赦す人 潜入調査員や心理学者 真夏の変態 修験僧
天丘 歩太郎
第1話
父親の扶養家族としての保険証の更新手続きのために、在学証明と住民票が必要である、ついては土曜日には神戸の実家に着くように送って欲しい、と母親から連絡があったのが一昨日。一昨日とは0六年八月の十六日、水曜日の夜。
在学証明は就職活動のためにまとめて取っておいたものが二、三枚余っていたからそれを流用することにして、住民票はストックなどないから改めて区役所、もしくは出張所に取りに行く必要があった。※コンビニでも取れるようなことも聞いたがそのやり方を調べることが私には難しい。
面倒だな、と思ったのは、比較的近場にあるA原出張所が二年か三年程前に業務を縮小して、住民票を取り扱うことをやめたため、この暑い中、B沼の出張所にまで出向かなければならないことを思ったからである。B沼の出張所には、去年のこの時期にも同じ目的で出向いたことがあるが、ろくに地図を調べもせずに、名前からして最寄りはB沼駅であろう、そして駅からちょっと見渡せばすぐに見付けられる位置にあるのであろう、と何故か強く思い込んでいたのに、はてホームに降り立って、四方に視線を巡らしてみると、それらしい建物が見当らない。※私はスマホを持っていない。
取り敢えず改札を抜け、おあつらえ向きなまでに真っ正面、視界に飛び込んで来た交番で、道を尋ねた。確かに「B沼出張所にはどう行けばいいでしょうか」と、道を尋ねる尋ね方はしたけれども、どうせ目と鼻の先にあるのだろう、ただちょっと別の建物の陰になって見当らないだけなのだろうと内心は思っていたから、道を尋ねるというよりは、どの建物の陰に隠れているのかを教えてもらうという気持だった。が、意に反してお巡りさんは、「赤塚出張所? 歩いて行くの?」などと言う。「結構遠いよ。二キロくらいかな」
「あ、そうなんですか……」
「うん。そこから、バス出てるから、バスで行ったら。雨だし」
その日は雨が降っていたのである。風もわりかし吹いていた。当時お守り代わりに持ち歩いていた芥川賞全集の入った手提げ鞄を持って、傘をさして、二キロも歩くのは憂鬱、とは思ったが、あいにく私はバスに乗ることができないので、歩くしかなかった。※酔うから。
それでも、バスには僕、乗れないのです、などと言って、変な奴、と思われるのが嫌で、お巡りさんには、「じゃあ、そうします、ありがとうございます」と嘘を言って、交番を後にした。結局、B沼出張所までの歩き方は聴取できなかった。
が、まあ、およその方向だけは分かったのだから、バス通りに沿って、看板などにも注意を払いつつ歩けば行けるだろうとタカを括って進み出した私の右側を、ちょうどバスが、B沼張所前を経由する筈のバスが、追い抜いて行った。それは別にいい。私は自分の都合でバスに乗れないわけだから、追い抜いて行ってもらって一向に構わない。ただ、そのタイヤが跳ねた泥水が、少しだけ、私のジーンズに飛び散った。一本しか、持ち合わせていない大切なジーンズだった。イベントが発生した、と思った。この雨の中を、重たい無意味な荷物を持って、傘をさして二キロ近く歩くのは確かにめんどくさい。しかし、この雨の中をバス、許すまじ、己バスめと、血相を変えておめきながら私がバスを追ったなら、この道程は、少なくともただ単にめんどくさいだけのものではなくなる。もちろん、泥を跳ね上げられたことに、本気で怒ってしまったわけではないけれど、本気で怒ったふりをして、こらぁ、と人に聞こえぬ音量で叫び呟きながら、生身のしかも虚弱な身体で雨の中、巨大な敵、バスを追い回す俺、というイメージ・構図を作ることで、このひたすら面倒な道行きに意味を与えられると思った。それは自己欺瞞で、現実逃避には違いなかったが、しかし走ることで出張所に素早く到着できるという実利的な効果も見込める素敵な着想に思われたから、私はわざと二秒の間、ジーンズの泥が跳ねた所――と言っても実はもともと雨に十分濡れていたので、特別これがバスに跳ねられた跡、というのは見分けがつかなかったがとにかくこの辺と思う所――を寂しそうに人差し指で撫でてから、この野郎めが! と、これが「叫び」であることを演出するために掠れた喉を作りしかし周囲を通行する人々には絶対に聞こえぬ小声で「叫び」、だっと、駆け出した。
