第1話
憤怒の火が天をつき、立ち並ぶ。
雪煙を巻き上げ、炎の壁が全てを破壊しながら、この地に迫ってきていた。
もうじき、等しく全てを灰に還すだろう。
滅びゆく国の中心に、白き姫君と黒衣の魔女が向かい合っている。
太陽と月。
二人は鏡を挟んだように、同じ顔をしていた。
「魔女グリシフィア」
口を開いたのは姫君だった。
「私と取引をしなさい。グリシフィア」
あの弱々しい、まるで小動物のようにか弱かった姫君。
終末をもたらす熱波に照らされながら、銀の瞳が真っ直ぐに向けられている。
その先にいるのは、黒衣をはためかせた魔女。
不死にして絶対の魔女であるグリシフィアは、
文字通り指先一つでバラバラにできる かよわき姫を前に、
動くことができないでいた。
時を遡り———
その日のノースティアは晴天だった。
それは中央からはるか北にある、厳しい寒さに覆われる辺境の島だ。
「こんな田舎にまで呼び出すなんて」
グリシフィアが不機嫌そうに吐き捨てた。
七つの大罪の名を冠した、永遠に生きる七人の魔女たち。その会合がこの地で開かれるのだ。傲慢の魔女であるグリシフィアもそこに呼ばれた。
くすんだ石畳の退屈な街並み、雪に覆われた退屈な景色。目に入るあらゆるものが、ため息が出るほどに退屈だった。
だがこのノースティアのドレスだけは別だ。
この地域でしか生息しない雪白蝶の繭糸でできた、この世で最も白いとされる純正白のドレスがあるという。
ドレスの収集は数少ない趣味だった。白はあまり好みではなかったが、最も白きドレスがどのようなものなのか興味はあった。
馬車から降り立ち、仕立て屋のドアを潜る。
老夫婦と従業員だけの小さな仕立て屋。そこに先客がいた。
銀の髪の彼女は白いドレスに身を包んでいる。そのドレスの白さに、眩しさすら覚えた。しかし、感慨がわかない。
このドレスが純正白? 確かに美しいけど、自分の趣味ではないわね。
月のない夜のような、深い黒色の方が好みだった。
しかしその娘が振り返ったとき、息が一瞬、止まった。
「え?」
娘とグリシフィアの声が重なった。
グリシフィアだけでなく、その娘も同じように驚いた顔をしていた。
二人は鏡で向かい合わせたように、瓜二つだったからだ。
「ごめんなさい、驚いてしまって」
先に口を開いたのは彼女の方だった。スカートの裾を摘み、恭しく礼をする。
「私の名前はフィリオリです」
それが魔女と姫君の出会いだった。
フィリオリの案内で、近くの喫茶店に来ていた。湯気を立てる紅茶と、焼きたてのパンの香りがする。
彼女には護衛がついていた。グリシフィアの視線に気づいて、恥ずかしそうにフィリオリが言った。
「ごめんなさい、一人で行動することは禁じられているの」
その様子は気弱な、いかにもな箱入り娘といった感じだった。
小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座った同じ顔の美しい二人は、自然に周囲の目を集めた。
ただ、フィリオリは白のドレスに銀の髪、グリシフィアは黒のドレスに黒い髪。そっくりではあるが、対称的とも言えた。
フィリオリは緊張した様子で、何を話したらよいか迷っているようだった。だからグリシフィアの方から身の上を話した。
「ムーングラスプ家を知っているかしら?」
中央都を牛耳る大商人の名前だった。海の向こうから渡ってきた商人の娘だと知ると、興味を持ったようで、控えめながら色々と聞いてきた。
海の向こうの世界、ミッドランド王国はフィリオリの知らない世界だ。
都はこのノースティアよりもはるかに大きく、たくさんの人間が暮らしている。
その名前の通り、世界の各国から様々なものが集まってきて、ドレスの種類もこことは比べ物にならない。
グリシフィアの話す外の世界に、気がつけばフィリオリは目を輝かせて、身を乗り出して聞いていた。
「けれど中央にも集まらないものもあるわ。あなたの白いドレスがそうよ」
「この純正白のドレスは雪白蝶の繭の糸を使っているもの。確かに、ノースティアでしか作れないものだとお母様が言っていたわ」
