くさい。

 面倒くさいから、本当は母親から連絡のあった翌日即ち八月十七日木曜日に行くと約束したのを、睡眠の周期の問題もあって明日でいいか、と寝過ごした明日というのが即ち今日、十八日の金曜日。仮に、今日を外すと、土日は役所が休みだから、月曜まで取れないことになる。しかし期限は明日土曜日には神戸必着とされている(この期限に一体どれほどの拘束性があるのか不明だが、とにかく母親は土曜日には着くよう送れと昨夜も釘を刺して来た)から、遅くとも本日中に住民票を取って速達で送る必要がある。

 で、今、金曜日の午前七時三十分、私はB沼出張所の近くに見付けた児童遊園でアクエリアス(五百の缶)を飲みながら、営業が開始される九時までの一時間三十分をどのように過ごすかについて考えている。

 何故こんなに早く来てしまったか。私にも役所が九時から始まるというくらいの常識はあった。なのに何故こんな時間に着いてしまったのか。

 昨日、目覚めたのが十四時三十分だったからである。私の睡眠時間はまちまちだが、起きている時間、つまり睡眠から覚めて、再び眠りたくなるまでの期間はほぼ一定で、十八時間と決まっている。昨日十四時三十分に目覚めたからには、その十八時間後である本日の八時三十分に再び眠りたくなる計算になる。ところが仮に八時三十分に眠り始めた場合、恐らく目覚めるのは早くとも一八時、遅ければ二十一時を過ぎると予想される。無論出張所は閉まっている。住民票を取れなくなる。母親に怒られる。

 で、朝四時頃、少し周期を早めて、三、四時間でも前もって眠ろうか、とも考え、実際布団に潜ったがダメ、眠れない。寝なきゃ寝なきゃと思うと眠れないことは子どもの頃から経験しているので、まあ、寝なくてもいいんだけどね、と思い思い寝返りを打ち痒くなった所を掻いたりしているうち、少し眠気を感じると、お、これは眠れるかも、眠れるなら眠りたい、眠りたいと考えてしまい心臓がドキドキして目が覚めてしまう。これを三度繰り返して午前六時三十分、「無理」、と殊更明瞭な発音で呟いてあきらめ、起き上がった。風呂に入った。全身を洗った。頭を特に洗った。歯を磨いた。家にいて、ふとんを見ていると何だか癪で、お腹が空いていたこともあって、取り敢えず部屋を出た。この時点でまだ滴る程濡れそぼっていた髪の毛が、西武線A原駅に着く頃には完全に乾いていた。朝からそれ程の、暑さであった。もちろん髪の根本は頭皮から滲み湧く真新しい皮脂にまみれていたのだろうけれど。

 駅構内の立ち食い蕎麦で空腹を満たし、池袋行普通列車にて一駅、見覚えのあるB沼駅に到着したのが七時少し前。今年のB沼の空は晴天でバスに泥をかけられるということもないだろうから、まあ散歩でも気取ってゆっくり歩けばいい時間になるだろうと踏んで歩き出したところ、特別立ち止まってみようと思うような景色にも出会えず、ただ暑い、暑いと額や首筋や胸板の汗を手の平で拭って街路樹の幹になすり付けたりしているうちに、とにかく早く出張所に行って事を済ませ、家に帰りたいものだと思い始め、どんなに自分が急いでもしかし出張所が九時までは開いていないことも忘れていつの間にか早足で歩き始めた結果、案外早く到着してしまったのがつい五分前。ひっそりと静まりかえった役場の雰囲気に、今がまだ七時三十分であることを思い出し、「あ、急いだけど、急いだけれども」と喘いで、とりあえず水分を取ろうと思い、自販機でアクエリアスを買って、公園のブランコに座っている今私は汗みずく。

