全力節分
「先生、鬼は私がやります」
学級委員長が手を上げたのは六時間目の総合の時間だった。
節分の豆撒きをしようということでみんなで机を後ろに下げて、教室の前方に出来たスペースにみんなで丸くなって立っている。各々の手には小学校から配られた豆が握られている。
僕はちらりと委員長の方を見た。
眼鏡の奥の目は爛々と光っており、その頭には二本の角が生えている。五年二組の学級委員長は如月サキは鬼の子なのだ。
「そうよね、タクミ」
どうして僕に振るんだ。
「いや、でも、先生が的用意してくれてるし……」
「ああん?」
ああんて。完全にヤクザのそれで、本当に怖い。目が赤く光るのも怖いし、牙を剥き出しにするのも怖い。
牧野先生がせっかく「五年二組みんなで、悪い鬼をやっつけましょうね。サキちゃんは良い鬼だからね、一緒に悪い鬼を退治してくれるからね」と配慮してくれているのに、どうしてそれをぶち壊すようなことを。せっかく窓際に鬼の絵を描いた的まで用意してくれたのに。
「で、でもサキちゃん。豆をぶつけられたら痛いと思うよ?」
白髪が混じるおばちゃん先生は、仏のような顔で委員長を宥める。しかし、委員長の中では既に自分が鬼役をやるのは決定事項の様だった。
「大丈夫です、先生。人間ごときの腕力で私は倒されない」
……あれ、もう若干役に入ってないか?
教室にピシリと緊張が走った。
小学五年生にもなって豆撒きとかやってらんねぇよ、と全体的にへらへらしていた空気が、突如として人智を越える化け物と相対した絶望に取って代わる。
「わ、わかったわ」
牧野先生が委員長に気圧されて頷いた。
頷いて欲しくなかった。やめさせてほしい。そういうのは優しさとは言わない。力に屈しただけだ。先生負けるな。
委員長の口が三日月のように歪む。とても嬉しそうだ。怖い。
「じゃあ先生、これ」
自分の持っていた豆を先生に渡す委員長。先生の手は若干震えているように見える。
「私に当ててください」
委員長の声は静かに、しかし教室全体に響く。響くのは当たり前だ、五年二組のみんな、呼吸を忘れて二人の様子を見守っているのだから。
「お、おには~そと……」
下手投げでひょいと投げた豆が、委員長の胸に当たって落ちる。カツン、という虚しい音が響く。
「はっはっは。先生」
豆を拾って、先生に返す委員長。
「こんなんで鬼が倒せるわけないでしょう!」
急に大声を出すな!
先生が「ひぃ」と悲鳴を上げる。大人の女性の悲鳴なんて初めて聞いた。
怖すぎるんだよ委員長。それはもう豆撒きっていうお祭りの域を脱している。もう武器が豆しかない戦闘だよこれは。違うんだよ。人間の無力さに愕然とするイベントをしたいんじゃないんだよ。
「タクミ! お手本を見せてあげて!」
だから何で僕に振るんだよ!
しかしこういう時の委員長は手を抜くと地獄のように激怒するのを知っている。
こんな至近距離で女の子に物をぶつけるなんて、人間がしていい事とはとても思えないけれど、こうなった委員長には従うしかない。
僕は振りかぶって十一個の豆を全て思い切り投げつけた。
パァン、という乾いた音と共に、豆が消える。
え? は? という周りの子の戸惑った声が聞こえる。僕も何が起こったかわからない。
委員長は両手を前に出し、開く。
粉々になった豆のカスがパラパラと床に落ちた。
全部の豆を……? この至近距離で……?
「さぁ来い愚かな人間ども! 今みたいに全力で来ないと食べちゃうぞ!」
両手を鉤爪の形にして掲げたと同時に、教室から悲鳴が上がる。黄色い悲鳴ではない。濁点混じりの「ぎゃああ」という悲鳴ばかりだ。
怖すぎる! もう今まで出会った鬼で一番怖い!
飛んで来る豆をキャッチしては食べながら、委員長は手当たり次第にクラスメイトを追いかけ回し始めた。
悲鳴がこだまする――
***
隣のクラスから、キャーキャーという歓声が聞こえてくる。
二組は盛り上がっているなぁ。
「ほら、三組も張り切って豆撒きするぞ!」
俺は率先して節分の準備をするが、生徒たちの反応は鈍い。
「せんせ~。豆撒きとかダルくない?」
五年生にもなるとませて来ていけない。牧野先生はどうやって二組の生徒を乗り気にさせたんだろうなぁ。
六時間目が終わったら、ベテラン先生の授業の秘訣、聞いちゃいますか。
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