第2話
最高気温が四十度近くになるだろうと予報された八月半ばの日曜日を、室田家の三人は木蔭で過ごしていた。できるだけ家にいたくなかった。それで公園を巡った。朝は四時半頃には家を出て、夜六時半くらいまでを公園で過ごすつもりだ。喫茶店とかファミレス等も利用はしてみたがせいぜい90分だか粘って120分くらいしか潰せない。ハシゴすれば出費がかさむ。結局公園とか緑地を巡るパターンに定着した。この暑い時期に難儀なことだが家よりはよほどマシだった。暑いだの寒いだのは幸せな家に住む者の贅沢だ。
昔はお城だったという小高い台地の西半分に梅の木を植え、東半分に芝を敷いて緑地にし、市だか県だかが管理している。今ではお堀も石垣も気配さえ残っていないから、芝エリアの真ん中に建てられた石碑に「〇〇城跡」と記載がなければここに城があったとは分からない。
この台地には車で上がってくることはできず、土と木材とで組まれた急な階段を歩いて登るしかないが登ったところで遊具や噴水等、一切なく、ただ梅の林と芝の空き地があり、他には腐りかけたようなベンチとテーブルがあるだけだ。子どもには面白くないし、老人の散歩としてはちょっと階段が急すぎる。ほとんど利用者はないのだ。一日中誰一人訪れない日もあるような場所。それが、ただ静かに長い時間外にいたいというだけの室田家にとっては絶好の穴場だった。
「貸し切りみたいだね」
と何度目かにここを訪れた朝に娘がうれしそうに目を輝かせ言ったことがある。貸し切りみたい、確かにそうなのだが、貸し切りみたいだと思っている所へもし誰かが来てしまうとちょっと残念な気持ちになるから、それが嫌で哲志は黙って肯定するでも否定するでもない顔をしていたが実際その日一日が過ぎてみて誰も来なかったので、「貸し切りだったなぁ」と、しみじみ応えたものである。以来土日は毎週ここで過ごすようになった。
西側に梅林で東側に芝が敷かれているが、その芝の広場を囲むようにして、全部で四組、木製のベンチとテーブルが設置されている。太陽の移動とともに日陰も移動するので、それを追って家族は四つのベンチを使い分けるのである。四組全部が日向になってしまう時間帯もなくはないが、大抵、少なくとも一つはうまい具合に日陰になっているのだった。
ベンチもテーブルも汚く、カビや苔に侵され、虫食いの穴が空いてそこに何やら得体の知れない有機物がはまり込んでよくよく見ると微妙に運動しているようであったりというベンチに直接座るのはためらわれるので(最初に来た日には我慢して座ったが)、持参したダンボールをベンチに敷き、テーブルにはレジャーシートを広げる。外用の強力な蚊取り線香を三つ同時に焚く。虫除けも一応塗るのだが、一瞬で汗に流されてしまうのだ。そうして哲志はそんな環境でもできる範囲の仕事をしてみたり、半分趣味、半分は仕事に活かせるかもとの思いで勉強し始めたパソコン系の資格試験の参考書を広げたりした。妻は主に小説を読み、娘は受験勉強をした。図書館は机の利用は一時間までと制限されていた時期で、一時間ではお話にならない。
もちろん真夏のことだから、日陰日陰と言ったって暑い。汗もかく。けれども、運動するわけではなく、ただ座っているだけだ。汗が不愉快なのは汗をかきたくないと思うのにかいてしまうことが不愉快なのであってかいてもいいと割り切った瞬間何でもなくなる。サウナが不愉快ではないように。何とかなる。水分も取るし熱中症になどならない。三人はそれぞれに汗をかいてそれぞれの体臭を放ち朝よりも昼、昼よりも夕方と時間が経つにつれてだんだん臭くなるのだったが、そのことで誰かを責めようとは思わない。一日中じわじわ汗をかいて体力を奪われると、夜には何とか眠れるのだった。