 こうして、既にB沼出張所に来て住民課がオープンするのを待っている段階から書き始めたことからも分かる通り今年、少なくとも行きの道すがら、取り立ててイベントはなかったのである。ただ一つ、もしかするとこの後イベントの種になって来るかも知れない予感があるとすれば、両足の付け根に感じている痛みくらいであろうか。B沼駅からここへ向かって、十分程歩いた時点から、恐らくは汗を掻き過ぎたこと、最近歩き慣れていなかったこと、などが因をなして左右の股の内側が、互い摩擦に耐えかねて炎症を起こし始めたのだ。だがこれをいわゆる「股擦れ」と言って片付けてしまうと嘘になる。より正直に言えば、私は足も含めて全身痩せているから、単に歩行運動をした際、左腿と右腿が擦れるということは構造的・物理的に言って起こり得ないのである。では何かと言うに、犯人はふぐりであろうと考えられる。暑さのために完全にしな垂れ、粘着質の汗にまみれたふぐりが、一足ごとに左右の内股に張り付き、剥がれ、というのを繰り返したことで、股ずれに似た症状を引き起こしている、というのが私の読みである。それが何より証拠には、どうやらふぐり自体も痛いのである。しかしイベントというにはあまりに小さく、あまりに卑猥であるし、またもっと純粋に、痛いのは嫌だから敢えて私は痛くないことにした。しかし痛くない痛くない、と念じることは寧ろ刻一刻痛んでいることを裏付けることだから痛くない痛くないとすら考えない。痛くても別にいいんだけどねなどとも考えない。意識から完全に取り払うのである。これは昔見た戦争映画のワンシーンから学んだ方法である。そのシーンまでの経緯についてはうろ覚えだが――とにかく何らかの事情があって腹部に弾丸を撃ち込まれた状態で荒野を走らねばならぬ状況の戦士が上官に、

「痛いです。」

 という主旨の泣き言を言う。すると上官は、

「痛みを無視しろ。」

 と言う。

 戦士は痛みを無視して走り続ける。――私は感銘に打たれた。やはり人間の本質はその肉にではなく精神にあるのだと知った。それ以来私は転んで膝を擦り剥く、ドアに挟んで指に血豆を作るなど痛いことがあるごとにあの戦士を見習って痛みを無視した。更にこれを自分なりにアレンジして肉体の痛みだけではなく、精神的な苦しみまでも無視しようと試みて、最近では例えばパチスロに負け過ぎて親に内緒の借金が120万程できてしまっている(※友達からの分を含む)のを考えて気分が滅入り込みそうになるのを無視して借金なんてしていない気持になろうとしたり、あるいは恐らく今年もまた卒業できそうにない予感がして焦燥に駆られそうになってもこれを無視し、卒業できるつもりに、いやもっと押し進めて既に卒業したつもりになって心を落ち着けたりもしている。巷に言う自己暗示、ポジティブシンキングである。それで今も、股ぐらのヒリヒリ痛むのをないものとして、何かイベントは起こらぬものかと辺りを見回している。

