第二十話

 視線が合う。恐らくベルナールは私を見ていない。違う誰かを見ている。


「可愛いタリア……あの子は五歳だった……私の大事な一人娘……」

「バカが!」


 バキッと音がするほどに思いっきりベルナールの顔を殴る。しかし、その音はベルナールの顔からでは無く、私の腕が発した音だった。右腕には余分な関節が二つ作られ、ついでに右足の脛も再度折れ曲がっている。

 数秒耐えたがそのままベルナールの足元に転がることになった。しかし、身体の痛みより、怒りの方が何倍も大きい。


「大バカ野郎! 娘の腕を折る父親が何処に居るの! それでどうなったのよ? まさか『私はミクトーランに操られている』なんて喋らせたんじゃないでしょうね」


 ベルナールは少しすると震え出し、膝から崩れ落ちた。私の目の前で情けなく泣き出した。泣きながら後悔を声にし始めた。


「タリアは……タリアは頭の良い子だった。だから、あの子が八回の尋問を耐える事に……私は賭けたのだ……」

「はぁ? バッカじゃないの!」


 手足の激痛より怒りと悲しみが全身を駆け巡る。自国民にそんな凄惨な悲劇を演じさせるのが、この国の法律という事があまりに悲しかった。


「あぁ……私がレバーを操作するとタリアの細い腕はポキリと音を立てて折れた。その瞬間、私に出来ることは精一杯に優しく微笑むことだけだった……」

「キモい! 自分の腕を折ったヤツが微笑んだら、そんなもの恐怖でしかない!」


 俯くベルナールと床に転がり見上げる私の視線が合う。でも私を見ていない。娘の顔でも見ているのか。


「恐怖……」

「当たり前だ! それで、タリアちゃんはどうしたのよ!」


 私が『タリアちゃん』と呼んだ時、やっと虚な瞳に横たわる私が映ったようだ。


「サーガ……お前、何で泣いて――」

「――うるさい。タリアちゃんはどうしたのよ!」


 ここで初めて自分の瞳から涙が溢れ出していることに気づいた。


(顔も見たことのない、かたきのようなヤツの娘の不憫さに私は泣いてるの? 私弱過ぎ!)


「あなたの娘のタリアちゃんはどうなったのよ!」


 すぐに情けないほどの悲しい顔に変わるベルナール。泣きながら声を出し始めた。


「タリアは聡明だった。五歳にして尋問から抜け出す方法を理解していた……」


 理解……タリアの苦悶に感情移入してしまう。裏切り、困惑、悲しさ、恐怖、理性的に判断などできる訳ない。


「タリアは……はっきりした声で『ミクトーランに操られています』と……私ではなく……横に居た局長に告げた」


 それだけ喋ると床に倒れ込み泣き叫び出した。


「あぁ、タリア……タリア……タリ――」

「――お前は娘を……タリアちゃんを助けようと思わなかったのか?」


 一瞬の間を空けて勢い良く顔を上げた。


「決まっている、命に換えても護るつもりだった!」


 腕を振り上げ私を殴り始めそうな迫力。


「あぁ、タリア、タリア……何故お前は――」

「――お前がタリアちゃんを死に追い込んだ」


 演劇役者のようなオーバーアクションが消えて、ただこちらを見ながら震え始めた。


「ち……違う、私は救おうとした。私は決して殺すつもりは――」

「――では、何故にお前は命を懸けてでも娘を、タリアちゃんを救おうとしなかった?」


 両手で頭に抱えて狼狽え始めた。


「……聖教騎士が常に張り付いていた。どうすれば良いと――」

「――知らん! 隙を見て騎士を倒すしかあるまい。手を繋いでこの国から逃げ出すことだけを考えるべきだった」


 呆然とこちらを見つめている。それにしても床でみっともなく蠢く私をあまり見つめないでほしい。あと、痛みが強くなってきた。


「そんな……法律は護らねば――」

「――タリアちゃんと法律、どっちが大事なの?」


 また間抜けな顔して見つめてる。起き上がるのは諦めたけど、見下ろされるのはムカつくわ。


「どっちなのよ?」

「そ、それは……それは……それは……!」


 言い負かしてやろうと思ったけど、なんか不穏な雰囲気に変わってきた。息も荒く表情が狂気じみてきた。手足が折れた少女に狼藉はやめて!


「いや、ちょっと……」

「タリアに決まってるーー!」


 ベルナールが拳を振り下ろす。その拳を冷静に見つめる私。


(冷静さを失った成人男性と、片手片足が折れて動けないうら若き少女……)


 顔を殴られて呻いている間にドレスを引き裂かれて穢される映像以外思い浮かばない。煽った本人ではあるが逆上されたらそれはそれで大変困る。少しだけ冷静になったので、折れた手足に『動け』と指示してみる。

 すると、ベルナールの拳は私の顔には当たらず、床を叩いていた。


(も、物凄く痛い……けど、身体が動いた)


 うごめくようにだけど身体は動いてくれた。頭の中で『動け』と念じた瞬間、血潮の中に溶けた鉄でも流し込んだ様な激痛が走ったが、同時に体内に流れる魔力を感じた。すると、折れた手足が発する痛みに邪魔される事なく、こちらの指示に従って身体をよじってくれた。


「まぁ……落ち着きなさいよ」


 次も同じように避ける自信はなかったのでベルナールに優しい言葉を今更ながらにかけてみる。ゆっくりこちらに視線を向けるベルナールは何故か慌てていた。


「何故……鼻血を出しているのだ? まさか……俺が振り下ろした拳が当たったのか……?」


 そっと手を鼻に当てる。すると、何故か鼻血が大量に流れ出していた。刹那に視界が暗くなり、そのまま失神することになった。

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