正午過ぎになって、哲志はひとり階段を下り、ちょっと歩いた所にあるコンビニでそうめんやおにぎりやチキンなど買って戻った。ランチだ。そうめんをほぐすための水の小袋を開ける際、娘が誤ってぴゅっと水を飛ばしてしまい、妻の腹のあたりにかかってしまった。すぐに「ごめん」と娘が謝ると、妻は人差し指と中指を合わせて水のかかった部分をひと撫ですると、「麺つゆの方じゃなくって、よかったわ」
と笑った。どうせ汗みずくなのだ。
娘は一瞬哲志の方を見て、目が合うとちょっとにっこりしてから今度は慎重に水の袋を開け、麺にかける。妻は最近明るくなった。もともと潔癖の傾向があったが、ここ数ヶ月の間、土日だけではあるが日中をほとんど野外で過ごす内に細かいことを気にしなくなった。悪いことばかりではないのだ、と哲志は思う。思いながら、麺つゆの袋を開けているとぴゅっと飛んで妻の服の左肩のあたりを汚した。
「ごめん」
と哲志が言うと、妻は肩口をつまんでひっぱり上げるようにして薄茶色に汚れてしまったのを確認すると、けたけたとおおらかに笑い始め、娘も笑う。ぶるぶると犬みたいに妻が顔を振って、汗のしぶきが飛び散る。「おいおい」と哲志は手をかざしてそのしぶきを防ぎながらやはり笑う。娘がそうめんをすすり、むせ、むせたのがおかしくてまた笑う。悪いことばかりではないのだと哲志は改めて思う。仮に今後引っ越しをして、家の中で快適にいられる環境になったとしても、たまにはこんな風に家族で公園に来る習慣が残ればいい、と思った。思えば家の中では、三人がこんなに長い時間一緒にいたことなどなかった。娘の前で仕事したり、仕事をしながら娘の勉強している姿を見るともなく見たり、妻が隣で本を読んでいたり、そういう時間というのは家の中では、なかった。ああ、なかったよな、なかったよなと急に哲志は満たされる思いがして、とうとう口に出して、
「悪いことばかりじゃなかったと俺は思うんだよな。本当に、強がりじゃなく。別に未来に、この時期を思い返したときに笑えるだろうとか、いい経験になるだろうとか、そんなまどろっこしいことを思うんじゃなくて。ただ。今日この瞬間がこの瞬間のためだけに楽しくて楽しんでいるのは未来でも過去でもなくこの瞬間の俺の心、ていうか。結婚してくれてありがとう。俺たちの子どもに生まれてきてくれてありがとう。急にごめんな。でも後先の話しじゃなくて、なんていうか、」
ぬぅぅぅおおおおおおあああああぁあぁぁっへ!
と牛糞俵さんの音がした。室田家一同は凍り付く。
貸し切りではないから誰が来たって当たり前なのだ。牛糞俵さんが来たっていいのだ。貸し切りではないのだ。 ベンチとテーブルは芝生のエリアを囲む形で正確にではないがだいたい東西南北にひとつずつ設置されており、この時室田家は南の一組を使用していた。南を向いて妻と娘が並んで座り、テーブルを挟んだ向かい側に北を向いて哲志が座るという位置関係。哲志は言いかけた言葉と感情を引っ込めて、引きつるな引きつるなと念じてテーブルのレジャーシートの一点を見つめる。妻や娘の顔を見るのが嫌だった。が視界の端では妻も娘もどうやら固まって哲志と同じようにレジャーシートを見ているらしかった。哲志は泣きそうな気分だった。子どもの頃おばあちゃんに買ってもらった野球盤が三日ほど遊んだだけで壊れて、バットが全然振れなくなってしまった時にも泣きそうになった、というかあのときは実際わんわん泣いた、叫んだ、あれは悲しいと言うより怒りに近かった。同じように今泣きそうになっていた。んんんぁぁぁあぁあああああ、ゑ!