 ところでイベントイベントと一体、お前はそんなことを普段本当に考えてるのか? と言われそうだが、――考えてます。今から言うことも右に書いた自己暗示と結局通じるのだが、私は生まれつきのめんどくさがりで、まあそのことは今年もまだ三度目の四年生(通算すると七年生!)であることからも推測されるだろうが、とかく、何でもかんでも「用事」と名の付くものが億劫に感じられてしまうのだ。すべきこと、趣向には適わないけれどもしなければならないこと……例えばアルバイトなどもう面倒くさ過ぎてとてもではないが、素面でできるものではない。今はネット回線をテレマーケティングする仕事をしているが、例えばこれだって金のため、生活のため、などという真面目な動機付けだけでこなすにはあまりに苦し過ぎるから、自分をFBIの潜入調査員に見立てたり、あるいは人と人とは合わせ鏡とはよく言うが、それが電話、声だけの関係においても当てはまるのかを実験している心理学者のつもりになったりしている。ちなみに何を潜入調査しているのかと言うと、個人情報保護法はどの程度守られているか、である。個人情報が流出するとテレビでニュースにされる程最近は問題になるらしいが、おやおや、私の調査で分かったことは、少なくとも私のバイト先では、コンプライアンスが聞いて呆れる、バイトの人間でも簡単に持ち出せるような形で名簿が管理されているじゃないか。こんなので大丈夫なんですか? 持ち出しちゃいますよ? 強請(ゆす)っちゃいますよ? といつの間にか潜入調査員から企業相手に強請をかけて一夜にして億単位の金を荒稼ぎしようとする者に成り代わってみたりもたまにする。そして人と人とは電話の関係においても合わせ鏡であるか、の実験の方は、結論から言うと、否であるように思う。こちらが溌剌快活なトーンで喋るとどうも相手は電話をすぐに切りたがるし、逆に、控えめな落ち着いた声色で喋ると案外最後まで聞いてくれる。とはいえこの実験では、見ず知らずの他人がいきなり予想もしなかった主旨の電話、早い話が押し売りの電話をかけて来るわけだから、一概に、人と人とは合わせ鏡という法則が電話に於いては当てはまらないという結論を導き出せるわけではない。友達同士などではやはり電話でも、こちらが明るく振る舞えば相手も楽しそうに相槌を打つだろうし、暗鬱な調子で喋ったら、相手も自然暗くなりがちではあろう。と、こんなことは誰でも簡単に想像のつくことで、結局不毛な実験には違いないのだが、要は、そんな風に自分を何かに見立てて現実逃避する傾きが私にはあるということで、例えば今日のように、紙切れ一枚のために睡眠の周期を乱して猛暑の中、二キロも往復しなければならないというような用事の際は、そりゃぁもう何かで現実逃避でもしなければやっていられない。

 それでもさすがに、何らのきっかけもなく妄想に入ることは難しく、去年バスに泥を跳ねられたことのような、小さくてもいいから、こじつけでもいいから、何かしらきっかけくらいは欲しいから、やせ細って毛並みも悪く、目には大量のヤニをたたえたかわいそうな老犬でもやって来ないものかと思って辺りを見回して見当らず、アクエリアスも飲み干してしまって後一時間二十分。……退屈。しかし決して退屈、退屈、などと私は呟かない。ただでさえ退屈なのに、更に輪をかけて退屈という暗示がかかってしまう。「退屈を無視しろ」「イェッサー、アイ、トライ」と、あの映画の上官に向かって陸軍式に敬礼、笑う門には福来たるの精神でブランコに揺れながらにっと口角を上げてみた、その時である。

 さっと風が吹いた。それが北風か東風かは分からない。いや、――南からだったに違いない。あれはどうしても南風だった。――煮こごったミルクの立てる湯気と、熱帯の食虫植物の新芽が未明に放つ呼気とが混じり合ったような匂いが、微かに、でも確かに、私の鼻先をかすめたのである。が、あいにくその匂いを感じた時、私の呼吸は吸っている段階で、しかも吸い始めではなくてもはや八割方吸ってしまって、もうすぐ吐くという所だったから、ん、匂った、と思った直後にはもう息を吐き始めなければならなかった。仕方ないからとりあえず全部息を吐いて、今一瞬だけ感じた若い肉の匂いをもう一度、しっかりと、嗅ぎ取るために、再び空気を吸い始めた時には、しかし既に南風が止んで、悲しいかな、私の鼻孔に感じられたのはもはや嗅ぎ飽きた自分の体臭のみであった。畜生、風め、と歯噛みして、もう三、四度、私は目を瞑って口を閉じ、全神経を嗅覚に集めて空気を吸い込んだ――が――もう南風は吹かなかった。

「だが絶対に嗅いだぞ。錯覚でも幻覚でもなく確かに俺は、この鼻に、まだ新しい身体の放つ……」

 と、言いかけたことも途中で放り出して私はブランコから降りた。そうしてあの、きっと南風に違いない風が、どの方向から吹いて来たかを、これは皮膚感覚に頼って思い出そうとした。首筋がそれを覚えていた。左斜め後ろ、七時の方向からあの風は確かに吹いた。私は踵を返し、その方向に匂いの元を求めて歩き始めた。

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