「そうね。そういうものは自分で見にくることにしてるの」
「あなた自身が? 船に乗って?」
「もちろんよ。ここだけじゃなく、あらゆるところへ行ったわ」
「自由なのね。私とは大ちがい」
フィリオリが寂しそうに微笑む。彼女はこの王都の外にすら、ほとんど出たことはないという。
しかしグリシフィアにはわからない。
「外に出たければ船に乗ればいいわ。ノースティアにも船はあるでしょう?」
「もちろん、あるわ。けど私にはできないの」
そこでフィリオリは最初のように再び口をつぐんだ。ややあって話題を変えるように、
「ノースティアに来た目的はドレスだけ?」
魔女の会合があるから、とはもちろん言えない。「ええ、そんなところよ」と無難に答えた。
それから何度か、彼女と会うことになった。
周囲の態度とひそひそ話から、彼女が王族、それも第一王女であることを知った。
フィリオリはあまり自分の話をしなかったが、唯一よく話すのが、新しくやってきたという弟の話だった。
彼女の弟は母親違いであり、弟は最近まで都から程遠い田舎の村で暮らしていた。だが身寄りを亡くし、父を頼って王都にやってきた。知り合いもおらず、妾腹の子として厳しい目にさらされている弟に心を痛めているようだった。
「そんな中でもランスはいつも一生懸命で。この前なんてハウルドお兄さまに、気を失うまで剣の訓練をつけられていたわ。恐ろしいお兄さまなの。ランスはまだ剣に慣れていないのに、ひどいわ」
弟はランスというらしい。
グリシフィアは率直に思ったことを言った。
「そんな扱いなら、出ていけばいいのに」
とっとと故郷の村に帰ればいいのだ。けれどフィリオリが首を横に振る。
「弟は王族の血を引いている義務を果たそうとしているの。あ」
彼女がしまったという顔をするが、グリシフィアはふっと笑った。
「あなたが王女なのはとっくに知ってるわ」
するとフィリオリの顔がみるみる赤くなった。
「あ、あなたといると話しすぎてしまうわ。このことはどうか、内緒に」
「大丈夫よ、あなたの他に話す相手もいないもの」
「と、とにかくランスが不憫で。私だってこんなふうに失敗ばかりだけど、叱られた記憶なんてないの。同じ姉弟よ。けれど、ランスにだけはみな厳しいの」
ふう、とフィリオリがため息をついた。
次に会ったときの彼女の顔は輝いていた。グリシフィアの姿を見かけると、手を振って駆け寄ってきた。
「グリシフィア、聞いて! ランスが、正式に騎士になったのよ。あの厳しいお兄様に認められたの!」
頬を上気させ、いつになく声が大きかった。
「今日はずいぶん興奮しているのね。この前はもっと大人しい感じだったけれど」
「ごめんさない、だって、嬉しいの。ずっと努力してたのを見てたんだもの。ついに報われたの」
「あなたは弟のことばかり見ているのね」
「え?」
グリシフィアの言った何気ない一言に、フィリオリの顔がみるみる赤くなっていく。
へえ、なるほどね。
流石のグリシフィアも、フィリオリの感情に気がついた。
死すべき定めの人間は増えるために、相手が必要なのだ。そしてそれを本能的に選び取るのだという。
彼女にとっては、弟のランスがそうなのだ。姉と弟ではそういう対象にならないような気もしたが、まあ些細な問題なのだろう。
そこから、フィリオリの雰囲気が少し変わった気がする。オドオドして小さな声なのは変わらないが、こちらの目を見て話すことが増えた気がする。
実はグリシフィアも偶然だが、月夜の晩にランスに出会っていた。だが正直言って、真面目なだけのつまらない人間だった。話すことと言えば騎士の義務だの、道徳だの、あんなののどこがいいのだろう。
顔だろうか。まあまあ整ってはいたが、美しいというほどでもなかった。まあ、人間の好みはそれぞれなのだろう。
その次に会ったときの彼女はこの前と対照的に、沈んだ表情をしていた。目の周りに隈が見え、いくぶん、痩せたような気がする。
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