と牛糞俵さんの音が更に聞こえてくる。北側の階段を登って来るらしいがまだ姿は見えない。
ぅぅぅぅああああああつい、あつい、はぁ、はぁ、あつい、あぁぁぁづいよねぇぇぇ。
と牛糞俵さんの音が更に近くなり、哲志はどうしたらいいのか分からず、じっと、その分子構造を見抜こうとするかのようにじいっとレジャーシートの編み目模様の一つを凝視していたが、その視界の上の端っこの方、ちょうど妻と娘の肩と首の隙間が作る縄文土器のような形状の風景の中に何か黒っぽいものがちらつき、よろめいた。言うまでもなく牛糞俵さんだ。妻と娘の肩と首の間に哲志は視線を上げて、その黒っぽいものを注視する。するとそれはなんと牛糞俵さんなのだった。だからそうなのだ。牛糞俵さんなのだ。なんと、他ではないのだ。牛糞俵さんがこの公園にも現れたのだ。
父の視線の先を追おうとして娘が振り返りそうになるのを、
「見ちゃダメ!」
と哲志が、ではなく、妻がほとんど叫ぶみたいな声で止めるのだった。娘はびくっと驚いた風に目を見開いて妻の顔を見る。妻は娘の視線を横顔に感じながら決して娘の方を見ようとはせず、つまりレジャーシートの分子構造の秘密を暴こうとする者のふり。ふり。そんな分子に何の興味もないのにこれでもかと妻の目が血走る。どうしたらいいのだと哲志は泣きながらバットのレバーをぐちゃぐちゃに回した。今後長く、お父さんやお母さんやお兄ちゃんや友達とこれで遊ぶ筈だったのに? 今後? 今後の話しではなかったのだ。今後なんてどうだっていいのだ。おばあちゃんが買ってくれたこれのバットが今動かなかった。明日のことなんてあの日何も考えてはいなかった。明日遊べなくなるから? 明後日遊べなくなるから? そんな永遠に続く未来のどの一点のことを思って泣いたのでもなかった。今バットが振られないということだけが無性に悔しく、途方もなく情けなかった。おばあちゃんは困った顔でまた買ってあげるからと言い母が叱り父がいいかげんにしろとぶち切れていた。ぶち切れているのは哲志の方なのに重ねてきやがったのだ! あいつは! ただ大切な、大好きなものが壊れてもう動かないということ。牛糞俵さんは北の階段を登ってこの台地の北から当たり前のように入って来たのだ。何故なら牛糞俵さんは南ではなく東でもなく西でもなく、北の階段を登って来たからだ。そして近隣住民が散歩をしてもここは良い場所だから当たり前に牛糞俵さんは入って来たのだ。貸し切りではないから。バットが全然動かないから。中身で乾いた音だけがして全く空回りだから。投手の成績だけがうなぎ登りに登り詰め、それは攻守交代しても変わらぬのだ。両軍の投手の成績だけがこれでもかこれでもかとらせんを描いて空まで伸びていくだけなのだ。そんなことがしたいんじゃないのに! どうしたらいいんだ! どうしたらいいんだ! じゃあどうしたらいいんだ! と哲志は野球盤の三遊間のあたりに思いっきりかかと落としをしてぺしゃんこにへこませたのだった。哲志! と母が叫び、既に切れていた父は更に切れて哲志の横面を指輪をはめたまんまの拳で思い切りぶん殴って来た。幼児が何をしたところであんな暴力を振るっていいわけがなかった。それでも哲志はそれでやっと野球盤と自己との間に蹴りをつけられたと思った。百回同じ状況になったら、千回同じ事をするだろうと思った。一万回殴られてもそうするだろうとも思った。いつまでも動かないバットのレバーを回し続けるよりは全部ぶち壊してぶん殴られた方がさっぱりしていい。はぁ、はぁ、あっつい、あっついわぁぁぁああ、い、いぃぃぃぃへっしょ! YA! 牛糞俵さんはアレルギー性鼻炎なのだろうか? いつもくしゃみが止まらない。ブタクサ? ダニ? 室田家は牛糞俵さんアレルギーだ。
「今日は、これくらいで帰りましょうか。いくら何でも暑すぎるわね」