と、すぐにバスが停車ランプを光らせて速度を落とし、やがて道の端に止まってしまった。停留所ではないのに、なんだろう、エンストか、天罰か、と不思議に思いながら私は走り続け、ついにバスに追いつき、見ると、ぷしゅー、バスは乗り込み口を開けている。はっはん、私がこのバスに乗り込みたくて、でも置いて行かれてしまって必死になって走って来た間抜けな客であると、このバスは勘違いをしたものらしい。私が、実は、泥を跳ね上げられたことに怒り狂ってお前をぼこぼこにする目的で走っているふりをしている人間だということにも気付かずに、のほほんと大口開けて、ここは停留所ではないけど、雨も降っているし、君があまりに必死なものだから、特例で乗せて上げる、さあ乗れよ、みたいな顔をしてバスは止まっている。めでたいバスだなこりゃ、こりゃ、こりゃめでたいよ、と嘲笑う気持もある一方で、このバスは、正確にはその運転士は、あわれな私を乗せてくれようとして止まってくれたのだということに、なかなか人の世も捨てたものではないな、という感慨が湧いたのもまた事実。例え、ごっこ遊びであったにはせよ、真面目に日々のお仕事をやっておられるバスとその運転士を自分の勝手に作り上げた「泥を跳ねて素知らぬ顔の怪物VS私」という即興劇に巻き込んで迷惑をかけてしまった自分は二十四にもなって恥ずかしい人間だと思った。……「怠惰」という二字のみを原因として二度も留年している私を広い心で許してくれている父。何とか今年は卒業しないとダメだよ、もうお父さんも定年なんだからね、あんたがしっかりしてくれないともうダメなんだよ、という小言メールと毎月の仕送りをこの六年間欠かすことなく送り続けてくれる母、その母がたった一つ私に要求した仕事、即ち保険証の更新のために住民票を取って来るという仕事、というか、それは寧ろ、寧ろというまでもなく私のためで、私の事で、何も母が趣味や酔狂で住民票を取って来て、と頼んでいるわけではないのに、それを私は殊更にめんどくさがって、電話越しに、「え……めんどくさいんだけど……。去年も更新したのにまたですか」扶養されている身分でありながら、今年も扶養して上げるね、と申し出てくれる人に対してこの言い様、世間では、二十四にもなれば立派に就職してもはや妻子を養っている者もあると聞く、逆に親に仕送りをしている者さえあると聞く、それなのに私は未だ親に扶養される身で、恐らく、感触的には後一年もしくは二年は卒業できそうにないのを偽って「今年は大丈夫、頑張る、頑張ってるんだって!」と何故か苛立った口ぶりで父母に主張して、その実、その実……私は今日もバスを止めたりなんかしている……とは、恐らくその短い間に考えられはしなかったろうが、そういう感じの自己嫌悪には確かに襲われて立ち尽くしていた私に、いや、単純に走ったので息が切れて立ち尽くしていただけかも知れない私に、「乗らないの?」
と、さも迷惑そうな声が聞こえた。まだ年若い運転士の発した言葉であった。私はちょっと眉をひそめて考えようとした。つい十秒か十五秒前、個人的なイベントのために運転士の誤解を招いた自分を反省した所だったのに、この「乗らないの?」という運転士の言葉に、何故こうも今自分が不愉快を感じているのかを考えようとした。一つには単に、運転士の声色が必要以上に不愉快そうだったことが挙げられる。確かに私は個人的なイベントを勝手に発生させて、必死の形相でバスを追ったから、運転士に誤解をされても仕方がない。けれども、誤解させたのは私だが、誤解したのは貴様、運転士の方で、この場合、誤解させた人と、誤解した人と、どちらが悪いのかと言えば、一概にどっちとは言えぬのではないか。「誤解させてごめんね」と一方が言ったなら、「誤解してごめんね」ともう一方が言って円満解決、それが人の道というものであう、誤解とは、……とここまで考えて、いや、この論旨にはちょっと無理があると気付いた。明らかに誤解されるような行動を取っちゃった側がやはり世間では悪いと判断されるよな、李下に冠正しちゃった人が悪いよな、と思い直し、改めて別の糸口からこの不快感を究明、ひいては自己の正当性を樹立するための論理を見付けようとして更に眉をひそめ、首を傾げて考えていたところ、運転士はこっちの都合も考えずまるで一方的にドアを閉めざま、
