3 男の話

 嗅ぎ慣れない甘い匂いに意識を揺さぶられて目が覚めた。


 目を開くと、今までの人生で縁のなかった華やかな照明。

 感じたことがない寝心地に、すぐにベッドだと気付かなかった。藁ではない柔らかさ。清潔そうな白いシーツ。

 掛けられていた布団を捲ろうとして、走った痛みに舌を噛んだ。

 腹の傷は手当されていた。何か貼られていると、頬に手を当てる。治療用のガーゼだった。


 自分の身を確認していると、声がかけられた。

「起きたのね」

 長い金髪に緑の瞳。お貴族様にしてはシンプルなドレス。天使のような見た目。


「まだ傷が塞がってないから、寝てた方がいいわよ」

 部屋の奥から現れたその女は、あまりに普通に俺と目を合わせた。

「水は飲む?」

「あ、ああ」

 怯える様子もなく淡々と聞かれ、つい頷いてしまう。

 女は頷くと俺に背を向けた。


 腹の痛みは焼けるように痛かったが、状況が気になって身を起こす。


 屋敷のリビングのようだった。

 重そうなカーテンを脇に控えさせた大きな窓から、暖かな日差しが差し込んでいる。

 真ん中には大きなテーブルがあって、さらに向こうにキッチンがあった。

 金髪の女は俺に背を向けてキッチンに立っている。

 俺が寝るベッドの近くには壁側に寄せられたソファ。

 不釣り合いにベッドがリビングにあるのは、俺のためだろうか。



 キッチンから振り向いた女が、コップを持って来た。

「どうぞ」

「すまない」

 差し出されたコップに手を伸ばす。僅かに触れてしまった女の指先は冷たかった。

 状況も女の目的も何も分からない。


 それでも毒も警戒せず水を飲んだのは、この場の主導権が俺にないからだ。体は痛くてろくに動けない。


 冷たい水に体中の細胞が生き返った。

 飲み干したコップを俺から受け取ると、緑の目が俺を見た。


「あの日から三日間眠っていたのよ」

「あの日」

 反射的な復唱。朧げな記憶を遡る。

「あの日よ」


 葉の茂る木々の向こう。青い空。


「血まみれのあなたを助けた、あの日」


 ──天使かと思った、あの金髪。

「言うことを聞くから助けてくれって言ってたじゃない」

 悪魔みたいなあの言葉。


 思い出せばあの日の邂逅が鮮やかに蘇った。

「捏造してるだろ」

 俺が異議を唱えると、女は小さく笑った。

「あ、バレた?」

 なんだよこの女は。


 瀕死だったとはいえ、男を連れ込んで危ないと思わないのか。


「わからねぇのか、俺がどんなやつかって」

 ご立派な家に小綺麗なおべべ。争いや怪我とは無縁だっただろう。だからわかんねぇだろ。


 ただそれにしては、あの日あまりにも血まみれの俺に躊躇いなく手を伸ばしてきた。


 髪の毛と同じ金色のまつ毛で縁取られた緑の目が俺を見た。

「分かるわよ、山賊でしょ」

「……分かってて、なんで」

 なんで俺を助けた。

 俺の言葉を理解して、女は笑った。


「言うことを聞いてくれるって約束だったでしょ」

 了承なんかしてない。

 憮然と押し黙る俺に、女はおもむろに手鏡を渡してきた。


 受け取って映し出された自分の姿に、間抜けに口が開いた。

「…………は?」


 そこに映る俺は、金髪だった。

 慌てて自分の髪を触る。癖のあるよく知った固く荒れた髪の感触じゃない。手櫛が通る、見知らぬ感触。

 灰色の瞳はそのままに、傷は記憶通りに。


 ただ髪色と髪型を変えられて、まるで別人のような印象になった俺が映っていた。


 なんで。


「よく似合ってるわ」


「……俺を匿うためか?」

 鏡から顔を上げて女に聞いた。


 俺の言葉に、まるでバレたとばかりに目を見開いた。

「山賊で、しかも殺されかけてた俺の身を隠すためか?」


 それしか考えられなかった。

 草花や鉱石を使った染料で、髪を染める技術があるのは知っていた。だが高価で、俺のような庶民……いや、その日暮らしの貧民なんて関係ない話だと思っていた。こんなことまでして。


「……お前の目的はなんだ?」


 興味が湧いた。

 死にかけの俺を救って治療を施し、リビングにベッドを用意して看病をした女に。

 俺の身元を隠すように、勝手に俺の髪まで染めた女に。


「言ったじゃない。言うことを聞いてほしい、って」

 俺と女は二人きり。

 屋敷に他の息遣いは感じない。召使がいないのは訳ありなのか。

 怪訝な俺に対して、女は真剣だった。


「私の傍に、いてほしいの」

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