と妻が哲志に言う、その横で娘が静かにうんうんとうなずいている。この場合動かないバットというのが何で野球盤が何で牛糞俵さんが何に当たるのか。俺は何に向かってかかとを打ち付けたいのか。野球盤が大好きで大切なものだったのだとすればつまり家族か。じゃあ壊れたバットとは今なんだ? 何が今機能しないというのか? 機能してはいけないというのか? 押してもひねっても全然動かないで空回りしてるものとは今一体何だ? すぱん、すぱん、すぱん、すぱん、すぱん、すぱん、すぱん、すぱん、すぱん全部ストライクなのだ、牛糞俵さんの出す音が全部室田家のストライクゾーンを犯して室田家はバットを振らず何がバットなのかすら分からないまま泣きべそだけをかいて木偶のようなノーガードだ。すぱん、いいぃぃぃYA! すぱん、はぁぁぁあああぶりり、すぱん、たちゃたら~ちゃっちゃぃふんふ~すぱん逃げてきた、やっと見つけたと思った逃げ場所にすら牛糞俵さんが来てしまった。あぁぁぁ、うううぅぅぅーーーーん! へっ! ストライク。あの日三遊間をくだいたかかとを今日はどこに打ちつけろというのだ。
「ね。早く食べちゃって。今日は帰りましょ。いくら何でも暑すぎるわ」
妻が娘に言い、自らも急いで、麺をつゆにつける暇も惜しんでつゆを全部麺の方にかけ、トレイに口をつけて一息に吸い込む。娘も同じようにする。麺を吸い込む二人の隙間で小さい牛糞俵さんが両手を空に向かって突き上げて、うぅおおおおおおおおおおおおお体操のつもりだろうか。何故いちいち声を出すのだろうか。わざとやっているのだろうか。分からない。
「あなたも早く食べちゃってよ」
「どうしたのお父さん」
哲志はじっと牛糞俵さんの様子を見ていた。牛糞俵さんは日差しの中で体操している。いや野球盤のことは全然関係ないのだ。野球盤が何で、バットが何なのか、何にも当てはまらないし、たまたま思い出した昔の出来事というだけで今この状況とは何の関係もないのだ、それは当たり前のことだ。バットとは俺自身だとでも思おうとしたのか俺は。馬鹿げている。たまたま思い出しただけなのに。殴り殺すつもりでもいたのか馬鹿なのか。生活を守りたいんじゃないのか。逮捕されて人殺しの妻と人殺しの娘だぞ。あり得ない。だから帰るのか。そうだ。妻の言うとおりだ。明け渡すのか。そうだ。ここももう牛糞俵さんの領域。来週仮に俺たちが同じようにここに来て、もしも牛糞俵さんが一日現れなかったとしても、同じことなのだ。現れるかも知れないと思いながら過ごすのだ。残念なことにここはもういつ牛糞俵さんが来るかも知れないという場所になってしまった。
帰ろう。そうだ。そうめんを食べきって、ゴミを袋に詰めて、レジャーシートをたたんで、ダンボールを重ねて、帰ろう。でもその前にあいさつをしてもいいんじゃないか。何を言うわけではない。隣人を公園で見かけたのだからあいさつくらいはしてもおかしくないんじゃないか。隣人に気付きながらあいさつもなしに急に荷物を持って帰るというのがむしろ非常識な行為なんじゃないか。何を言おうというわけでもない。あいさつだけ。
「ちょっと、こんにちはって、言ってくるよ」
と哲志が立ち上がると、
「いいよやめときなよ」
と娘が眉を八の字にする。
「あいさつするだけだよ? 何を言おうってわけじゃない。ほんとにあいさつするだけだよ」
と哲志は笑って見せる。
妻は夫の真意を推し量るようにその顔を見つめていた。何も言わないのは、娘の主張に無言で賛成しているのか、哲志があいさつに行くことを黙認しているのか。
哲志が牛糞俵さんの方へ歩き始めると、いいの? と問いかけるような目で娘は妻の顔色をうかがい、どっちとも取りかねる妻の表情を見て、
「やめとけばいいのに」
と今度は半ば諦めたような小声で言った。
「あいさつだけ。本当にあいさつするだけ」