「何だよこいつ」
と、小ばかにしたような捨て台詞を吐いて、バスを発進させた。多分必要以上にエンジンを吹かしたのであろう夥しい量の、排気ガスを私の全身に浴びせかけて。黒い粉塵にむせびながら、いや、こんなぬるいガス攻撃ごときでむせぶ俺であるものかと己の気管支に言い聞かせたがどうしてもこほっ、こほっ、むせてしまい、私は全筋力で眉をひそめ、口をすぼませさえして考えた。そうして気が付いた。あ! そうだ! そもそも私は怒っていたのだ! 私はあのバスに泥水を跳ねかけられて、それで怒ってバスを追っていたのだ! だからこれは「誤解させた」「誤解した」という次元で考えるべき事態ではなく、もっと単純に、完全無欠に、悪いのはバス、運転士の方だったのだ! 私は被害者で! それを私は、まあ、わざとのことでもあるまいしと思ったから泥を跳ねられたことに関しては本気で怒ることはせずバスを許してやって、それでもただ漫然と二キロ歩くのが退屈でやり切れなかったからドラマ仕立てに怒ったふりして追いかけてみていたのを、あの運転士は、自分が追いかけられるに値することをしでかしてしまったものとはつゆ知らず、「乗らないの?」などと不快そうに言うことで、バスに乗りたくて走って来た私と、その私を不憫に思って止まってやった運転士という構図を巧みに作り上げ――捏造――、更には一本きりのジーンズに泥を跳ねられたことを忘れて自らの不快感の原因について考察したがまとまらず失語してしまっていた私に対し、「何だよこいつ」とやはり自らの罪に無自覚のまま捨て台詞を吐くことで、即ち「変人」というレッテルを私の額に一方的に貼り付けて――ファシズム――挙げ句、排気ガスをさえこれ見よがしに吹き付けて去ったのだ! まとめると……確かに私は、泥を跳ねられたことを許した。しかし運転士は自分が私によって許されたということも知らず、ただ私を変人扱いにした。それを踏まえれば何も誤解がどうの李下がどうのと考えずとも私の正当性は明らかで、あまりにも明らかで、しかしもうバスは遠のいて百メートル彼方の十字路を直進している。靄の向こうに去って行く。今からでは追いつけまい。折しも目前の信号機が赤に変わるのが見えた。
私は、オイ、オイ、オイ。オイオイオイ。と、もう呼び掛けるというのでもなく一人呟きながら、しかしそれを押して、それを曲げて、更に、改めて、もう一度、許そうと思った。何故ならこれ以上むかつくのは心臓に悪いと思ったし、むかついても何をしてももうバスには追いつけないから無意味であるし、それならば逆に、いわれのない侮辱を受けながらそれを微笑して許す人、二度までも不埒な運転士を許し続けて風雨の中を歩む人、という風に自分を位置付けることで、このB沼出張所までの道のりに新しい意味を与えることにしたのである。せざるを得なかったのである。――泥を跳ねかけられたことを私は許したのだ、排気ガスを浴びせられたことも私は許そう。自分が勝手に誤解したくせに人を変人扱いにした運転士を私は許し、雨の降らない車内からずぶ濡れの私を見降ろしてご満悦だった乗客をも許し、私は独り雨に濡れて、風に冷やされて、それは夏だから涼しくていいのだけれど、仮に冬なら木枯らしに凍えて歩みながら私は、これからすれ違う人も、追い抜いて行く人も全て、許しましょう、赦し尽くしましょう……という人物になり切って、もはや傘などは路傍に捨てた。
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