と、哲志は妻に念を押すように言い、妻の無言をとりあえず黙認の意味に取ると、一歩、二歩、三歩で日向に立った。太陽が溶けていた。一部が哲志の全身にしたたってべちょべちょになった。哲志は一瞬歩みを止めた。基本的に液体をかぶれば頭から顔、顎、胸、腹、尻、脚へといなして乾いてしまうようにできている哲志の身体の構造だから、太陽のしたたりもそのように下に流してしまえば良いのだが、いなしてもいなしてもつぎからつぎに太陽のとろけたのがびちゃあびちゃあと落ちてきて、手で払い落とそうにも、その手にも不完全燃焼の残滓がまとわりついていて、肥だめに肩まで浸かって身体を洗うようなものだった。最高気温は四十度近くなるだろうと予報された日曜日のことだった。再び哲志が歩き始めた時、牛糞俵さんが音もなく倒れたのだった。くずおれるのではなく、いきなり一本の棒になって、棒のまま前方に倒れた。不思議なくらい静かに倒れた。熱中症だろうか。
哲志は足を止めた。倒れた。牛糞俵さんが倒れた。だから、とか、にもかかわらず、とか、考えるにはあまりに陽射しがどろどろだった。特に何かを思ってということではなく、ただこの場に止まっているわけにはいかないからというくらいの意味で、もともと歩いて行こうとしていた方向へ、一歩踏み出した時、その左の手首がべったりとくるまれた。哲志の手首は濡れていたし、それをやわらかくくるんだ妻の右手も同じくらいには濡れていた。濡れた皮膚と濡れた皮膚がつるつる滑るようで摩擦力には欠け、ふりほどこうとすればするりと抜けてしまえるような不安定な輪っかなのに、これをふりほどくことはとても難しそうだった。
「やっぱり帰りましょう。いくら何でも今日は暑すぎるわね」
と妻は言うのだった。哲志が妻の顔を怪訝な、という程でもないが、疑問符の付いた顔で見つめると、妻はちょっと眉を上げて大人が子どもにするような作り笑いを哲志に見せ、肩をすくめて、「暑すぎるわ」と言う。きゅうっと指でつくった輪っかに力を込めて哲志の左手首を少し圧迫するのだった。妻の言わんとすることが分かると、――分かる、言いたいことは分かるが、娘もいるんだぞ、もし俺たち二人だけだったらまだそれもありえたのかも知れないが、ほら、――と哲志も悲しいような笑みをわざと作って妻に見せ、肩をすくめながら、目の動きで、ほら、娘が、と妻に伝える。分かるだろう? と目を細めて、諦めたように、念押しの笑みを作ってから、妻の右手の輪から手首を抜こうとする。力によってではなく、コミュニケーションとして、抜くよ、という意思表示として。分かるな? 分かるだろう? しかし抜けないのだった。おいおい、どうしたっていうんだ、手を離してくれなくちゃ、困るよ、と、今度ももちろん暴力としてではなく、コニュニケーションとして、哲志の左手首の妻の右手をほどくべく、哲志の右手をそっちの方へ加勢に向かわせようとするその右手首はいつの間にか娘の両手にしっかりつかまれていたのであり、
「わたしも暑い。もう帰りたい」
と娘は体重をかけて哲志の右腕を後ろへ引っ張る。もう小六だから最近はそんなこともなくなったが、もっと幼いときおもちゃだか人形だかをどうしても買ってくれとだだをこねたときにもこういう体勢だった。ふりほどけば簡単にふりほどけるのに、あんまりにも娘の手が柔らかくまとわりついてくるので、結局買ってやってばかりだった。気温は40度を超えていた。昼過ぎだった。今更になってわんわん蝉が鳴きまくっていることに気付く。この公園はほとんど室田家の貸し切りで、他に誰も来ない日も珍しくはないのだった。
了
牛糞俵さん、逝く 天丘 歩太郎 @amaokasyouin
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